昨日の市P連の役員研修会懇親会で、
「〇〇君、元気にしとったね?」
「はい。今、〇〇小学校の会長してます。」
「そうね。」
と、僕に名指しで話しかける方がいた。
えーっと、どなただっけ?と思っていたら、小学6年生の時の担任の先生であった。
市P連では、他に、中学1年生の時の担任の先生と、中学3年生の時の担任の先生もいらっしゃる。現在、一人はある中学校の教頭先生。二人は退職して市P連の事務局などの仕事をされている。
どなたも僕が小学生あるいは中学生の時の印象のままであり、僕も担任の先生の印象のままであり、僕が大人になっていても、その差はあまり縮まらない。
そこで思った。結局見守られて生きているのだ。一人で大きくなったわけではなく、色んな方がいて、色んな形で関わり、生かされているんだ。
やはり、驕ってはいけないのだ。
そう思った。
「〇〇君、元気にしとったね?」
「はい。今、〇〇小学校の会長してます。」
「そうね。」
と、僕に名指しで話しかける方がいた。
えーっと、どなただっけ?と思っていたら、小学6年生の時の担任の先生であった。
市P連では、他に、中学1年生の時の担任の先生と、中学3年生の時の担任の先生もいらっしゃる。現在、一人はある中学校の教頭先生。二人は退職して市P連の事務局などの仕事をされている。
どなたも僕が小学生あるいは中学生の時の印象のままであり、僕も担任の先生の印象のままであり、僕が大人になっていても、その差はあまり縮まらない。
そこで思った。結局見守られて生きているのだ。一人で大きくなったわけではなく、色んな方がいて、色んな形で関わり、生かされているんだ。
やはり、驕ってはいけないのだ。
そう思った。