4月28日(金)~30日(土)にかけて、東日本大震災で大きな被害を受けた南相馬、仙台、多賀城市と
オフィスIL(郡山市)福祉のまちづくりの会(田村市)CILたすけっと(仙台市)の各自立生活センターを
お訪ねしました。もっと早く伺いたかったのですが、東京での支援体制の構築に尽力せねばならず、今になってしまいました。
ともにJIL常任委員をしている岩本(アシストMIL)、DPI日本会議、盛上さんにも同行していただきました。
まずは写真を見ていただきたいと思います。最初に訪ねた南相馬の沿岸部は360度見わたすかぎり、ガレキだけでした。
建物としてかろうじて、形をとどめていたのは、鉄筋コンクリート造りの公民館と漁協の事務所だけです。
それさえも形は大きくひしゃげ、内部にあったはずの備品は流されてしまい、何もありません。
話をうかがうとこの場所には、漁港と漁師さんとその御家族(300人ほど)が暮らす集落があったそうです。
民家はすべて流されてしまい、基礎部分しか残っていません。そこから2~3㎞離れた場所で、数多くのご遺体が見つかったそうです。
心からご冥福を祈らせていただきました。
次にお訪ねした多賀城市は、海岸線に沿って低地と小高い土地が続く地形でした。高台にあった住宅は無傷なのに、
すぐその下に建てられた住宅は原形をとどめていません。ただ救われる思いがしたのは、この場所では遺体が
発見されたことを、表わす印を目にすることがなかったことです。高台が近くにあったので、避難して人命が奪われることは
なかったのかもしれません。
お訪ねした3センターの仲間達は、全力で支援活動にあたっていました。昨年、還暦を迎えられた、オフィスILの重鎮、白石、橋本さん。
「福島の赤鬼、青鬼」との異名を持ち、障害者の人権保障などという概念のなかった時代から、身体と生命をはって道を拓いてきてくれた
障害当事者リーダーです。これからは少々のんびりした生活を楽しみたい(そうしてもらって当然と思います)と考えておられたようですが、
「あと10年は頑張るから!」と意気けん高でした。福祉のまちづくりの会では行政交渉の真最中。CILたすけっとでは、休日を返上して
支援にあたっていました。とくに若手の当事者リーダーがとてもいい顔をしていました。「私達も被災し、しばらくみんなで事務所で寝泊りして
いました。でも水道はなんとか使えましたし、電気、ガスの復旧も比較的に早かったです。被害の少なかった私達が頑張るのは当然です」と
力強く語ってくれました。
今回、現地をお訪ねしたからわかったこと、聞かせてもらえた話がたくさんありました。そのひとつひとつをしっかり受けとめて、
今、そしてこれから私達がすべきことを考え、行動していきます。
鈴木