CILふちゅうの仲間達

CILふちゅうの徒然日記

心のバリアー

2007年04月18日 | Weblog

私付きの介助者が私(鈴木)を描いてくれました
(ブログの内容とは関係ありませんが…)


 私は自宅から事務所までの通勤に、民間路線バスを利用している。
このバス会社は10年程前、日本でも早い時期からワンステップのスロープバスの運行を始めた。
当初は様々なトラブルがあり、交渉を重ねたものだが、今ではとても快適に利用させてもらっている。
もちろんすべての時間帯に、スロープ付き、またはノンステップバスが運行している。
このバスの中で私は数年前、今でも少々心にひっかかっている。
ちょっとしたトラブルに遭遇した。
その事を紹介して、皆さんの忌憚のないご意見を伺ってみたい。

 その日も私は、いつものように1日の仕事を終えて、PM8:00少し前、府中駅前からバスに乗り込んだ。
定位置に電動車イスを着けて前方に目を向けると、1人の初老(70歳前後)の男が、近づいてくるのがわかった。
彼は私の前で立ち止ると、いきなり
「何だお前は!」と怒鳴った。
そして次の言葉が
「障害者ぶるんじゃない!」である。
私は訳がわからず、唖然としていると、彼は次々と怒鳴りまくった。
詳細は記さないが、しばらくすると、私が乗車した際に、運転手の手を煩わせながら、礼を言わなかったことに、腹を立てていることがわかった。

 私は通常、こうした場合、丁寧に感謝の意を表すようにしている。
しかし車いすで、公共交通機関を利用して、毎日のように外出されている方ならわかっていただけると思うが、そのように心がけていても、言い忘れてしまうことが少なからずある。

 東京では物理的なバリアフリーが進んでいるとはいえ、まだまだ人の手を借りなければならない場面も多い。
最新型のノンステップバスでも、運転手が降りてきて、小さなスロープの出し入れをしなければならない。
また、座席をはね上げて、車いすで乗れるスペースも作らなければならない。その他にも何かと手を借りることもある。
こうした際は、マナーとしても、人情の上からも、礼を述べるのが正しい。
しかし、重度障害者が外出した場合、こうした機会があまりにも多いことを知ってほしい。
その都度、心を込めてお礼を言っていると、精神的にけっこう疲れるものである
(嘘だと思われるなら、一度、経験してみるといい)

 そんな理由で、この時も「言い忘れたかもしれない…」と思ったので、私は素直に詫びた。
すると彼はこう言いだした。
「私だって障害者だよ。でも私は甘えないよ。シルバーシートだって、座ったことなんかないんだ!」
たしかに彼は歩くとき、足を引きずっていた。しかし、こうなってくると私も腹が立ってきた。
「それはあんたの価値観だろう。他人に押し付けないでくれ」
こんな反論が頭に浮かんだが、定刻に発車できず間に入ってオロオロしている若い運転手の顔を見て、黙ることにした。
その男はこれ見よがしに、車輪ボックスの上に設置された、一段高い席によじ登って座った。

 しばらくバスに揺られながら、気持ちが落ち着いてくると、様々な考えが私の頭をよぎった。
「たしかに今回は礼を言わなかったかもしれないけど、私達の気持ち(上記したような)もわかってほしいよな…。 その背景を知った上でも、 彼はあの態度を取るのだろうか…」
 「私にしてみれば、常日頃はお礼を言っているのに、その時に限って言わなかったという状況だけれど、その場面しか見ていない人にしてみれば、『世話になっていながら礼も言わない、非常識な障害者』にしかみえない。一期一会の人も多いはずだから、やはりもっと気を使わないといけないかな…」 
「そう言えば『ヨーロッパで運行しているノンステップバスは、乗降口が運転席の横だから縁石にピッタリ寄せられて、スロープの出し入れ作業がない。また、車いすスペースも最初から確保されているので、運転手を煩わせることがない』という記事を読んだ記憶がある。これを機会にバス会社と交渉してみるか…」等々である。

 10分ほどして、その初老の男は、私をにらみつけながら、あるバス停で降りて行った。
その姿を見送りながら私は、「彼とはもっと話をしたいし、また話さなければいけないよな…」と思った。

 些細なことのようだけど、「こうしたことからわかり合っていかないと、本当の意味で共に生きていくことはできないだろうな…」とも思った。
ちなみにその彼とは何度かその後、同じバスに乗り合わせたが、話をするきっかけをつかめずにいる。
顔をあわせた時の彼の目には、やはり怒りのオーラがただよっていたから…。