街角などでよく中高年の人から「大変ねぇ」、「頑張ってね」と声を掛けられることがある。
彼等にしてみれば、たぶん悪気はないのだろう。目に映った光景をそのまま素直に言葉にしただけなのだと思う。
昔は、そんな言葉にむかつきながらも愛想笑いをしていたものだが、最近では、そんな言葉も気にならなくなった。
と言うか、よく分からないと言った方が正しいかもしれない。世間が言うその言葉の意味が…。何が大変で、何を頑張れと言うのか。
生まれつき障害者をやっているのだから、私にすればこれが普通であり当たり前なのだ。
強いて言えば少し前までは、外出するときに公共の交通機関を利用する時に不便さは感じたが、今となっては、あちこちにエレベーターかエスカレーターが設置されているし、駅員が誘導してくれるので迷うこともない。いいか悪いかは別として、私の場合駅に行くと一斉に4~5人の駅員が来て対応してくれる。例え満員電車に乗っても、車椅子なのだから常に座っていられるし、ある程度のスペースは確保できる。
建物には障害者トイレも当たり前になってきたし、大好きな映画やライヴに行っても障害者スペースはあるし、しっかり案内もしてくれる。ライヴ会場でもスタッフが6人も集まって、電動車椅子をもろともせずに持ち上げてくれるのだ。
おかげで今では、何の気負いもなく外出ができるようになった。
このように街の環境が整えられて行くように、障害者を取り囲む人の心の環境や自立に関する制度も整えられてほしいものだ。
しかしその為には、他の誰でもない、当事者である障害を持った私たちが行動を起こさなければならないと感じている。
ヒロコ