時差ボケもほとんどなくなり、3月から住む家を見つけなければならないプレッシャーがかかっている。
パリに比べると東京は圧倒的に物件数が多く、特に水回りなどの基本的なレベルでのハズレが少ないので、すぐに見つかるかとも思っていたのだがこれが意外とそうでもない。
ネット上で探しただけでも、希望の条件に合う物件は多数ヒットするのだが、「申し分ない物件」というのは実に少ない。たいてい、良い物件だが駅から遠かったり、広さは十分なのに間取りが悪かったり。
住む人間のことを考えて設計したとは思えない物件も多い(家具を入れたらとたんに配置上の不都合が生じるケース:なんでベッドのそばにキッチンが?)。
たまに「申し分ない物件」を見つけて不動産屋にコンタクトすると、うそかまことか「あー、昨日申し込みが出ちゃったんスよねー」なんていう典型的な不動産屋レスポンスが返ってくる。
おそらく、東京には根本的な都市設計のまずさがあって、それが個々の不動産の利便性であったり建物の形や日当たり、環境を損ねているのだと思われる。
たとえば、土地の所有者が自分勝手に好きな建物を自分の土地に建てるのはそろそろ止めにしてはどうだろうか。土地は公共に供されるものであって完全な私有物ではないという考え方は通らないのだろうか。
パリに比べると東京は圧倒的に物件数が多く、特に水回りなどの基本的なレベルでのハズレが少ないので、すぐに見つかるかとも思っていたのだがこれが意外とそうでもない。
ネット上で探しただけでも、希望の条件に合う物件は多数ヒットするのだが、「申し分ない物件」というのは実に少ない。たいてい、良い物件だが駅から遠かったり、広さは十分なのに間取りが悪かったり。
住む人間のことを考えて設計したとは思えない物件も多い(家具を入れたらとたんに配置上の不都合が生じるケース:なんでベッドのそばにキッチンが?)。
たまに「申し分ない物件」を見つけて不動産屋にコンタクトすると、うそかまことか「あー、昨日申し込みが出ちゃったんスよねー」なんていう典型的な不動産屋レスポンスが返ってくる。
おそらく、東京には根本的な都市設計のまずさがあって、それが個々の不動産の利便性であったり建物の形や日当たり、環境を損ねているのだと思われる。
たとえば、土地の所有者が自分勝手に好きな建物を自分の土地に建てるのはそろそろ止めにしてはどうだろうか。土地は公共に供されるものであって完全な私有物ではないという考え方は通らないのだろうか。