風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

親を亡くすということ

2019年06月30日 | 日記
  妻の母親の四十九日法要と納骨が昨日無事終わった。梅雨の時期で天気が心配されたが、曇り空でも雨はほとんど落ちて来ず、暑くも寒くもなくて、集まった人にとって好都合だった。生前、穏やかで思いやりのある人らしいと話が出た。旅行好きで孫の面倒見がよく、うちの家族とも一緒にいろいろなところに旅をした。最近は長く療養生活を送っており、病院や施設で会うことが多く、妻にとっては心の準備もできていたようで、心配していたほどふさぎこむことも落ち込むことはなかったようだ。それにしても肉親を喪うことは身を切られるようにつらいことだ。ぼくの父は三十年前に亡くなり、母も三年前に亡くなったが、心の中の重しのようなものが軽くなって、楽しいことを心底楽しいと思えるようになったのはようやく最近のことだ。息子たちにとっても人の死の意味を教えてもらう
貴重な経験になったと思う。


2019年は駅伝のたすきリレーで始まった

2019年06月29日 | 日記
  正月元旦の実業団ニューイヤー駅伝のたすきリレーで2019年は始まった。穏やかな天気で、今年一年平穏であることを期待させた。

     

  桐生といえば安吾終焉の地。その安吾が上京した際、よく立ち寄ったという浅草のお好み焼き屋「染太郎」を訪問。2月の浅草の街角は外国人であふれ、お好み焼き屋でも外国人が鉄板を囲んでいた。

   

  安吾が桐生に転居してきたのは昭和27年2月29日。閏年で記念日は4年に一度、来年がそれに当たる。亡くなったのは昭和30年2月17日。安吾忌は浅草や桐生、新潟などゆかりのある地で行われているらしい。桐生では今年3月に安吾を語る会の催しがあって、綱男氏が講演した。

    

  勤め人の定めで紙一枚で転勤が決まる。4月から定年前の最後の一年を前橋で過ごすことになる。

  

   

思い出すことなど・・・根無し草

2019年06月28日 | 日記
  千葉に引っ越した先輩は一緒にカラオケに行くと、よく中島みゆきの歌を歌っていた。ぼくの同級生のやはり千葉の大学に行ったパートナーも中島みゆきのCDをたくさん持っていた。何か千葉と中島みゆきは特別な糸で結ばれているのだろうか。先輩はもともとシングルだし、同級生とパートナーもその後別れてしまった。
  一度カラオケで太田裕美の「袋小路」というマイナーな曲を見つけ歌ったことがあるが、聞いていた人はキョトンとした表情だった。「心が風邪をひいた日」というアルバムのタイトルになっている曲もいい曲で、これはカラオケで見たことはない。高校生の頃買ってよく聞いたLPレコードは、今、息子の部屋の押入れにしまいこんである。ターンテーブルのプレーヤーのステレオセットも息子の部屋にあるので、息子がもうすぐ結婚して部屋を出て行ったら、ゆっくり昔のレコードでも聞いてみようかと思う。
  先輩もぼくも父親が転勤族で、ぼくは横須賀で生まれてすぐに引っ越したけれど、先輩は中学生くらいまで横須賀にいて、そのかみの中三トリオの一人をよく見たそうだ。
  いずれにしろ、今はあまり言わなくなったが、二人ともいわゆる根無し草だ。風の向くまま、水の流れるまま流されて、あるいは流れて、流れついたところで、いっときの根をはるしかない。

 
   

千葉に先輩を訪ねる

2019年06月27日 | 日記
  先週、一足先に定年退職し、長年住み慣れた地を離れ、千葉に「終のすみか」を定めた先輩を訪ねた。(写真を一枚も撮らなかった!)学生の頃、住んだ場所というのは、何年たっても、やはり特別な思いがあるようだ。ある意味、ずいぶん思い切ったものだとも言えるが、最終的には本人の決めることだ。緑の多い郊外で、いろいろ施設も整い、食事の心配もいらず、気ままに生活するには便利で快適この上ない。東京にもほど近いし、九十九里にドライブに行くこともあるという。自分も場合によれば、そうした選択をするかもしれない。人生の第2ラウンドは自分に正直に生きたい。
  

 

田植えの終わった田んぼの手前、コスモスが雑草のようにはびこり、中にはもう咲いているのがある。

水紀行その2(海)

2019年06月26日 | 紀行
良寛の故郷、出雲崎と日本海

高台の上の記念館には碑が立っている。

港の見える丘公園からの横浜の海

山下公園からの眺め。氷川丸。

ペリーが上陸した久里浜

小栗上野介と横須賀港

鎌倉文学館の庭から見る湘南の海

川奈ゴルフ場から見る伊豆の海

向こうに見えるのは伊豆大島

伊勢湾の朝

伊勢の朝日と海