毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「ハウルの動く城」 から

2015年10月19日 11時55分35秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


今月2日に放映された、宮崎駿監督のジブリ映画 「ハウルの動く城」 。

テレビを持たない私は見ていませんが、たまたまちょっと前の9月末に、ダイアナ ・ ウィン ・ ジョーンズ原作の 「魔法使いハウルと火の悪魔」 を 図書館で借りて読んでいたのです。

映画は、以前父が かわいい孫のためにテレビ録画し、CMカット編集の上 DVDに焼いたものを借りて 何度も見ていますが、原作は初めて。




この映画、歴代のジブリアニメの中では あまり評判がよくないそうですが、わかる氣もします。

老婆になる呪いをかけられたはずのヒロイン ・ ソフィーが 時おり若返るのに ? となり、カルシファーに無理を言って引越しを強行したはずのソフィーが すぐまた越したばかりの家に戻ろうとするわけがわからず、かかしのカブが さいごのさいごで王子に戻る唐突さにあっけにとられ、「このバカげた戦争を終わらせましょう」 とのたまうサリマンに 「それなら最初から止めようよ」 と突っ込み・・・・と、貴秋的にも落ち着きの悪いところが けっこうあります

とはいえ、それでも大好きだからこそ、数十回も繰り返し見ているわけですが (*^-^*)ゞ




原作を熟読し、さらに 多くの方々の鋭い考察ブログや 上映当時の製作陣の取材記事などを読ませてもらって、? だったことは かなり解消できました。

その上で 印象に残るのが、原作と映画の 結末の違い。

原作ではハウルに倒される荒地の魔女が、映画では 魔力を失って ハウルやソフィーたちの家族の一員に収まっている。

この違いを知ったときに、以前見た 「悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません」 という宮崎監督の言葉を思い出しました。




前にも書いたと思うけれど、私が小さいころ見ていたアニメや特撮物には、勧善懲悪の氣配が 濃厚にありました。

戦闘物ばかりでなく、「魔法使いサリーちゃん」 などの少女アニメにも、「やっぱり悪い子はダメで いい子が受け入れられるのね」 的なメッセージが漂っていた氣がします。

そんな空氣の中で 自然と育った “悪いものをなくせば いい世界になる” という観念を、数十年後の今、意識の書き換えの中で きっぱり手放すことになりました。

二元対立世界にも 十分意味はあるけれど、その中で “悪いもの” はなくせない、ほんとうにいい世界にしたいなら 二元対立の概念を越えるしかない、ということが よぉくわかったから。




そういう視点から見て、この 「ハウル~」 に限らず、悪をやっつけてめでたしめでたしという単純な構図を描かない 宮崎監督の姿勢には、大きく共感します。

わけわから~ん というところはあっても、今でも 「ハウル~」 が大好きなのは、単純に その世界に身を置くのが 心地いいからなんだなぁ、と思います (*^ー^*)






















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