毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

人生を能動的に楽しむコツは、アップと引きの使い分け

2022年03月02日 09時11分51秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
ドラマや映画で、登場人物の顔がアップになる場面がありますよね。

話が盛り上がり、感情が大きく動く場面です。

ぐぐっと寄るカメラ、そして画面一杯に映し出された俳優が渾身の演技を見せる。

見ている側は心を掴まれ、その登場人物と一体化して物語に入り込み、架空の世界の出来事が我が身に起きた現実であるかのように 笑ったり泣いたり苦しんだりする。

では、こういう最高潮のヤマ場をぐーっと引いた位置から撮ったらどうなるでしょう?

アップの時と比べて、ずっと感情移入しにくくないですか?

これが感情の働きの性質なんですね。




形を持たない意識体が からだという形を得てこの五感の世界にやってきた、それがいまのこの私たちです。

形なき意識であったときとは比べものにならないほどさまざまな制約を受けてまで、この世界で私たちがぜひともやってみたかったのは、からだがあってこそできる 「体験」 というもの。

この 「体験」 のカギとなるのが、感情です。

体験とは感情あってのもの、感情が動かなくなったら 私たちの日々の暮らしは空疎になり、実感が失せます。

感情が揺れ動くとき、私たちは体験の渦中にあり、その状況の一部となって よかれ悪しかれ影響を受ける。

感情の波立ちがあってこそ 私たちは存分に体験に打ち込めるわけですが、体験に振り回されるのをやめ 状況を打開しようとするときは、感情を抑え 制御する必要があります。

このとき有効なのが、“引きの視点” なのです。




前の記事にも書きましたが、引きの位置に立つには 意識を外から内に向けて反転させ、言葉を引っ込め 考えるのをやめて、ただ感じることです。

感情とは 特定のからだの感覚に うれしい、悲しい、悔しいなどの言葉が結びついたものであり、感覚と言葉を切り離すと、感情はただの体感に変わります。

このときの最大の強みは、体感を感じているとき、私たちは確実に いま ・ ここに在るということ。

からだの感覚は、つねにいま ・ ここ で起きています。

きのうの頭痛だの明日の腹痛だのなんて あり得ませんものね。

そして いま ・ ここ に在るとき、私たちの意識は顕在意識の枠を抜け出し拡大します。

あの78億分の1のちっちゃなスペースから 総体である78億面体に意識領域が移り、普段と逆に 総体から78億分の1を見つめることになります。

これが、引きの視点から眺めるということ。

総体とひとつであるときは 私たちの意識から死角がなくなり、78億のすべての面を感じることができます。

そして再び個の意識に戻ったとき、そこから必要な情報を得られるのです。

疑問の答えが出たり、袋小路と思っていたところに出口が見つかったり、動かなかった状況がさりげなく動き出したり、そういうことが自然と向こうから起きてきます。

そんな体験の積み重ねが 知覚できない領域への信頼につながり、信頼すればするほど ますます多くの情報を得られるようになります。

人生の物語に意に染まない部分があるなら いったん抜け出して 引きの位置に移り、問題点とその解除法を見つけて 変化を促し、よりよくなったストーリーに再び入り込んで堪能する、なんて能動的な楽しみ方ができるようになるのです。




コロナ騒ぎにエネルギー問題、環境汚染、氣候変動に加えて今度はロシアのウクライナ侵攻とやたら喧しい昨今ですが、事態がどれほど救いようなく見えても、この世のすべてには ポジ面とネガ面がフィフティフィフティで存在するもの、潜在意識を通すと 現況にもまたあれこれ違った面が見えてきます。

この先少しずつでも そのあたりのことを書いていければと思います。


















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