私たちはそれぞれの人生という物語の作者であると同時に登場人物 (主人公) でもあるとたびたびお伝えしていますが、この作者と主人公が切り替わる際に働くのが感情だという氣がしています。
ある状況に対して感情が湧き起こると その状況の中に入り込み、感情を切り離すと俯瞰の位置に立つ、という感じです。
さて、前の記事で 「催眠にかかったまま 世界を歪にしてしまった元凶と思える人物を攻撃するのは、もっとも労多くして益少ない行為」 と書きましたが、これを裏づけるような手がかりを思いがけないところからもらいました。
18日放送のNHK番組 「チコちゃんに叱られる」 で 「1つのスピーカーでいろんな音が同時に出せるのはなぜ?」 という問題が出たのですが、その解答によると、そもそも音の波形というのは 複数の声や楽器を同時に鳴らしても鳴らした音の数だけ生じるわけではないというのです。
オーケストラのような大がかりな合奏でも、波形として捉えられるのはそのすべてが混在するひとつだけ。
そのひとつの波形を正確に再現し 音として投げ返すのがスピーカーであり、そのひとつのものをまたバラバラにして複数の音の重なりとして聞き取るのが 私たちの耳の働きだというのです。
見たその時は 「ふ~ん、すごいなぁ」 で終ったのですが、翌朝起き抜けに となり、慌てて8時15分からの再放送を録画して見直しました。
私たちの本質は形なき意識体、意識も思考も感情もみな波動エネルギーです。
同時に発する音の波形がひとつになるのなら、絡み合う思考や感情だってひとつの波動になっていても不思議はない。
「何かに対して怒りや憎しみ ・ 恨みなどを持ち続ける限り そこから抜け出すことはできない」 という実感はずっとあったのですが、なるほど波動エネルギーがひとつになってしまっていたのか。
「こんなことになってしまったのはコイツのせいだ」 の 「コイツ」 自体、自身の観念の投影 つまり幻でしかないのですが、その幻に向かって怒り続けると 終らせたいはずの事象と一体化してしまい、いつまで経っても解決がつかない、ということのようです。
一体化しないためには合奏から抜けること、そしてもう一緒に演奏しないこと、それしかないのですね。
「歯向かう敵を退治してめでたしめでたし」 はやっぱり幻想だったみたいです。
では 許し難い相手や状況と具体的にどう折り合いをつければいいのかということですが、それについては以前から 「住み分け」 という話をご紹介しています。
「目の前から忽然と消えた?」 「そっと離れるための具体的な方法!」 「無関心でいるということは・・」
貴秋も大きなヒントをもらった記事でお勧めですが、要はテレビのチャンネルを切り替えるのと同じで、周波数が変わればおのずと出会わなくなるということです。
何かに怒りを抱いたままでいれば、その何かに意識が向かい続けることになり、互いの波動は一体化したままです。
そこから意識を引っぺがし、もっといい氣分になれるものにフォーカスし直すこと。
それをマインドがどうしても承知しないなら これまたチャンス、「いやだぁぁぁ、許さない!」 と叫び続ける感情と向き合ってください。
向き合って向き合って向き合い続けたある日、自分が執着し続けていたものの全容を目にし、憑き物が落ちたようになる日がやってくることでしょう。
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