毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

残像にさようなら

2012年09月11日 10時46分24秒 | ふと思うこと
ずっと不思議でしょうがなかったんです。

前の家で畑仕事をしていたときのこと。

せっせとからだを動かしながら、頭の中では なぜか楽しくない記憶やネガティブな考えが次々と浮かんできて どうしても止まらない。。。そんなことがよくあったのです。

何度ストップをかけても、ハッと氣づくと また捉まってる。

青空の下、澄んだ空気の中、豊かな自然に囲まれて 大好きな作業をしている最中だというのに いったいなぜ? って、ずっと氣になっていました。


それと同じことが、このところの針仕事の最中にもたびたび起こって。

そこで、ああそうか、と氣がつきました。

大好きなことをして、心がリラックスしているときだからこそ 出てきたんだ、って。

とてもいい状態だからこそ、そういう記憶を消化・昇華して解放するのにうってつけ、ということなんだと。

その辺がわからないまま ただ上ってくるに任せているしかなかったときは、すっかり取り込まれて 「記憶」が「今」になってしまうのを どうすることもできず、ひたすら不快な思いにさらされ続けるだけだったけれど。

今は、ただの残像に過ぎないってわかってるものね(^_-)



「残像」っていうのは、ある方のメルマガで知った言葉ですが、読んだ瞬間、そっかぁ、そうだったんだ~、これはいい!と。

記憶に浸るがままになってると、そちらに焦点がしっかり結ばれてしまって、いつのまにか本来の「今・ここ」を抜け出して うれしくない記憶が「今・ここ」になっちゃう。

でも そこですかさず「はい、これは残像♪」とひと声かければ、それはもう 目の端を一瞬かすめた幻にすぎないってことになって、すぐさま本来の「今・ここ」に戻ってこられるもんね(^^)v


上ってくる記憶を残像としてながめていると、だんだんその奥に 自分が世の中を、自分自身をどう見ているか・どう決めているかが見えてくる。



なんて哀しい、なんて侘しい世界に住んでたんだ、私は~

この世界観・自分観をもとに作られた世界に住んでいて、幸せになれようはずがないじゃないかぁ

今氣づけたことに 心から感謝だね



以前はたしかに現実だった。

それは 他ならない私自身が作り上げたものの見方、ちゃ~んと意味があってのこと。

作って、味わって、そして今、「残像・幻」と見定めて 感謝して さよならする。

そのプロセス全部が、この世に生まれてきた醍醐味だったのね♪



薄皮をはぐように、一枚、また一枚と “不自由”が剥がれ落ちていく 静かなワクワクの時を過ごしています













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4 コメント

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あるある (三つ葉)
2012-09-11 17:54:37
リラックスしている時やボーッとしているときに、突然
今とは関連の無い何年も前の嫌な出来事を思い出す瞬間があります。
なんで急に?って不可解に思っていたけど理由が分かりました。
うまくできてるね~♪
ありがとうございました(*^_^*)
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私も~ (ぴょんこ♪)
2012-09-12 01:08:24
残像って発想に救われた!
ありがとう~

貴秋ちゃん
三つ葉ちゃん

うん うん です♪
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三つ葉ちゃん♪ (貴秋)
2012-09-14 01:20:02
三つ葉ちゃんもやっぱり?
シンクロかなぁ♪
ほんとうまくできてるよね、人の心って♪
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ぴょんこちゃん♪ (貴秋)
2012-09-14 01:26:40
私も救われたの~♪
いつまで変われないんだ、自分!って苦しい思いもしたけれど、この言葉を知って以来、いやいや ちゃんと変化成長してるよ、これはただの過去の影だよ、ってね♪
同じところクルクル回ってるように見えて、実は螺旋階段なのよね、ちゃ~んと上ってるのね
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