毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

取り戻せる

2015年02月27日 13時06分37秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


おとといのグループ読み聞かせ、無事終わりました (^^)

今回初めて ちょっとした小道具を作ったのですが、これがなんとも楽しくて




私、子どもの頃は 図画工作って 得意でも好きでもなかったんです。

授業にも氣が乗らなければ、自分の作品にも まるで愛着が湧かなくて。




それからウン十年後の今になって、必要に迫られての作品作りが こんなに楽しかったとは



大型絵本に登場の ある鳥さんを、キーパーソンならぬキーバード(?)として強調するために、大きく描き写して プラカードのように持ち手をつけたのですが、生まれて初めての作業だというのに 何を使い どう動けばいいかが 難なくわかるのです♪

色づけ用のクレパスだけ リーダーからお借りして、あとは わが家にあるダンボールやら空き箱やら古カレンダーやら板切れやらを組み合わせ、切ったり貼ったり塗ったりと、子どもに返ったように♪

そして、何をどこにどう使い、どういう手順で作業を進めるか、そんなのやったことがないにも関わらず ぴんぴんひらめいて、いささかの不安も懸念もないまま 順調にスイスイ進んでいくのです。

もともとのんびりやの私が ひとつひとつの工程を 慌てることなく大いに楽しみながら進めていったので、時間はたっぷりかかりましたが、それだけに 完成したときの喜びや満足感もひとしお \(^o^)/

そして当日 無事お役目を果たした鳥さんは、記念のオブジェとして わが家に飾ってあります。

眺めるたびに いい氣分です (*^ー^*)




先日の鍵閉じ込み事件のときにも思ったんだけれど、不安が大きく減ると、入れ替わりのごとく インスピレーションが冴え渡るようです。

たぶん、本来の私たちは インスピレーションの連続で、ごく自然に アドリブを味わい重ねるように生きている存在なのでしょうね。

それが時として、不安やら自信のなさやらで 曇って見えなくなってしまうだけで。




私は、子どもの頃ずっと母から 不器用な子だって言われ続けていました。

で、自分でもすっかりそう信じ込んでいたのですが、40歳を過ぎたあるとき、鶴の飾りのついた爪楊枝入れというミニチュア折り紙をいくつも完成させながら、ふと あれ? って思ったんです。

こんな小さなものをいくつもきれいに作れる私が、ほんとうに不器用なの? って。

そこで一氣に思い込みが解けました。

実際には、教え手である母の忍耐が足りなくて すぐイラつくものだから 萎縮してしまって うまくできなかっただけで、半ば八つ当たり的に投げかけられた言葉をそっくり信じ込んだため、そのとおりの自分を実現していただけだったのでした。

つまりは 自己催眠っていうことだったんですね (^_^;)

それからは 事あるごとに、「私は器用、貴秋ちゃんすっご~い♪」 って 逆催眠をかけ続けて(笑)

そこへもってきて、自信のなさと連動していた 怒りや苛立ちが激減したおかげで、本来の自分が戻ってきてくれたのでしょう




セルフイメージが大切とは よく言われることだけれど、このところの自身の変化を見るにつけ、ほんとうに これほど大事なものはないといってもいいぐらいだと思います。

たとえ無意識であっても、自分がイメージしたとおりの自分になるのです。

どんな素敵な才能を持って生まれてきても、いったん否定的なセルフイメージが染み込んでしまったら 活かせないまま、自信をなくして。。。。なんて、せっかくの人生が あまりにももったいなさ過ぎる




生まれたばかりの頃から 不幸せそうな子、自信のない子なんていません。

自分の存在に 充足と安らぎを感じていて 当たり前。

もし、それらを欠いていると感じるなら。。。。。。取り戻す方法は 必ずあります。




私・貴秋には からだの感覚フォーカスがこの上なく効果的だったけれど、こういうのって How toではないと思うし、おそらく人の数だけ 道筋もあるのでしょう。

だから、みなさんとにかく感覚フォーカスしてみてくださ~い って旗振りする氣にはなれません。

ただ、これだけは 声を大にして言いたい。

私たちは もともと幸せで 輝いて 満ち足りている 素敵な存在なんです。

赤ちゃんを見れば、きっとわかるはず。

もし そこから外れてしまったとしても、戻る手立ては必ずあります。

「いって かえる」 を体験した者として、今は思いを込めて きっぱりそう言えます。




うらうらと もうまるで春、というような日ざしに包まれて、幸せ氣分を満喫すればするほど、人の 特に若い人の不幸なニュースが 胸にこたえます。

これを書いている途中 ふと見かけた こんなニュースの見出しに、言葉のほうから転がり出たような きょうのブログです。



















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