前から思っていることだけれど、自然界では 境目があいまいなことが多いんですよね。
昼と夜、子どもと大人、暑いと寒い、四季の移り変わりだって 「ハイ、ここが分かれ目ですよ~」 なんてくっきりした線は、どこにも引かれてない。
分かれ目は、私たちそれぞれの意識が創っているんですね。
以前 こんな問いを見かけたことがあります。
・「黒山の人だかり」 って 何人ぐらいをイメージする?
・「長蛇の列」 は何人ぐらい?
・「はした金」 って いくらぐらいだと思う?
・「いい歳をして」 のいい歳って 何歳?
これ、訊かれた全員がぴたりと同じ答えになるって まずないでしょう☆
人それぞれの線引きがあるっていうこと。
私たちは、自分の好みで この世界を区切っている、といえるかな。
この好みが否定的なほうに転ぶと、差別とか いろいろ悲しいことになるんだけれど、最近 そういう悲しい線引きを もう一度ゼロに戻そうとする動きが 少しずつ増えてきているようで、うれしいこと♪
たとえば、こんな話 とか、こんな話 とか。
線引きがなんでもかんでも悪い とか そういうことではないんですよ。
二元対立世界は、好きじゃないものを通して 好きを知る世界、選ばないものを通して 選ぶものを知る世界、自分じゃないものを通して 自分を知る世界 なんだもの。
好きなもの、選びたいものを知って、自分の世界を思い通りに創っていけるのは 幸せなこと。
ただ、個人的な区別を超えて、集団意識で 少数者を圧迫し 悲しませるような ネガティブな線引きが消えてゆく流れは、歓迎していいことのような氣がしています (*^^*)
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