幼稚園のころ住んでいた 大阪の鉄筋4階建ての白いアパートには、たぶん風を通すためでしょう、床すれすれの低い位置に 格子のはまった小窓がありました。
大阪といっても 当時の泉南は まだまだ田舎で、まわりは田んぼに囲まれていて、その田んぼを 耕運機ではなく 牛が耕しているのです。
木製の鋤をつけた牛に お百姓さんが付き添い、田んぼを端から端まで行ったり来たり。。。。「牛の歩み」 という言葉があるぐらい、その往復は ゆっくりゆっくりなのですが、幼稚園生だった私は、チビだから そんな低い窓から覗けたのでしょう、格子窓にくっつくように 横向きに座って、その光景を 飽きずにひたすら眺め続けていた記憶があります。
今でも その光景を思い出すと、じんわり心が和みます (^^)
そのぐらいの歳から すでに他人が苦手だったようで、近所に同い年の子がほとんどいなかったこともあり、友だちと遊んだ記憶があまりなく、ひとりで景色を眺めていた思い出ばかり残っているのですが、そのひとつひとつが 今思い出しても たまらなく美しくて なつかしくて。
背丈ほどもある草が生えた空き地に 午後の日が差し込む中を ジュズ玉採りに行ったり、田んぼの向こうの線路に落ちかかる 丸くて真っ赤な夕日を眺めたり、ブランコに乗ったまま 背を逸らして 背後の木の葉のすきまから漏れる光を見上げたり、自転車にまたがって 目の前に広がる田んぼの 青々と伸びた稲が 風に吹かれて 波のようにうねるさまを見つめたり。
そういうときは、きっと心も安らいでいたのでしょう、ふと脳裏に浮かぶ そんな光景には、いつも えも言われず温かく穏やかな心持ちが ついて回ります。
その後、同じ市内の少し離れた場所に引っ越して、新しい学校で 5~6年生のとき クラスから孤立することになるのですが、今思えば あれも刷り込まれた観念が引き寄せたこと。
あの経験で ますます人嫌いになりましたが、私の心は 当時は氣がつかなかったけれど、いつもまわりのちょっとした自然や景色から 養分をもらっていたようです。
登下校時 道路脇の溝を流れる水に 光が反射するさまや、昼休みに上がった屋上から眺めた 遠くまで広がる街並みなど、なつかしい光景が 心のアルバムに 今もしっかりしまわれています。
そして それらを思い出すたびに、そのとき感じた ほのぼのとした幸福感も いっしょによみがえります。
他者は怖い という思い込みのおかげで、それと意識しない不安にまとわりつかれ続けた子ども時代ですが、そんなときでも 自分のなにより好きなものをちゃんと見つけて 幸せややすらぎを見出していたんだなぁ、と思うと、なんだかほっとします。
そして その思い出は、今でもかけがえのない宝物です (*^^*)