14日のスーパームーンは 残念ながら雨で見られなかったけれど、きょうは朝から快晴
ヒイラギが可憐な花を咲かせ始めました♪
この花の清々しい香りが好きで好きで
葉っぱはトゲトゲで愛想なく 落ち葉のトゲさえも硬く鋭くて 夏の草取りの間 どれほど痛い思いをしたかわかりませんが、この香りだけで すべて許せてしまいます(*^^*)
南天もすっかり色づいて
サザンカの蕾もほんのりピンクが見え始め
そんな中でもまだ美味しい実を恵んでくれる けなげなミニトマトに感謝
そうそう、以前 かのアイリスの中にさりげなく混じって伸び始めた枝を 「キミはだれ?」 と載せた記憶がありますが、こんな実がつきました♪
ムラサキシキブだぁ~ \(^o^)/
ただ、このアイリスの群生の中でこのまま大きくするのはちょっと・・・・だし、通路の確保の問題もあるので、どうしたものか ただいま悩み中 (-_-; )
せっかくの天の恵みを生かせるよう いいアイデアが浮かびますように。。。。
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怒りのおおもとをずっとたどってゆくと やがて純粋な悲しみに行き着く・・・・と 以前書きましたが、最近この 「ピュアな悲しみにたどり着く」 頻度が増しています。
そしてそのたびに思うのです、ああ すべてはここから始まったんだな と。
まだまだ神に近かった幼い子どものころ、違和感に突き当たり 万事が順調に思い通りに運ぶわけではないことを知ったとき まず感じたのが、この 「純粋な悲しみ」 だったのでしょう。
そのまままっすぐ受け止め 味わい尽くせれば それでおしまいだったはずが、素直に悲しみを表すことを許されず 押し殺して感じないようにしてしまったそれは、不快感が高じて怒りに転じ、どんどん上書きされ 膨らんで その後半世紀も自身を悩ませることになった、と。
率直な感情を抑圧することの恐ろしさを 改めて思います。
しかし、感覚フォーカスを重ねることで どれほど大きくねじれたネガ感情でも 逆にその源へとたどってゆけば いずれは解放できるのだともわかったことは、大きな救いです。
荒れ狂う嵐のような体感にじっと耐え 感じ尽くしたその先には、そんな破壊的なものと結びついていたとは信じられないような静謐な悲しみだけが残り、やがてすぅっとすんなり消えていきました。
高く高く澄んだ秋の空は そんなピュアな悲しみをまっすぐ吸い込み 昇華するのにふさわしい。。。。などと思いつつ きょうも光溢れる青空を愛でる貴秋です (^^)