毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その6

2020年11月29日 12時17分32秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
私たち人間は、それぞれ独自のものの見方を持っています。

それは 「幼少期に身近な大人から無条件に取り込んだ情報 + 自身の過去の体験から獲得した情報」 を基に、日々新たな情報が付け加えられて変化し続けており、まったく同じものは二つとありません。

私たちの属するこの世界は 大小 ・ 高低 ・ 強弱など相反する二要素が一対で成り立つ性質を持っていますから、ひとつの視点には正反対の視点が、ひとつの意見には正反対の意見が、必ず存在します。

ウサギがライオンに食べられるのを見れば かわいそう! と思ってしまうけれど、ライオンからすればそれは当たり前の食事風景であり、偏った正義感から人間がウサギを助けに入れば、それはライオンにとっては理不尽な仕打ちです。

誰もみな 自身の基準に照らせば 正しいのであり、自分と異なる意見はおかしい ・ 間違っていると映ります。

そんな私たちが、自我を前面に押し出し 独自の基準を固守したまま 「心をひとつに、みなで力を合わせよう」 といくら叫んでも、無理というものではないでしょうか。

せっかく物語を共有する力を得て、協力し合うことで どんな生物よりも強い力を発揮できるようになったというのに、これはいったいどうしたらいいのでしょう。




自分の意見や価値観というものは 誰しもはっきり自覚していますので、これは顕在意識に属するものです。

が、私たちの意識の九割を占めるのは 知覚できない潜在意識の領域、潜在意識には言葉も理屈も通用せず、顕在意識でコントロールするのは不可能です。

形ある世界は五感で手応えを感じることができ、論じることも計量することもできますが、潜在意識は五感も言葉も及ばない領域で、言葉を止めてただ感じるしかなく、そこには自我も個の論理も存在しません。

日ごろほとんど忘れられているこの領域が 私たちの人生でどのような役割を担っているのか、ちょっと探ってみましょう。




蝶や蛾は、誰かが音頭をとっているわけでもお知らせが回ってくるわけでもないのに、時期が来ると次々と繭を作ってさなぎになります。

さなぎって何? 繭ってどうやって作るの? なんて聞いてまわることもありません。

また 人間以外の動物は、お医者さんや助産師さんの助けも借りず 医学の勉強もせずに、自力で子どもを産み落とします。

子育てだって 母親教室で教わらないとできない動物なんていないし、セミやヘビが脱皮の仕方をレクチャーされてるなんていうのも見たことがない。

前もって教えられていないことをどうして彼らはできるのかとずっと不思議だったのですが、ある頃から これは逆なのかもしれないと思うようになりました。

何事も教えられなければできない人間のほうがおかしい。。。。というか、人間だって 前もって教わらなくてもわかる ・ できる力を持っていて、ただそのことを忘れているだけなのではないかと。




私たちの身の周りにあるどんな物も 誰かのアイデアが形になったものであり、そのアイデアは突然のひらめきから訪れます。

なんの脈絡もなくいきなり 「いいこと思いついた♪」 なんてこと、どなたも一度は体験されたことありますよね。

私たちの世界は きちんと言葉 ・ 理屈で証明できないものは勘定に入れず切り捨てる傾向がありますが、こういうことは 証明できようができまいが けっこう頻繁に起きている。

「知覚できない世界なんてあるの?」 「言葉の及ばない領域?なにそれ?」 と思われる方も、氣づいてないところでそういう領域としっかりコンタクトしてるわけです。

ひらめきが 無意識のときやぼんやりしているときに出現するのも よく知られていることですが、「無意識」 「ぼんやりする」 とはすなわち なにも考えていない状態、言葉が止まっている状態。

つまり、意識の焦点が顕在意識から潜在意識に移っているときです。

私たちの理論脳の動きが止まり 言葉が消えて 潜在意識の領域にあるとき、理屈を超えたひらめきが訪れる。

貴秋は、いまの世界のさまざまな厄介ごとの突破口がここにあると思うのです。