毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

魔法の杖を使うには

2017年07月02日 12時32分59秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


感覚フォーカスは単純です。

感覚フォーカスにおいて 小我が 「する」 のは、からだに上がってくる特定の感覚を認め 感じ切ることだけ。

そのとき 言葉を使わないように とか ふと浮かぶ記憶や映像に意識を奪われないように などとは注意しますが、あとのことはみな結果的に あるときふと 「起きてくる」 のです。




感覚フォーカスの根底にあるのは、「雲の向こうにいつでも太陽があるように、自分でないものの向こうにいつでもほんとうの自分がいる」 という認識。

ほんとうの自分を育てることも探し回ることも引き寄せることもいらない、それはもともとつねにここにあるのだから、と。

前向きであろうとか 否定的なことは考えないとかマインドでがんばるのは、新たに太陽を作ろうとするようなもの。

そんなことしなくたって、見えようが見えまいが それはいつでもそこにあるのです

あとは その事実に氣づくかどうか、認めるかどうかだけ。




そうえいば、映画 「マトリックス」 の モーフィアスのあのセリフ 「速く動こうと思うな、速いと知れ」 は、きっとこういうことを言ってたんだろうな♪




以前にも書いたかと思いますが、ニール ・ ドナルド ・ ウォルシュ著 「神との対話」 に出てくる 「十戒」 についての神の説明。

キリスト教の 「十戒」 とは、~せよとか~してはならないという戒律ではなく 神を見出せばおのずとこうなるであろうという言質なのだ、という話ですが、書いているニールさんもビックリのこの内容、初めて読んだときは へぇ~? って感じでしたが、今はナットクです。

神の 「結果的にこれこれこうなるであろう」 という御言葉を 「なるほど、これが神を見出したものの行いなんだな、ならば 自分もこのように行動すれば 神を見出した者になれるんだな」 とマインドで受け止めちゃったのが、おおかた現在広く知られている “モーセの十戒” の始まりだったんだろうなぁ。。。。と (^_^;)




貴秋が感覚フォーカスを魔法の杖と呼びたくなるのは、杖を一振り 呪文を一声 のようにシンプルに用いるだけで、あとは望む効果が向こうからぞくぞくと起きてきてくれるからですが、単純であることと簡単であることは また別の話。

あのハリー ・ ポッターだって、魔法の習得には何年も学校に通わなくちゃならなかったんだものね

魔法の杖を使いこなすコツは、まず杖の力を信じ、杖にできることとできないことをわきまえた上で、あとは自分のものになったと感じられるまで ひたすら練習あるのみ、ということのようです (^_-)