毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

こんなところにマンデラ・エフェクト!?  その3

2017年03月22日 15時34分46秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


私たちがトラブルやアクシデントに見舞われたとき、まずはショックを受け エネルギーがダウンし 氣が重くなるのではないでしょうか。

それは、そういった出来事を うれしくないこと できれば避けたいことと認識しているから。




貴秋はあるときから ここに新たな視点が加わりました。

「本来の私たちは ほんとうの自分の素晴らしさを体験的に知りたいがために わざわざ制限を設け 不自由な身となってこの世に生まれてきた神のひとかけらである」 という視点が。

ほんとうの自分は完璧で 非の打ち所なく素晴らしく、素晴らしさしかないゆえに 素晴らしいとわかっていても それを実感することができない。

だから、あえて 「素晴らしくない自分、欠点も弱点もある自分」 という対立要素を作り出し さまざまなルールを課した上で、そんな面倒な世界に好んで生まれ出てきたのだ、と。

この見方でいくと 否定的な体験もすべて 自ら望んだものということになるので、「この出来事は私に何を体験させようとしているのだろう?」 と進んで確かめようとする氣持ちが生まれます。




さらにもうひとつ 「まわりに展開する光景は、人も場所も物事もすべて 自身の内面が投影されたものである」 という視点も得ました。

日ごろの私たちにとって 外側はあくまでも外側、自分とは別のもの。

でもこの視点に立つと、外は外であると同時に 内でもあるのです。

まわりのものを鏡に見立てて 自身の内側を見つめるわけです。

この世でただひとつ 自分自身の姿だけは、自分の目で直接見ることができません。

同じく 性格やおかれた状況などを第三者的に捉えようとしても、その捉えようとしている主体はマインド ・ 自我なのですから、客観的に見るのはやはり不可能。

そこで、鏡やカメラ ・ ビデオなどを通して自身の外見を知るように 外の世界という鏡を使って心の内を知るのです。




外の世界を自分と別物と思っていると、外側の人間や状況が 自分を困らせ苦しめているように思えて反発し、ネガティブな氣持ちを全部外に弾き返してしまいます。

外に見えるもの = 自分 という視点に立つと、ここががらりと変わります。

まず 外の世界に感じるのと同じ要素を 自身の内に見つけようという意志が働きます。

思い当たるものが見つかったら、自責等の判断解釈はいりません。

ただ こんなものがあったんだなぁと知り、その感覚を味わうだけでいいのです。

ネガティブな要素も含め、私たちは可能な限りのさまざまな体験をするために この世界にやってきたのですから。




このとき私たちの視点は 体験している世界の外にあります。

外に向かっていた心の目が 鏡に当たってはね返り、外から内を見る視点に変わっているわけです。

感覚フォーカスのたび ざらつきや締めつけなどの不快感がすぅっと消えてゆくのを体験していますが、演技を終えた俳優が役を降りるように 当事者から観察者へと立場が変化するから 当事者だったときの感覚が消えるのだと考えると納得です。

問題の引き金であった負の感覚が消え 氣持ちのありようが変わると、すでに起こってしまった物事にも おのずと解決の道筋が見えてくるようです。

悩んでいる最中は 袋小路に閉じ込められたように思えることもありますが、それはひとつの視点だけから眺めているからで、複数の視点から見渡せば 壁と思われたところに出口が見えてきたり 開かなかったドアが開いたりするようなことが起こります。

いや むしろ 袋小路と思い込んでいたものが幻であったとわかるというほうが正しいでしょうか。




こうして大小さまざまなピンチを通り抜けてゆく中から、俳優がセットの外に出て モニターで自身の演技を確認しては よりよいものに練り上げ 質を高めてゆくように、私たちも複数の視点を持ち 五感の世界を出たり入ったりすることで 問題が生まれては消えてゆくプロセスを味わいつつ 人生の質や幸福度を高めてゆくことができるのだと 次第にわかってきたのです。