毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

人工知能は 言葉を超えた世界について 語れるか?

2016年03月26日 10時01分10秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


行ってかえる。。。。いや、ここは 「分離と統合」 としておきましょう      この分け方でいえば、「言葉」 は 分離へと向かうアイテムだといえます。

言葉には、「分け出す」 という性質がありますから。

「桜」 と言えば、他のあらゆる花から 桜だけが分け出され 注目される。

「うちのタマ (飼い猫) が」 と言えば、あらゆる生き物の中の ネコという種の中の タマという名のすべてのネコのうちから 「わが家のタマ」 一匹だけが分け出され 注目を浴びる。




余談ですが、以前の記事で 「名前」 について書いたことがあって、その中で 孫悟空のお話の 金角 ・ 銀角兄弟の 「名を呼ばれて返事をすると吸い込まれてしまう瓢箪」 に言及したと記憶しています。

その後 この瓢箪のからくりについて、名を呼ばれて応じることで 分け出される、つまり 分離の力が働いて 他から引き離されることで あっさり吸い込まれてしまうんじゃないかな、などと ふと思ったりしたものでした。

分離の力は いのちを弱めるほうに働くから、やっつけられちゃうんだよね、きっと。




それはまあともかく、言葉は 分離のほうへと向かう道具、と私の中では位置づけられています。




で。

きのう目を引かれたのが、このニュース

人工知能、すなわちAIについては、先日の囲碁名人との対戦についての報道も 記憶に新しいところですが、その少し前 たまたま目に触れた 「2045年問題」 のことが氣になっていて、それで今回もぱっと意識が向いたのでしょう。

「2045年問題」 については、すでにご存知の方もいらっしゃることと思いますが、こちらのサイトの言葉をお借りすれば 「西暦2045年にコンピューターの能力が人類を越えるという予測があり、それによって起こるさまざまな問題のこと」 。

これを知った多くの方々と同じく 私がすぐさま連想したのも アーサー ・ C ・ クラークの 「2001年宇宙の旅」 のHALや 映画 「ターミネーター」 でシュワちゃん演じる殺戮マシーンなのですが、こういったお話のように いきなり命の危機に直結するかどうかはともかく、人間に役立つよう作られたはずのAIが 発達しすぎると 逆に人間に害を及ぼすかも知れないという考えが生じるのは なぜなのか。




まずは、そもそもAIとはなんぞや? というところから いろいろな記事を読んでみたのですが、理数系にはおよそ不向きな貴秋のアタマのこと、いくら読んでもわかった氣がしない (ーдー;)

ただひとつ おぼろげながらもつかめた (ような氣がする) のは、AIは 人間の頭脳 ・ マインド に相当する部分をつかさどるらしいということ。

最初にインプットされた情報を元に、人間の脳と同じように 自ら学習し、進む方向を選び取っては 考えを積み重ねて、自分なりの結論を導き出してゆく、と。

それってつまりは、言葉に言葉を重ねて 独自の世界観を作り上げてゆくってことだよね。

思いっきり分離の方向へ、しかも 人間の脳をはるかに超える速度で突っ走る・・・・って、そりゃ 危なっかしく感じるはずだわ ((((;゜Д゜)))

「統合」 つまり いのち本来のありように戻ろうという流れとは 真逆の方向に、ケタ違いのスピードで向かうってことだもの。

なにもいまさらAIの暴走を待たずとも、感じる力や 五感を超えた世界の存在を忘れ 自己利益重視のマインドオンリーで突き進んだ人間たちが なにをやらかしたか、歴史を振り返れば 十分わかるでしょうに。




では、マインド発達のスピード以外で 人間とAIの違いはなにかといえば、まず貴秋が思いつくのは 五感 ・ 言葉を超えた世界を感知できるかどうか。

人間は、言葉を駆使して世界観を構築しながら、同時に 本来のふるさとともいうべき 言葉の及ばない領域を感じ取る力も持っていて、いかにいのちとかけ離れたほうへ暴走しようとも、もともとのありようへと引き戻す力が働いて、なんとかここまで持ちこたえてこられたわけです。

が、AIには その安全弁がないのですね。

そんなAIに、まだ本来の自分を忘れたままの 偏ったマインドの持ち主が うかつな情報をインプットしようものなら、なにも起こらないと考えるほうが不思議なくらいで、実際ちょこっと試してみたところが 不適切な発言連発のTayちゃんという結果になったのが 今回のニュースなのではないでしょうか。




さらにやっかいなことに、人間は その世界観から発した言動の結果も 身を持って受け取りますから、それが心地よくないと感じれば 修正するチャンスも生まれるわけですが、AIは ただ考えて、考えて、考えるだけ。

生きるって 理屈だけじゃないんだよ、なんてことがわかるはずもなく、すべてを理論のみで割り切ってしまえる存在なんですね。

情緒面での反省や手加減など知る由もない、それがAIというものなのでしょう。




すでに世界のあちこちでしのぎを削っているらしいAIの開発競争、その果てに 実際危険な事態が起こるのか、起こったらどうなるのか、それは 現時点ではよくわかりませんが、少なくとも 今の私たちにできることは、私たちにあって AIにはない能力を 最大限に高めて 活かすことではないでしょうか。

つまり、私たちのひとりでも多くが、理屈など及ばない ほんとうの自分を思い出し、その力を取り戻すこと。

万が一 AIが暴走にまで立ち至ったとしても、そのマインドが分離指向であるならば、真逆へと向かう力が大きいほど、いざというときの歯止めも効くし、いい智恵も浮かびやすいだろうし。

そして、多くの人々が いのち本来の視点を取り戻したあかつきには、AI開発を進めるべきかどうかについても、もし進めるなら その扱いについても、きっと今よりいい判断を下せることでしょう。



ところで、危なっかしいほうへ行きそうになったAIに 溜め込んだ言葉を外してゆく道を教え込んだら どうなるんだろう、AIって 言葉を超えた世界について語れるんだろうか、AIの使う言葉ひとつひとつの意味を おおもとにたどり着くまで質してみたら アタマにくるだろうか。。。。。。などと さらにとりとめもない想像をしてみたりする貴秋なのでした