毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

クレッシェンドな人生♪

2015年11月11日 10時13分50秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「若いころはよかった」 という言葉が、まるでぴんときません。

子どもがおらず、いまだに氣まま好き勝手をさせてもらっているおかげで、年齢相応? の実感に乏しいせいもあるでしょう (^^ゞ

もうひとつ、「若いころ」 が 「よかった」 という実感が、およそないのです。




私の母は、子どもの目から見ると 肝が据わって 氣が強くて いかにも頼もしげだったのですが、実は かなりの怖れや怒りが内在していて、それゆえの強固な鎧を 頼もしさと取り違えていたことに、大人になってから氣づきました。

4歳になる少し前 弟が生まれるまでは、そんな母と ほとんど二人きりの密室状態。

同じ年頃の子どもと遊ばせられなかったことを、母は 当時患ったC型肝炎のせいと説明していて、たしかにそれもあるでしょうが、なにより母自身が人付き合いが苦手で、わが子の友だちづくりのために 新たな人脈開拓をするのが氣重だった というのが主な理由だろうと、今では思っています。

精一杯よき母であろうとするのだけれど、幼少期から溜め込んだ怒りのせいで ときに理不尽なキレ方をする母との暮らしは、不安定で 大きく偏った性格を作り上げ、さらに彼女の人間不信が 「頼りになるのは家族だけ」 という世界観を植えつけました。

自身の もてあますほどの怒りと人嫌いは、まるっきり母のコピーだなって よく思ったものです (^_^;)




昔の写真を見ると、さすがにうんと小さいころは それなりの輝きを放っていますが、少し大きくなると 表情が乏しくなり 目に光がなくなってきます。

のびのび楽しいはずのティーンエイジャーのころも、希望で胸ふくらむはずの20代も、もの硬く 生氣のない顔つきが並び、笑顔すら 作り物の仮面をかぶっているようで、喜びが伝わってこない。

ありのままの自分を忘れ、つねにそこはかとない不安につきまとわれっ放しの日々だったのですから、ムリもないのですけれど。

歳を重ねるにつれて、そのころの記憶はどんどん希薄になっていきますが、それでいいのだ、むしろそれぐらいがいいのだ と思っています。




そんな私が、さまざまな人や情報に助けられて 内側の曇りを大きく減らし、ほんとうの自分を取り戻した、かつてないこの輝かしさ、充実の手応え。

晩秋の日ざし、舞い散る枯葉、世界はなんて美しいのだろうと感嘆の毎日、しとしと降る雨さえいとおしく思えます。

そんな今と比べれば、過去の世界が よほど色あせて見えるのは いたしかたないこと。

時系列に並べてみたとき、昔のほうがよかったなんて まちがっても思うはずがないのです




青春時代に 輝くような記憶がないのは 少し悲しいけれど、それを差し引いても 後へ行くほど胸湧き踊る人生の素晴らしさは 例えようもありません♪

しかも、これからますます曇りが減って 輝きが増すのは確実

人生の手綱を この手に取り戻せたのだもの d(≧∀≦*)




過去の出来事は変えられないけれど、今の自分を変えることは いくらでも可能。

後へ行くほどよくなる生き方は、誰でも実現できるのです。

クレッシェンドとは 音楽用語で だんだん強く ・ 大きく の意味。

そんなクレッシェンドな人生、万歳 \(^o^)/