毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

まず 曇りから

2014年12月20日 16時55分29秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きょうは朝から雨、午後になっても氣温が上がらず、こたつにもぐり込んで 生姜葛湯などいただいています

晩ご飯は何にしようかなぁ。。。こんな日は、やっぱりからだの芯からあったまるものがいいなぁ(*^ー^*)




同じこと繰り返し書いているような氣もするんですが。

すでにインセプション(植え付け)されてしまった思い込みを抱えたまま、いくら意識を変えようとしても、どだい無理な話だったんですね。

先人たちの本は、変わることの大切さは説いても どう変わるか 具体的な手立てについては書かれていなくて、意地悪をされているような氣がしたことも たびたびありました。

でも今は、書かれていなくて正解だったんだと思います。

自分だけの道を見つけること、手探りしながら これまで見えていなかったものに目を開かれてゆくプロセスこそ、この世に生まれてきた理由であり、“リーラ” の醍醐味なのですから(^^)




「潜在意識の書き換え」 などという言葉を時おり目にしますが、根本から意識を変えるというのは、筋トレのように ここをこう動かせば この部分が鍛えられる、といった、因果関係がはっきり見えるものではないようです。

もちろん、これまでと違う自分を目指すことには変わりないのですが、具体的に「ここを こんな風に変えたい」 と意図して働きかけて、望みどおりの変化を起こす、というのとは ちょっと違うような感じを受けます。

自我のレベルでコントロールできるものではないっていうことかな?




そもそも、自分を 「変える」 必要なんてないのだ、と知りました。

本来の自分は、神のごとき完璧な存在なのだから。

ただ、そんな自分を見えにくくしている曇り     それももともとは自分で意図して付けたものなのだけれど     を拭い続けるだけ。

雲があってもなくても お日さまはお日さま、雲が立ち退けばお日さまは現れる、お日さま自体を変えようとかどうこうしようとか、そんな心配はしなくてもいいのですね




朝目が覚めるたびに 暗い思いがじわっと流れ込んで 胸を塞がれる、そんな感触は 今でもありありと思い出せますが、あくまでも 「記憶」 として 今の自分とは距離が保たれています。

何より大きな変化は、プラス思考で先をイメージしても、それを打ち消す声が まったくといっていいほど上がらなくなったこと。

引き寄せの法則などに熱心だった頃は、うまくいってないと感じるときほど けんめいにイメージの書き換えを図るのですが、そのたびに 「そんなにうまくいくわけがない」 と冷水を浴びせるようなささやきが 覆いかぶさってきたものです。

それがぴたりと止んで、むしろことさら努力しなくても 前向きな明るい未来の光景が 自然にすっと浮かぶほどに変わってきました。

プラスイメージに書き換えるんだとがんばっていたときには どうしても叶わなかったことが、心の奥深く張りついていた 過去の痛みと向き合い続けるうちに、無理なく力まずできるようになったのです。

これって、できない自分をできる自分に変えたのではない、本来の自分とかけ離れた思い込みの曇りを拭い続けたことで 本来の自分が戻ってきただけ、と思えてなりません。





私たちは 「しつけ」 という名の下に、言葉によって 善悪・正誤の判断基準を刷り込まれ、また 刷り込む側にも回ってきました。

でも、それはほんとうに私たちの中に 矛盾なくしっかり根付いているのだろうか?

「傷つけたり殺したりするのはいけないこと」 と聞けば、誰でも 「そんなこと当たり前じゃない」 と答えそうだけど、実際には 傷つけたり殺したりのニュースが後を絶たないのはなぜ?

小さな子どもでも、個人差はあれど すでにさまざまな引っかかりやわだかまりを抱えています。

それをそのままにしておいて、外から言葉でいくら善悪の基準を説いて聞かせても、そこに矛盾が生じたら、強いのは 理屈を超えて刷り込まれた情報のほうなんじゃないかと思うのです。

自分の体験から言って、言葉で作られた概念は、心の奥深くに刻まれた思い込みの前には 無力だという氣がします。

説いて聞かせる方だって、実は矛盾する思いを抱えているのかもしれない。

そうなれば、「正しいことになぜ従えないの?」 と自分を責める氣持ちが起こり、自信を失ってしまうのは避けられません。

怒りや恨みがあまりに強ければ、わずかな氣の迷いに 思い込みが勝って、衝動的に行動してしまうことも起こり得る。

私たちが、そんなことしたら認めてあげませんよ、罰しますよ、愛してあげませんよ、という “ 脅し” なしで、自然に 傷つけたり殺したりしなくなるのは、私たちの心の曇りが取り除かれて、明るく自由になってからのことなんじゃないかなぁ。。。

どんな道徳教育よりも前に、自分のほんとうの思いを 否定したり責めたりすることなく見つめ、偽りの情報を解き放つことが、みんなを満たし 幸せにし、世の中もよくしていくんじゃないかな、と そんなふうに思えてならない きょうこの頃です。