毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

脱皮

2014年12月18日 23時54分25秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


二度目の白浜での滞在期間が終わりに近づくほどに、この貴重な機会を1分1秒でもムダにすまいという思いが ますます強くなり、仕事前に 過去と向き合う心構えを確認したり、その日あったことを 仕事が終わってから 日記にしたためつつ じっくり振り返ったり。

そんな日々もついに終わり、家に戻って半月が過ぎました。

最初のうちは、久々に24時間すべて自分の自由という暮らしを取り戻したことで 氣持ちがおおらかになっているんだろうと、のんびりストレスのない毎日を楽しんでいましたが、そのうちだんだん こんなのどかなことでいいんだろうか、白浜では あれほどパワフルに氣づきを得て前進し続けていたのに・・・と 氣がかりになってきました。

そんな中で、ふと氣づいたのです。

寝ても覚めても 常にそこはかとなくつきまとっていた あの灰色の不安が、きれいさっぱり消えていることに。




自分の氣持ちが かつてなく穏やかで落ち着いて 翳りなく、しかも その状態がずっと続いていることに氣づいたのは いつだったか、よく覚えていません。

ただ、今振り返ると まだ白浜にいるうちから そんな感じが少しずつ始まっていたような氣がします。




ほとんど半世紀以上も 常に不安のベールがかかった精神状態が当たり前になっていて、そんな中で想像する 「不安のまったくない心」 というのは、イメージしにくい分 とてもインパクトが強く 感動的に思われたものです。

が、いざ実際にそうなってみると、今はもうこちらがスタンダード、感動するよりむしろ ずっと前からこうだったようにさえ感じられ、不安がなくて当たり前と言わんばかりに淡々としたもの、不思議といえば不思議な氣分。

じゃあ、不安や心配なんてまったくなくなったのかというと、そういうわけでもなくて。

ただ、上がってきても、それが 自分の “今 ここ” に張りついて同化してしまうことがなくなったんです。

つまり、それは 「記憶」 として認識されるだけで、今の自分の感情として 自分を振り回すことはなくなった、と。

その奥には、たとえ上がってきたって どう対処すればいいか 今の自分はよぉく知っているのだから、という安心感があるような氣がします。

もうほんとにね、いつの間にやら すっかり安心ベースの毎日




白浜滞在の終わりごろ、ああ、私は この場所ごと 過去にせっせと育ててきた殻を脱ぎ捨てるんだ、と感じたときがありました。

ただ 仕事が終わるというだけでなく、そういう仕事や場・人間関係などを選ばせてきた 自分の思い癖も みないっしょに脱ぎ捨てて 置いていくんだ、と。

前回・2~5月の仕事の終わりには感じなかった、この心地。

長年抱え込んでいた負の思い込みの大半を手放せたことの証だったのでしょう。

あの頃からなんとなくそんな氣はしていたけれど、今はもっと自信を持って 言い切ることが出来ます。

全部とは言わないけれど、大半は手放せたんだ、と。




それと同時に やはり同じ頃、新しい課題も見え始めていたのです。

それまでは、好きになれない人や状況とどう折り合ってゆけばいいのか、というのが いつも問題でしたが、新しいテーマは、好きな人や状況に対しても やはり不自然な態度をとってしまう自分に氣づいたところから 始まったようです。

心の荷が軽くなるにつれて、仕事相手とのなんやかんやもぐっと減り、感じのいいお客さまに恵まれることが多くなってきたのですが、相手が素敵な人であればあるほど、相手に好かれたい、喜ばせたい、という欲が高まり、氣が逸って空回りして、不自然な態度をとってしまう自分がいることに氣づかされたのです。

いや~、あまりにも長い間 ネガティブな感情に振り回される悩みにばかり 氣持ちが向いていたから、こんな面もあったんだということに まるで氣づいてなかったよ (^_^;)

まあ、することは同じだしね。。。。ただ、これまでとは違う感覚や感情に アンテナを向けるように変わっていく、というだけで。




これからも、本来の自分を見えにくくしている曇りを取り除き続けていくことに変わりはなく、ただ、あるひとつの段階を まがりなりにもクリアして、新しいステージに進むことができたのかな。。。。と そんな思いでいます。

そしてそれは、未来への明るい見通しにつながっているようです