突然ですが。
今や国民的漫画とまで言われている 少年ジャンプ連載の「One Piece」(尾田栄一郎作)、実は私も大好きなんです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
連載開始からアラバスタ編の中ごろまでは、リアルタイムで毎週愛読してました♪
(ご存じない方、わからない話でごめんなさい)
とにかくストーリーが面白い、キャラも魅力的、と語り出したら止まらなくなりそう(笑)
中でもこれは作者尾田栄一郎さんのお人柄なのでしょうか、絵に“陽の氣”がみなぎってるところが大好きなんです。
あらすじだけ文章で読むと、そこは海賊が主人公の物語なので 陰惨なイメージが浮かぶシーンもあるんですが、あとから漫画で見ると え?と思うほどからりと明るい。
あと、女性キャラが颯爽として甘えてないところも大好き。
「麦わらの一味」(主人公モンキー・D・ルフィを船長とする海賊団の通称)メンバーのヒロイン二人なんて かなり悲惨な生い立ちなんだけど、性格がねじ曲がることも 自己憐憫に浸ることも 悲劇のヒロインを氣取ることもなく、しっかり自分の足で立って まっすぐ前見て 笑顔で人生切り拓いてて♪
そして、何より素晴らしいのは 随所に見られるすごい台詞。
主人公たちはもとより、サブキャラ、ゲストキャラ、さらに俗に「イロモノ」などと呼ばれるクセの強いキャラが、うわ!と思うような 真理を突いた言葉をさらり、ずばりと口に出す。
思わず深くうなずいてしまうような 記憶に残る名言がいくつもあるんだけど、貴秋One Piece名台詞ランキング・栄光の1位(なんじゃそりゃ)は、アラバスタ編の終わりのほうに出てくる アラバスタ国王の言葉。
砂漠の国アラバスタは、ある犯罪結社の企みにより 国王が私腹を肥やす悪者であるかのように国を挙げて思い込まされ、反乱を決起するまでに追い込まれた上で、それと氣づかぬうちに乗っ取られようとする。
その企みに氣づいた王女と忠臣が 秘密結社に潜入し、そこに麦わらの一味が絡んで。。。とまあ いろいろある(笑)んですが、王女や一味の奮戦空しくとうとう反乱が起こってしまい、多くの血が流れた末に ようやく事の真相が明らかになって、敵の罠にはまって無益な戦いをしてしまったことを思い知らされた民衆が呆然と立ちすくむ。。。
そのとき国王が 皆に向かって力強く語りかけるんですね。
“悔やむことも当然 やり切れぬ思いも当然
失ったものは大きく 得たものはない
だが これは前進である
戦った相手が誰であろうとも
戦いは起こり 今終わったのだ
過去を無きものになど 誰にも出来はしない
この戦争の上に立ち 生き延びてみせよ アラバスタ王国よ!”
これを初めて聞いた(この場面は漫画じゃなくアニメで見たんです)とき、鳥肌がたちました。
私が国王の立場だったら、この言葉がすらりと出せるだろうか。
「だまされてたんだもの、仕方ないよね」とか「みんないっしょうけんめいやったんだものね」とか、そんなレベルの言葉じゃない。
取り返しのつかない結果に打ちのめされ、どうしようもない痛みや虚しさに打ちひしがれている人々の心に、そんなちっぽけな慰めなんか届かない。
国王の言葉は 真理なんですね。
だから、人を動かし 奮い立たせる力を秘めている。
起こってしまったことから目を背けるのでも 都合よく書き換えるのでも 正当化するのでもなく、ただただ事実を事実として認め、受け止める。
そうして初めて、そこから一歩を踏み出し 新しい道を拓くことが出来るのだと。
登場人物にこんな深い言葉を語らせる尾田先生、なんてすごい方なんでしょう。
思い返せば、これまでの私の人生で 「底をうった」とはっきり感じられた瞬間が まさにこれでした。
あのときは、まだこのセリフは知らなかったんだけど。
白浜に移り住み、それまでの自分がいかに恵まれ いかに思い上がっていたか思い知らされることの連続で 苦しい毎日を送っていたとき、突然浮かび上がったのが、
「そういう自分であることを認め、そこから始めよう」
でした。
その瞬間のその場の景色まで 鮮やかに記憶に残っています。
それ以来、降下の一途と感じられた日々が 転じて少しずつ上昇し、そして今のこの場所まで来ることが出来たのでした。
そんなことがあったから、余計このセリフがずーんと響いたんだと思います。
2月末からちょうど3月11日まで実家にいたおかげで、東北大震災関連のテレビ番組を多数見せてもらいました。
ああいう体験をされた方々に対して どんな思いもどんな言葉も無力だという氣がします。
規模は遥かに小さいながらも 昨年9月の台風被害を経験して感じたのは、励ましがかえって辛くそぐわなく感じられるときもあるのだということ。
かき乱され舞い上がった水底の砂が 再び沈殿してゆくように、時が解決してくれるのを待ちながら じっくり見守るしかないこともあるのですね。
まだ生々しい心の傷がぱっくり口を開けたままの方々を取り上げたドキュメントには、震災以来 時間というものがなくなった世界が映し出されているかのような 重く沈痛な空氣を感じました。
その一方で、震災で断ち切られた時を越えて 新しい流れを創り出している方々もたくさんおられて、私のほうが勇氣やエネルギーをいっぱいいただきました。
そして思ったのが、前進しておられる方は やはり 今・ここの自分の足元を見つめ 受け入れるところから動き出されてるんだなぁってこと。
これも良し悪しじゃなくて、被災された人の数だけ いろいろなプロセスがあって、そのひとつひとつに計り知れない重みがあって、今立ち止まったり迷ったりしておられる方々も いつかきっと次の一歩を踏み出す日がやってくるのでしょう。
じっくりと傷を癒して ありのままを受け入れるところから。
その道のりに多くのエネルギーを費やした人ほど、深い氣づきや大きな力をわがものとされるんだ。。。そんな氣がします。
今や国民的漫画とまで言われている 少年ジャンプ連載の「One Piece」(尾田栄一郎作)、実は私も大好きなんです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
連載開始からアラバスタ編の中ごろまでは、リアルタイムで毎週愛読してました♪
(ご存じない方、わからない話でごめんなさい)
とにかくストーリーが面白い、キャラも魅力的、と語り出したら止まらなくなりそう(笑)
中でもこれは作者尾田栄一郎さんのお人柄なのでしょうか、絵に“陽の氣”がみなぎってるところが大好きなんです。
あらすじだけ文章で読むと、そこは海賊が主人公の物語なので 陰惨なイメージが浮かぶシーンもあるんですが、あとから漫画で見ると え?と思うほどからりと明るい。
あと、女性キャラが颯爽として甘えてないところも大好き。
「麦わらの一味」(主人公モンキー・D・ルフィを船長とする海賊団の通称)メンバーのヒロイン二人なんて かなり悲惨な生い立ちなんだけど、性格がねじ曲がることも 自己憐憫に浸ることも 悲劇のヒロインを氣取ることもなく、しっかり自分の足で立って まっすぐ前見て 笑顔で人生切り拓いてて♪
そして、何より素晴らしいのは 随所に見られるすごい台詞。
主人公たちはもとより、サブキャラ、ゲストキャラ、さらに俗に「イロモノ」などと呼ばれるクセの強いキャラが、うわ!と思うような 真理を突いた言葉をさらり、ずばりと口に出す。
思わず深くうなずいてしまうような 記憶に残る名言がいくつもあるんだけど、貴秋One Piece名台詞ランキング・栄光の1位(なんじゃそりゃ)は、アラバスタ編の終わりのほうに出てくる アラバスタ国王の言葉。
砂漠の国アラバスタは、ある犯罪結社の企みにより 国王が私腹を肥やす悪者であるかのように国を挙げて思い込まされ、反乱を決起するまでに追い込まれた上で、それと氣づかぬうちに乗っ取られようとする。
その企みに氣づいた王女と忠臣が 秘密結社に潜入し、そこに麦わらの一味が絡んで。。。とまあ いろいろある(笑)んですが、王女や一味の奮戦空しくとうとう反乱が起こってしまい、多くの血が流れた末に ようやく事の真相が明らかになって、敵の罠にはまって無益な戦いをしてしまったことを思い知らされた民衆が呆然と立ちすくむ。。。
そのとき国王が 皆に向かって力強く語りかけるんですね。
“悔やむことも当然 やり切れぬ思いも当然
失ったものは大きく 得たものはない
だが これは前進である
戦った相手が誰であろうとも
戦いは起こり 今終わったのだ
過去を無きものになど 誰にも出来はしない
この戦争の上に立ち 生き延びてみせよ アラバスタ王国よ!”
これを初めて聞いた(この場面は漫画じゃなくアニメで見たんです)とき、鳥肌がたちました。
私が国王の立場だったら、この言葉がすらりと出せるだろうか。
「だまされてたんだもの、仕方ないよね」とか「みんないっしょうけんめいやったんだものね」とか、そんなレベルの言葉じゃない。
取り返しのつかない結果に打ちのめされ、どうしようもない痛みや虚しさに打ちひしがれている人々の心に、そんなちっぽけな慰めなんか届かない。
国王の言葉は 真理なんですね。
だから、人を動かし 奮い立たせる力を秘めている。
起こってしまったことから目を背けるのでも 都合よく書き換えるのでも 正当化するのでもなく、ただただ事実を事実として認め、受け止める。
そうして初めて、そこから一歩を踏み出し 新しい道を拓くことが出来るのだと。
登場人物にこんな深い言葉を語らせる尾田先生、なんてすごい方なんでしょう。
思い返せば、これまでの私の人生で 「底をうった」とはっきり感じられた瞬間が まさにこれでした。
あのときは、まだこのセリフは知らなかったんだけど。
白浜に移り住み、それまでの自分がいかに恵まれ いかに思い上がっていたか思い知らされることの連続で 苦しい毎日を送っていたとき、突然浮かび上がったのが、
「そういう自分であることを認め、そこから始めよう」
でした。
その瞬間のその場の景色まで 鮮やかに記憶に残っています。
それ以来、降下の一途と感じられた日々が 転じて少しずつ上昇し、そして今のこの場所まで来ることが出来たのでした。
そんなことがあったから、余計このセリフがずーんと響いたんだと思います。
2月末からちょうど3月11日まで実家にいたおかげで、東北大震災関連のテレビ番組を多数見せてもらいました。
ああいう体験をされた方々に対して どんな思いもどんな言葉も無力だという氣がします。
規模は遥かに小さいながらも 昨年9月の台風被害を経験して感じたのは、励ましがかえって辛くそぐわなく感じられるときもあるのだということ。
かき乱され舞い上がった水底の砂が 再び沈殿してゆくように、時が解決してくれるのを待ちながら じっくり見守るしかないこともあるのですね。
まだ生々しい心の傷がぱっくり口を開けたままの方々を取り上げたドキュメントには、震災以来 時間というものがなくなった世界が映し出されているかのような 重く沈痛な空氣を感じました。
その一方で、震災で断ち切られた時を越えて 新しい流れを創り出している方々もたくさんおられて、私のほうが勇氣やエネルギーをいっぱいいただきました。
そして思ったのが、前進しておられる方は やはり 今・ここの自分の足元を見つめ 受け入れるところから動き出されてるんだなぁってこと。
これも良し悪しじゃなくて、被災された人の数だけ いろいろなプロセスがあって、そのひとつひとつに計り知れない重みがあって、今立ち止まったり迷ったりしておられる方々も いつかきっと次の一歩を踏み出す日がやってくるのでしょう。
じっくりと傷を癒して ありのままを受け入れるところから。
その道のりに多くのエネルギーを費やした人ほど、深い氣づきや大きな力をわがものとされるんだ。。。そんな氣がします。