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風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

師走

2015-12-17 17:20:53 | 世評
もう12月も半ば。年の瀬である。埼玉県川口市に十二月田中学校がある。シワスダ中学校とか。謂われは分からない。

師走とは師匠が走るとか馳せるとか。師匠の師とは本来は坊主のことだったが。奈良以来の仏教とは、坊主が国家公務員だった。僧になるには、国家の免許が必要であった。

今でも、僧とは宗派の修業があるし、免許もある。男の坊主が修業している様は異様だったな。もっとも僧とは男、女は尼だな。武田泰淳が戦後、異形の者を描いた。そこには坊主たちの有り様が描かれていた。

武田泰淳も僧だった。まあ風貌からして異様にも感じていたが。戦後太陽族とか言われていた「太陽の季節」にも男根で障子を破く様が描かれていたそうであったが、それはお遊び。原型は異形の者であろうな。

もっとも、僧の修行の際には、男根は一種の遊び。水上勉も幼少の頃、寺に預けられたが男色もあるんだな。まあ、男だけの世界だから外の世界からは分からない。

軍隊も昔は男の世界。原子力潜水艦などは、何ヶ月も海の中、始終公務ではないだろう。私的には様々な遊びもあるだろうな。昔の男は飲む、打つ、買う、果ては釣りだな。中国などは高尚な趣味として、釣りがあった。

日本の江戸幕府なども、下級武士などは、登城するのはせいぜい週に1回ぐらいであろう。その間やることもないので、釣りに興じる者もいた。

釣りと言っても、岡釣りでなく、魚を釣るんだな。人は食うためでなく、釣るんだな。下手をすると釣って逃がすこともある。動物では獣には考えられないな。

武田泰淳には「ひかりごけ」もある。人が人の肉を食う。人の肉を食った人を人が裁けるかな。ひかりごけとは美しい苔なんだな。南信州の駒ヶ根の光前寺には「ひかりごけ」が生えている。

まあ、ひかりごけに描かれている事は実際にあったし、裁判にもなった。それを題材として武田泰淳が描いた。

今年もあと二週間、半月である。過ぎ去った日々は早く感じる。2015年はどうであったろうかな。

最高裁は、女性にだけ離婚後6ヶ月間の再婚禁止を定めた規定については、憲法に違反すると。少なくても100日間で良いと。確かに男女同権ではないであろうな

外国には戸籍はあるだろうか。無いようにも聞いているが、分からない。英語では男はMr.ミスタ-、独身女性はMissミス、既婚女性はMrs.ミセスと言う。何ゆえ男と女と分けるか、女だけ婚姻により差をつけるか分からない。フランスでは名詞も男性名詞、女性名詞と別れていると。マスコミでは肝心のことは不明である。夫婦別姓も、結局は戸籍の問題であろうな。戸籍が無くなれば、夫婦別姓も相続も関係なくなる。

天皇、裕仁や明仁には、戸籍がないとも聞く。どうだろうか。しかし系図はあるんだな。戦前は神武ジンム、綏靖スイゼイ、安寧アンネイと小学校、中学校と官立の学校では暗記されられた。

もっとも、この暗記のおかげで、命を救われた者もいた。右翼から襲われたらこの歴代天皇の名を挙げると許される。文字で書くと崇拝されるんだな。

氏素性は難しいし、慣れもあるだろうな。いや慣れじゃなく、根源的な問いかもしれない。神武ジンム以来、皇室は続いている。日本の家でこんなに長く続いているのは、今一つは薩摩の島津家と言われる

最高裁は民法とかは意外と憲法違反の判決を出す。最高裁大法廷も多数決で決めるようだな。何にしても民主主義とは多数決だと。それは政治の世界だけではない。所詮、法律も突き詰めると多数決かも知れないな

まさにパソコンやインタ-ネットの世界だな。二進法の電子計算機ではイエスかノ-と選択する、中間が無いんだな。白か黒かだな。政治の世界での小選挙制度にも似ている。

最高裁は、前にも相続で、非嫡出子の相続分は、嫡出子の半分は憲法違反であると。これも戸籍に関わっている。根は戸籍である。戸籍が無ければ、こう言う問題は起こらない。

司法は、民法については大胆に憲法違反と判決もする。しかし、こと軍備に関しては高度に政治的なものに関しては判断しない、判断出来ない。三権分立の司法の独立を放棄している

昨日、テレビを眺めていたら、浜口蔵之助をやっていた。神戸出身、あの軽快なメロディ-は関西系統であろうな。昭和35年60年安保の時に、有難や節を作ったと、デモはデモでもあの娘のデモは いつもはがゆいじれったい 守屋浩が歌ってヒットした

埴谷雄高は思考に関して物事を深く掘り下げる「求心的」と外に向かう「遠心的」と旨い表現を用いたが、関東と関西では思考方法が違う

大阪で、橋の下が人気であるのは、大阪の風土であろうな。関西以外では考えられないかな。もっとも衆参同時選挙をやれば、2/3は取れると。この国も遠心的な風土になってきたようだ