kazekozoo・Blog

コンセプトは昭和30~60年代の漫画やテレビ、映画…もっとも、人々が活き活きしていた昭和を語りつくします。

『 捕物漫画・つぶての投四郎 』

2020-02-05 08:17:29 | 漫画黎明期
夢野凡天・・・1927年生まれ~没年不明
終戦後、建築関係の業界新聞で記者をやりながら
紙面に四コマ漫画を描いていた。
ある日、日昭館という出版社の人と出会い
手塚治虫の『新宝島』を見せられ、「こういう漫画が
当たっているから、あなたも描かないか」と誘われる。
そこで、『怪人ダムダム団』という赤本を描いた。
そうしたら、悪い漫画の代表としてラジオで紹介されてしまう。
主人公の少年が拳銃で悪者をやっつける話なんだが、そこが
けしからんと言われる。
ところが、放送されたお陰で、宣伝になって爆発的に売れたそうだ。
それで、秋田書店や少年画報からも依頼が来る。その後も各雑誌から
依頼が来るようになった。
一つ描くと1万円くらいになって、新聞社の月給より良かったけど
まさかそれで、一生食えるようになるとは思ってなかったので
昼間は新聞記者、帰ってから漫画を描いていたという。
しかし、依頼が増えたため両方やって行けなくなり、新聞社をやめて
漫画が専業になった…昭和24年頃でした~夢野凡天インタビュー~



掲載誌は「おもしろブック」とだけ分かってはいるが掲載時期が不明(?)
おそらくは昭和30年代初頭だと思う。。。。。









連載を14本も抱え、他に別冊付録を月に5冊くらい・・・夜もまともに寝ることが
出来ないくらい忙しかったと回想する。
「よくお会いしたのは、高野よしてる、山根一二三、手塚治虫・・・手塚さんは忙しい方でしたが、それでも会えば仕事を離れた話もしたものです。手塚さんは漫画の神様と言われるくらい高い評価を受けていましたが、個人的にはすごく寂しい人で、ぼくは
いろいろと相談に乗りました。精神的に参った時は、僕を呼ぶんです。」

時代劇を多く描かれたようですが、動物漫画や現代劇も手広く描かれてました。
手塚治虫の意外な一面を知りましたねぇー。        (敬称:略)

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2 コメント

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Unknown (ネコのしもべ)
2020-02-05 13:13:00
知らない作家でしたが、まつざきさんも‟りぼん”で紹介してましたよ。
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Unknown (kazekozoo)
2020-02-05 14:16:08
拝見しました。
私は詳しくはなく、すべて資料からの抜粋です。
現在の漫画文化の礎をつくった漫画家として
記事にしました。

※今もって、gooのURLがわからんのですよ。
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