霧島荘2号店

三十路男 霧島の生活、ネット上での出来事をつらつらと書き綴る

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星の唄 第一話「静かな夜」

2006年09月20日 23時14分32秒 | 小説風味
 
 結城聖夜(せいや)は星を見るのが好きだった。
 それは今は亡き祖父の影響でもある。祖父は天体観測が大好きで、聖夜を毎日のように夜空の下へと連れ出していた。もちろん聖夜にしたって星を見るのは大好きだし、祖父の星に関しての話を聞くのも楽しみだった。祖父の【聖治】という名を受け継いだ【聖夜】という名前は、祖父との絆だと思う。
 今から一年前、聖夜が中学二年生の時に祖父は他界してしまった。老衰で眠るように、ゆっくりと祖父は目を閉じた。その時に祖父が見せた笑顔を、聖夜は今も忘れてはいない。それからしばらくして、祖父の部屋を片付けていると聖夜宛ての手紙が出て来た。その手紙には、祖父の達筆と呼ぶのが大雑把と呼ぶのかよくわからない字でびっしりと文字が書かれていた。一年経った今も机の中に大切に閉まってあるその手紙の中に、こんなことが書かれている。
『人生に悔いはない。もしあるのなら見れなかったことだろうか。
 聖夜、最後の頼みだ。ワシの変わりに、お前が見てくれ。
 そうすれば、思い残すことはなにもない』
 その手紙に、何を見れなかったのかは書いてはいなかったが、聖夜はちゃんとわかっている。
 祖父が見たかったもの。それは、【ほしのうた】だ。祖父と一緒に天体観測をすると、いつも決まって祖父がする話がある。それが【ほしのうた】のことである。長い話ではない。詩のような感じだった。もう暗記してしまったその話を、無意識に歌を歌うように、聖夜は繰り返す。
「雲一つないその夜空に満天の星が輝く時、【ほしのうた】が見えるだろう。どこまでも続く綺麗な夜空で、いつまもで続く【ほしのうた】。満月に導かれしその【うた】を、いつか誰かは聞けるだろうか」
 よくわからない、と言ってしまえばそれまでだった。
 しかし、聖夜の中ではそれは大きく残っている。【聖夜】という名前と、この【ほしのうた】の話が、祖父と聖夜を繋ぐ絆なのだ。それらを、忘れるはずもない。大好きで尊敬している、聖夜の憧れの人。それが聖治である。だから、決して忘れるはずもない。
 ――そして。
 祖父が他界してから一年経った今でも、聖夜が毎晩天体観測をするのは何も変わってはいなかった。
 コートよし、手袋よし、マフラーよし。完全防寒備で聖夜は家を出た。やはり真冬の夜中に天体観測は少し厳しいものがあるが、絶対に欠かすことはなかった。そこら辺は本当に祖父譲りだと思う。祖父も一度決めたことは何があっても絶対に曲げない人だったからだ。聖夜もそれと同じで、毎日天体観測をすると決めているので、どんな状況であれ毎晩出掛ける。
 とはいうものの、別にそれほど大層なことはないのが本当である。聖夜の家は住宅街のある高台の一番端に建設されており、家を出ればすぐそこに公園があって、そこから夜空を見上げれば視界一杯に星が見渡せる。そこは歩いて数分で着ける場所である。だから本当にそれほど大層な話でもない。
 いつも通りに家の前の道を歩き、公園の敷地内へと足を踏み入れる。手が冷たいので手袋をしたままコートのポケットに突っ込み、息を吐くと楽しいくらいに白い吐息が出た。煙草なんて吸ったことはないくせに、何だか煙草みたいだと思う聖夜である。公園は広く、入り口の門を超えて左右のフェンスに沿って遊具が並べられており、ブランコとか滑り台はもちろんのこと、くるくる回る遊具やタイヤをぶんぶん振り回して遊ぶ遊具もある。
 入り口から真っ直ぐ歩けばそこには少し高い鉄の柵があり、展望台みたいになっているその向こうはどこまでも続く森林が広がっている。街灯も最低限の灯りしか発しておらず、この公園は本当に天体観測に打って付けの場所だった。鉄の柵に背中を預け、聖夜は夜空を眺める。
 今日は雲が少しだけあった。だけど星は十分に見渡せる。小さな頃から祖父に連れられて夜空を見てるだけあって、聖夜は星座の名前をすべて憶えている。冬に見える星座だってちゃんと理解しているし、星に関する質問なら答えられないものはないと思う。
 夜空を見上げ、白い吐息を吐きながら、聖夜は星を一つ一つ追い掛けて行く。少し欠けた月と一緒に輝く星の群れは、見ていて本当に楽しかった。たまに時間を忘れて数時間そうしていることも稀にある。そしていつ通りに静かな夜だった。視線を夜空から公園へと移す。街灯の灯りに微かに照らされ、遊具が巨大な怪物のように暗闇に浮び上がっている。風は吹いてはおらず、どこから原チャリのセルモーターが回る音が聞こえた。そのエンジン音を何となく耳に入れる。少しするとその音は聞こえなくなり、変わりに静寂が聖夜を包み込んだ。時折聞こえる街灯のジジっという音以外は、本当に無音の世界だった。
 人の姿は見えない。昼こそここは子どもやら何やらで賑わう場所だが、夜ともなればアベックが極稀に現れる以外は誰も来ない。そこがいいところだ、と聖夜は思う。うるさい場所での天体観測なんてやる意味がない、と祖父はよく言っていた。その意見には聖夜も共感していた。静かな場所での天体観測は、心の潤いだった。気持ち良いその時間が、何よりの楽しみだった。
 聖夜は公園からまた視線を夜空に向けようとして、ふと気付いた。聖夜のいる場所から真正面、公園の入り口に人影を見た。アベックがこんな所に来るなよ、と聖夜は心の中で思う。面倒事は沢山なので今日はもう帰ろうかと柵から背中を離し、歩き出そうとして、また気付いた。
 街灯に照らされた人影は、一人だった。ということはつまり、アベックではないのだろう。歩くのを止め、しばしその人影を見守る。
 微かに照らされた人影では性別を判断できないが、大人ではない。どちらかというと子どもみたいな人影だ。その人影は辺りをきょろきょろと見まわしながら、珍しそうに公園へと足を踏み入れた。そのまま遊具を見つめたりしながらトコトコと歩き、公園の中の少し小さ目の街灯の下で足を止めた。
 その時、街灯の灯りでその人影がはっきりと見えた。夜目の効いた聖夜の目は、まるで昼間のようにその光景を認識できた。
 女の子だった。少し離れているのでよくわからないが、髪が肩よりもずっと長くて、白いコートを着て、両手をポケットに突っ込んで遊具を眺めている。歳は聖夜と同じくらいに思えた。背が小さいようなので年下かもしれないが、長い髪が年上のようにも見える。白状するとよくわからない。だからその中間を取って同い年くらいとする。
 その女の子に見覚えはない。この住宅街の子ではないと思う。しかし歩いてここまで来たということはそう離れた場所に住んでいるようには思えない。かと言って、この住宅街に住んでいるすべての人を知っているわけでもないので何とも言えなかった。
 声を掛けようかどうか少し悩み、しかし掛けたところで意味はないのでしばしその女の子を黙って眺めている。このまま聖夜に気付かずに帰ってくれれば楽でいい。以前、聖夜は夜中にアベックとこの公園で出会い、面倒なことになった経験がある。それ以来、夜の公園では誰とも会わない方が楽だと学んだ。
 だからこちらから声を掛けないでおこうと決めていたのに、女の子は聖夜に気付いてしまった。
 驚いたように身を強張らせ、一瞬逃げようとしたけどすぐに思い止まり、おずおずとこっちに近づいて来た。来なくていいって、と聖夜は思う。しかし来てしまったものは仕方がない。ご近所様のようだし、一応は挨拶をしておこう。
 すぐそこまで来た女の子に、聖夜は言う。
「こんばんわ」
 女の子は恥ずかしそうに急いでペコリと頭を下げた。長い髪がサラサラと下に流れるのが少し綺麗だった。
 そしてそれを見ていたせいて、頭を上げた女の子とバッチリ目があってしまった。気まずい沈黙が始まる。どうも視線を外し難い。何かいきなり視線を外したら失礼なように思えて仕方なかった。
 しばらく、お互い沈黙しながら見つめ合っていた。これが恋人同士なら素晴らしい光景なのだろう。しかし聖夜にしてみれば気まずい以外の何ものでもない。
 先に沈黙に絶えられなくなったのは聖夜だった。苦し紛れに、
「えっと……この辺に住んでるの?」
 その声で、女の子は突然我に返ったように慌てて首を振り、しかしその後で思い出したかのように肯いた。
 よくわからない仕草だった。取り敢えずこのまま少しだけ話してやり過ごそうと思う。
「珍しいよね、こんな所に女の子が一人で来るなんて」
 それを言ってしまえば聖夜も珍しい。望遠鏡も何も持っていないから天体観測なんてわかりっこないし、どちらかといえば家出少年みたいに見える。
 しばらく女の子の返答を待ってみたが、結局は何も言わなかった。ただ何かを迷っているように視線を地面に向け、じっとしている。話したくないならそれでいいと聖夜は思った。これを突破口として家に帰ろう。そう考えて一歩を踏み出そうとすると、突然女の子が顔を上げた。また目が合った。だから気まずいんだって。
 しかし女の子は何やらいきなり行動をし始めた。右手の人差し指を喉に向け、その後で左手の人差し指と重ねて『×』の文字を作る。意味がわからずに女の子を見ると、その瞳は何かを言っていた。
 何をしているのだろう、と聖夜は思う。ふとそのままを口に出してみた。
「ジェスチャー?」
 そう問うと、女の子は肯いてさっきと同じ仕草を繰り返した。
 早く家に帰りたかったが、このジェスチャーをクリアしないと帰れそうになかった。少し真面目に考える。喉を指差し『×』。考えれば簡単に答えは出る。しかしそれがどうしてか不思議でならなかった。もしそうなら、本当に気まずい。だが訊かなければならないのだろう。
 恐る恐る、聖夜は言ってみた。
「もしかして……喋れないの……?」
 女の子は肯いた。
 やっぱり訊かなければよかった、と聖夜は思う。喋れないということは、産まれ付きか喉を病んでいるのか、はたまた自ら声を拒絶したのか。もしかしたらそれは冗談で聖夜をからかっているだけかもしれない。しかし理由がどうであれ、最後に行き着くのは気まずい世界だった。関わらずに帰ればよかったと今更にまた後悔する。
 そんな聖夜とは裏腹に、女の子は何やらごそごそとポケットを探っていた。見ているとそこから出て来たのは携帯電話で、手袋をしているのにも関わらず、女の子は起用に折り畳み式のそれを開けて素早くキーを押し始める。液晶から浮ぶ明かりに照らされた女の子の表情が、なぜか可愛く思えた。いや、実際可愛いからそう思えるのだろうけど、聖夜はそれに全く気付かない。
 やがて女の子はその携帯のディスプレイを聖夜に向けた。そこにはこう書かれていた。
『初めまして。わたしは浅摩雪乃っていいます。十五歳です。あなたは?』
 それを見ながら、聖夜は呆然と、
「……喋れないからそれが声代わりってこと……?」
 女の子――雪乃は肯く。
 聖夜はため息を吐く。これではもうすでに逃げれない。しばらくは雪乃に付き合わなければならなかった。もちろん無理やりこの場を逃げ出せば話は別なのだろうけど、雪乃の好奇心に満ち溢れた瞳から逃げれるとは思えなかった。
 自己紹介をされたので、こっちも一応返しておく。
「ぼくは結城聖夜。聖なる夜って書いて聖夜。君と同じ十五歳」
 淡々とそう言うと、雪乃は携帯を一度引っ込め、さらにキーを叩いた。見せられたそのディスプレイにはさっきの文字が消えており、新たな文章が書き込まれていた。
『中学三年生ですよね? わたしもです。これからよろしくお願いします』
「こちらこそよろしく」
 そしてそのまま「それじゃぼくは帰るから」と言おうと思ったのに、雪乃はさらにキーを叩いた。まだまだ帰してはくれないらしい。
 またディスプレイには言葉が書き込まれていた。
『こんな時間にこんな所で何をしてるんですか?』
 聖夜は在りのままを答える。
「天体観測。毎晩こうするのが習慣なんだよ」
 一度言葉を切ってから、聖夜は続けた。
「えっと……浅摩さん、だっけ? 君はどうしてここに?」
 すると雪乃はまたカチカチとキーを打った。それが少し長めだったので出来上がるまで待つ。
『天体観測ですか? いいですよね、わたしも星を見るのは好きなんですよ。わたしは散歩でもしようと思って出掛けたら公園があって入ってみたんです。あ、それから、わたしのことは雪乃って呼んでくれて構いません。わたしも聖夜くんって呼ばせてもらいますから』
 何だか勝手に決められた気分だった。まあ別にそれでもいいのだけれど。
 そして聖夜が次に何を言おうかと迷っていると、その目の前で女の子がくしゃみをした。それからすぐにディスプレイに『ごめんなさいっ!』の文字が浮び上がり、雪乃は居心地悪そうに視線を外した。謝らなくていいのに、と聖夜は思う。
 それによくよく見てみると、雪乃は随分と軽い服しか着ていなかった。コートは着ているものの、聖夜の物と比べると劣るし、手袋はキーを押すためなのか薄い素材、マフラーはしていない。すぐに帰るつもりだったのか、もしくは寒くないと思っていたのか。聖夜はため息を吐く。真っ白な息が空気と混ざってやがて消える。
 自分のしているマフラーを取って、雪乃に差し出す。それを見た雪乃はきょとんとした瞳で聖夜を見つめ、やがてディスプレイに『……貸してくれるんですか?』との文字。何だか面倒な作業だな、と微かに思い、それから聖夜は肯いた。
 それを確認してから、雪乃はおずおずとした動作でそのマフラーを受け取り、恐る恐るといった感じでマフラーを自分の首に巻いた。その後で嬉しそうに笑ってから『ありごうございます!』と文字を打った。
 それを見てから聖夜は視線を夜空へと移した。星は輝いている。まるで自己の存在理由を確かめるように、小さく、しかし大きく、星は輝いている。いつ見ても綺麗な光景だ。何も聞こえない静寂の世界。……だと思っていたのだが、今は雪乃の小さな吐息が聞こえる。別に邪魔ではないのでいいか、と思う。
 そのままで二人揃ってずっと夜空を見上げていた。そんな時、静寂の世界には場違いな電子音が響いた。その音に驚いて視線を戻すと、雪乃が慌てて携帯を開いていた。電子音は雪乃の携帯が発する着メロだった。それはどこかで聞いたことのある曲だった。一世代前に流行った音楽だ。よく昔の名曲とかを流す番組で聞くことがある。曲名が思い出せない。
 しばらく雪乃を見守っていると、それは電話ではなくメールだったらしく、しばらくディスプレイを眺めていた。それから雪乃はまたキーをカチカチと打って、そのディスプレイを聖夜に見せた。
『ごめんなさい、時間みたい。今日はこれで帰ります。楽しかったです。またどこかで会ったら、よろしくお願いします』
 聖夜は言葉を返さず、ただ肯いた。
 そして雪乃はペコリと頭を下げ、ゆっくりと踵を返して歩き始めた。その背中を何となく見守る。歩く度に左右に揺れる髪が綺麗だった。公園を横切り、そして入り口まで戻ると、雪乃は一度だけ振り返って手を振ってよこした。聖夜は無意識に左から右へと手を振り返していた。それからもう一度、雪乃は頭を下げて道路の闇へと歩いて行った。
 その場所をしばらく見ていたが、やがて完全な静寂の世界が戻って来て、聖夜は夜空を再び見上げる。
 流れ星が夜空を駆けた。久しぶりに見る流れ星に少しだけ嬉しくなる。
 その時、さっきの着メロの曲名を思い出した。一世代前に流行ったあの曲、皆が言う不屈の名曲『to love song』って歌だ。その歌を、聖夜は無意識に歌いだす。誰かが言っていた。これは、最高の『love song』だって。そうかもしれない、と聖夜は思う。
 やがてその歌を歌い終える頃、公園には聖夜が一人、そして静寂に包まれる夜があるだけだった。
 そろそろ帰ろうかと思い、柵から背中を離して歩き出そうとして、
 やっと思い至った。まあいいか、とは思えない。
 呆然と雪乃が歩いて行った道を眺め、静かな夜空の下で、聖夜はぽつりとこう言う。
「マフラー……返してもらうの忘れた……」


 真冬の星が綺麗な夜空の下で、結城聖夜は浅摩雪乃と出会った。
 そしてこれから、聖夜の日常は、少しずつ、少しずつ、変わって行くのだ。
 星が輝く静かな夜だった。


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1 コメント

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Unknown (霧島)
2006-09-21 01:20:15
完成してないですがケツ叩くために投稿開始
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