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胎の名前

過ぎにし胎はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。 (ウンベルト・エーコ先生とは関係ありません…)

遥かなる空賊への寄り道--FF12インターナショナルZJS編(1)

2007-09-09 11:26:22 | アニメ・コミック・ゲーム

またしてもこのブログがゲーム日記と化すかもしれないこのタイトル。

ええ、皆さん予想通りです。

やってしまいました。

同じタイトルの北米版を買いなおしてしまいました。


 

そのココロは、新たに追加になった機能を試してみたい。

バカだ。本当、バカだ。


ちなみに新しい機能とは。

1)職業選択の自由
特定の職業を選んで成長させるようになりました。
成長すると皆似通ってくるという問題を解決したそうです。
ただし、変更不可。それって自由じゃないんじゃ。

2)ずっと戦闘100連モード
次々現れる敵をひたすら倒すだけ。

3)強くてニューゲーム
レベル上げやら強敵やらに頭を悩ませる必要がない。


結局あのゲーム、私にとってはストーリーとか世界観はどうでも良く、頭からっぽにして戦闘ばっかりやってたら幸せだったんだ。
ずっと広いフィールドで自動操縦の状態で敵さんをばったばった切り倒していくと、だんだんなんか気持ちよくなる、そこにはまると中毒症状を引き起こす。
時折PS2のスイッチ入れて適当なセーブファイルから乱切りだけやってたりしましたからねえ。1ヶ月に1回くらい。現世に疲れた時なんか。

話がそれるが、
過去はまったゲームって、結局頭を全く使うことなく単純操作でトランスできるものばっかり。
シューティングゲームのRez:とかスペチャン5とかメテオスとか。
FF12もそういう位置づけなのだろう。

と自分を納得させて開封。
一度解いたゲームだしさくさく進めてしまおう。

と思ったのに。

キャラの職業を決めるためにTVの前でうんうん悩むこと30分。

アホだ。本当、アホだ。 



結局ヴァン=モンク(棒)、パンネロ=時空魔戦士(ボウガン)、バルフレア=機工士(銃)、フラン=黒魔導士(杖)、アーシェ=白魔導士(杖)、将軍=ウーラン(槍)

……誰も剣をふるわないパーティって何……。


GIANT KILLING(綱本将也/ツジトモ)

2007-07-24 00:12:35 | アニメ・コミック・ゲーム

まさかいい歳こいた大人になってサッカー漫画にはまるとは思ってなかったのだ。

まあ本当にいい歳こいた大人はそもそも漫画もゲームもはまりゃしないのだがな。

 


主人公は達海(35)。サッカー監督。監督としては若い。が主人公としてはトウが立っている。という微妙な設定。

イマドキ主人公がこんな年齢なんて、島耕作先生くらいでしょう。

この監督、ふらふらへらへらしていて頼りない。天然。

頼りないのに、キメる時だけ異常にカッコ良い。ものすごい求心力だ。

舞台となるのは弱小J1チームのEAST TOKYO UNITED。

本拠地は隅田川スタジアムでクラブハウスは浅草にある。

エンブレムは提灯がモチーフ。マスコットは河童。

経営には大資本は入っていないらしいが、ユニフォームの前面にでかでかとある広告は「OEDO EXPRESS」。

東武鉄道がジェフに資本参加したらこうなるの図か?

そう思うと、主人公の記者会見での口癖「分かんない」も、口が堅い某ジャパン監督の姿と重なって見える。

(とはいえ主人公本当はめちゃくちゃビッグマウスだがな)

原作者がジェフファンだというのも影響しているか。

この原作者の前作はもろジェフがモデルらしいという話も最近知った。

<ユニフォームはコンサドーレに似ているという話はもっと最近知った。=070730追記>

話を戻してこの漫画。

あらすじは単純で、弱小チームの元エースだった監督がチームを再生していくという話。

タイトル通り、金星を狙って監督は奇策を次々打ち出す。

その奇策に、選手はおろかフロントや他チームまで振り回されるわけだ。

キャラは多種多様で、泣き虫ルーキーや堅物の老キャプテン、自称王子など選手層が厚いにとどまらず、江戸っ子なオーナー一族やら遠慮のない報道陣やら高邁なライバルチームの監督やら。

かなりファンタジーで、まあ実際にはこういう試合展開はないだろうとか、こういうチーム運営はありえないだろうとか、サッカー素人にもつっこみ所満載なのだが。

サポーターの描き方が熱くて、そして厚くて、リアルで、そこにものすごく共感を覚えるのだ。

監督人事に納得がいかないとクラブハウスにまで怒鳴り込んでくるヤクザっぽい兄ちゃんから、ジュニアチームで練習するガキンチョ、昔は応援していたけれど今はもう熱も冷めちゃったなんていう近所の商店街のオヤジまで。

どの温度の応援にも共感するところがある。

「もう俺サッカーなんて……」とか言っている八百屋のおっちゃんが、達海就任で慌てて押入れから古いユニフォームを出してきたりとか。

(これが主人公の監督が現役だった時のレプリカだってのがしびれる)

選手の趣味とか家族構成とかを丸暗記しようとがんばる子供とか。

ああ、こういう気持ちってあるよね。ファンの応援はちゃんと選手にも通じてるんだよね。

この漫画の真の主人公はサポーターだと思う。

そして、開幕戦ポスターで一番でかでかと写真に写っているのがチーム史上一番のスターだった新監督だというのもある意味リアル。

ちうか、選手の立場ってねえなこの漫画……。

ともかく、

「今年の日本サッカー界、おれが面白くしてやるよ」

という主人公に乗っかってみようかと思っております。

週刊モーニング連載、現在2巻まで発売。



ここから後ろは極めて濃厚な腐女子臭が立ち込めるので、良い子のミンナは読まないように。

このブログは記事の折り返しが出来ないので色だけ反転してみます。

でもデザイン変えて背景色も変わったら意味がないという噂。



ついでに激しくネタバレ含みます。ここから→

狙ってかいているんじゃないかと思うわけだ。

何なんですかあの達海監督と村越キャプテン。


村越は達海に対して積年の思いがある。

スーパースターだった達海を慕って10年前に入団したのに、肝心の達海は渡欧、エースが抜けてチームが低迷した時代に孤軍奮闘してきた苦労の人だ。

今更達海がのこのこ監督として戻ってきて頭越しにスター復活だとか言われても、村越には到底受け入れられないわけだ。

さらに達海は村越をキャプテンから外したりして村越の心を逆撫でする。

で「あんたに俺の気持ちが分かるもんか」とか絶叫する村越。

それってやっぱりあれですか。あれ。


しかし達海も、最後の最後では実は村越を全面信頼。

「お前が背負ってきたもんの半分は これから俺が命懸けで背負ってやる」とか言っちゃうわけだ。

これってやっぱりあれですよね。あれ。


さらに、達海が村越にキャプテンを命じる際に口にするセリフがこれ。

「芝の上では絶対服従」

その筋の関係者じゃなかったら普通出てこねえぞそんなセリフ。


最近モーニングもよしながふみがほも同棲漫画を連載してたりするし。

これは腐女子への宣戦布告だなモーニング。

受けて立つぞモーニング!

<何故……


のだめカンタービレメディアミックス

2007-03-10 02:34:10 | アニメ・コミック・ゲーム

のだめカンタービレのメディアミックスについて。

すっげー今更なんですが。
ちうか連載を1話ずつ感想書く計画はどうした己。
確かチューの回以降書いてないんだったっけ。ってもう1年近く経ってる気が。
とりあえずコミックス17巻の感想をまとめたので許して哀愁(?)

って16巻の内容が丸々抜けとるやんけ!!

まずはドラマ。
存外、良かったですよ。
皆さんの演技力と努力には脱帽です。よくがんばりましたね。
これまで一般にはマイナーだったプロコフィエフとかストラビンスキーとかをガンガンかけまくってメジャーにしたことには敬意を表する。
そして年末押し迫った時期恒例のベトベン第9の露出をかなり減らした功績も大きい。

音楽以外の演技はあまり心配していなかったが、音楽のほうもまあ悪くなかった。
特に黒木くんのオーボエとコントラバス佐久桜ちゃんには頭が下がった。
ピアノの皆さんはもうちょっと改善の余地ありでしょう。
曲が難しいから大変というのはよく分かりますが、それでも基本的なところで色々不思議なことが起きていましたしねえ。
そして千秋の指揮は、……あの麗しい顔つきしか目に入ってこなかったので良く分かりません(おい)
最終回の長振りも、演奏直後のあの号泣で何だかもう全て許しちゃう。

謎の外国人ミルヒーのキャラ以外はほとんど原作どおりに再現したドラマだったが、
最終回のラスト、マエストロ・ミルヒーが「音大を卒業しても全員がプロになれるわけではない、だからこそ千秋達は今音楽できる喜びに溢れている、音楽し続けることは簡単なことではないことを、私は彼らに気付かされたんです」というドラマ独自のセリフは秀逸だった。

世界的巨匠(一応)ミルヒーが何故(才能があるにしても)無名の若い子供たちの面倒を見ているかについては、原作はほとんど触れていない。
「のだめを見ているとかつての自分を見ているようで切ない」という理由が提示されているだけ。
ただの気まぐれで面倒を見ているとも取れるのだが、ドラマではそこに巨匠の心の動きというプロセスを織り込んだ。
きっとドラマの視聴者もミルヒーと同じ、音楽することが楽しくみえるけれども実は簡単ではないことにこのドラマを見て十分理解したはずで、このマンガおよびドラマの隠された核はこれなんだなと気付くこともできる。
それを一番ラストに盛り込むあたりが心憎い。
原作を超えるドラマってこういうことを言うのかもしれない。
このセリフをして、ひさはドラマ化をしてよかったんだと思った。

ただし、許せなかった点もいくつか。
まずもって毎回毎回テレビ欄に載るサブタイトル。
無理やり恋愛モノっぽくしようとしているのがどうしても許せなかった。
原作が一切サブタイトルがないだけに悪目立ちしすぎ。
演奏会場の客が演奏を聴きながら全員左右に体を揺らしているのも気持ち悪い。あまりにも動きが揃っていて演技指導したんじゃないかと疑う。

そして極めつけは最終回のラスト。
いっちばん最後にその回想映像は不要だ!!!
ホール遠景で幕を引いて終わらせれば良いじゃねえか!
この挿入で折角のミルヒーのセリフが恋愛モノにかき消されてすっかり興ざめだよ。がっかりだよ!

それでもって、アニメ。

すんません全然見てないんです。
オープニングとエンディングは結構うまく仕上がっているのに、本編があまりにも普通のアニメみたいで。
ドラマがなければこれでも良かったかもしれないんだが、ドラマを見てしまうとすごく平坦に見えてしまう。
のだめの声が思っていたよりも感情豊かなのも結構不思議。

そしてそしてマンガはいつの間にやら17巻まで発売されていますよ!
感想は別項にて。


「のだめカンタービレ」17巻

2007-02-26 01:12:30 | アニメ・コミック・ゲーム

ということで、「のだめカンタービレ」17巻の感想。
ネタバレ進行ですので読まれたくないかたは吹き飛ばしてください。

そもそも連載の感想を載せるのはどうなったよひさ。

17巻のキモ。
・千秋のマルレオケ常任指揮者デビュー公演(Aプログラム)は好演。
・Bプログラムで千秋がバッハのチェンバロ協奏曲(ピアノ版)を弾き振り。
・だがメインのベト4で振り間違いコンマスのお局シモン氏に救ってもらう。
・千秋父=有名ピアニストはBプログラムをこっそり聞きに行くが息子とは会わずに帰る。
・千秋父とのだめ初対面。だが会話なく終了。
・千秋父のピアノコンサートをのだめが聴きに行く。
・三善アパルトマンの陽気な学生達はそれぞれコンクール出場を決意。
・のだめと千秋のすれ違いが続く。
・千秋はのだめとの隣人関係の清算を決意、引越しへ。

千秋父の登場で物語は深みを増してきました。
実際のところ、このオヤジが冷たいという設定、千秋息子の思い込みなんじゃないかと予想していた。
でも期待を裏切って、というかある意味期待以上に親父は人でなしでした。
アパルトマンの管理人アンナおばさんに「は~大きくなったな~、横に」と言ったりとか。
目の前に突如現れたのだめが硬直して大口あけたまま話しかけられないのを見て、面と向かって「気持ち悪い」と言ったりとか。

父も父で息子を捨てたことには罪悪感もあるようですが。
記憶にある幼い息子の姿を思い浮かべて「いつまでもそんな目で見るなよ」なんて言っているあたり、案外悪い人ではないのかもしれません。
のだめが父の演奏を聞いて「何だか悲しかった」「ピアノだけなのかって」と感想を持ったのも、父の背負う孤独を敏感に感じ取ったからなのかもしれないなと。

千秋息子は指揮者なので、様々な場面でオケの人に救われてきたわけです。
指揮棒を振り間違ってもフォローしてくれるお局もいるし、失敗しても千秋を理解し受け入れてくれる団員がいる。
もっとも受け入れられるだけの努力や勉強を千秋がしてきたからでもあるんですが。
でも父のほうは、ピアニストだから常に一人。
ピアノ仲間や指揮者の友達は居ますが、本番で誰かと競演することはむしろ数が少ないのがピアニストですから。
音楽面ではずっと一人きりの世界で生きてきたわけだ。
息子が音楽の世界に入ることもどうも快く思っていなかった節もあるが、これはライバルが1人増えるという危機感も手伝ってのことではないだろうか。

全然場面が違うけれど、ターニャが黒木くんに「ピアニストは孤独、一人きりで練習を続けるのにはもう耐えられない」みたいなことを漏らしていたのも実は複線なのかもしれないと考えてみたり。

千秋父の選曲もものすごく孤独感溢れる曲ばっかりだったしなー。
バッハとブラームスとベトベン。3Bかい。しかも曲のほとんどが短調だし。
それでも、息子の演奏会を聞いたことで父の演奏が何か変わった可能性もある。
観客が「昔はもっと切迫感があったけれど、今日の演奏は穏やかだ」みたいな感想を述べていたし。

ともかくも、今後この親子の競演、絶対あるとふんだ。
のだめと千秋との共演、多分このマンガのクライマックスに来る可能性の高いネタだが、そんなのもうどうでも良いです。

親子で罵り合いながら1つの曲を作っていく、なんて萌えな展開なんでしょうか!(そっちかい)

曲として一番面白いのは、千秋息子がピアノを弾いたことのあるラフマニノフ2番なんだが、こういうお色気路線は千秋父の範疇ではなさそうなので、ないかな。
千秋父の趣味からすると、あまり重量級ではなく円熟感のある骨太な曲ですか。

で、千秋息子はしょっぱなのピアノソロを聴いて「この人はこんな音を出す人だったんだ」とか新たな父の一面を見つけてほんわり。
一方で、出だしのオケの音が気に入らずに「弾くのやめた!こんな練習不足のオケと合わせられるかバカ」とか言い捨てて一人立ち去っていく千秋父に、
「やっぱりコイツはこういうヤツだった!」とか呆然と見送る息子の図とか。

という要件を満たす曲を探すとすると、ピアノソロから曲が始まるものあたりでしょうか。
ベトベンの4番、シューマン、グリーグあたり、あと始まってすぐにピアノソロのあるブラームス2番とかベトベン5番「皇帝」、リスト1番とかもあるか?
親子の確執というテーマからクローズアップして曲を探すとすると、
作曲家とその親で確執のあったバッハやモーツァルト、メンデルスゾーンあたりも範囲内なんですが。

ちなみにのだめと千秋はラヴェルのピアノ協奏曲だと決めてかかっているので、これは選択肢から外す。

って全てひさの妄想の範囲内ですけれども。


自問と弔問

2006-07-07 01:24:58 | アニメ・コミック・ゲーム

架空の世界の話。

立ち読みのみ(失礼;)している漫画の最新号を見たら、主人公の1人が自殺していた。

厳密に言えば前号のラストでマンションから飛び降りたことは分かっていたのだが、今号を読んでやっぱり死んでいたのかと確認。

いやーまいった。他人事、もとより作り話なのにえらく衝撃を受けてしまった。
涙腺が緩みっぱなしですよ。我ながらびっくり。

どの漫画なのか、具体的な状況などを書くとネタバレにもなるので避けますが、現実的にこういう場に直面することもあるかもしれないと思い、状況を解釈することにした。

中学生なのにいっぱしの大人以上の苦難の数々が降りかかっていた主人公、精神的にかなり参っているような描写が続いていただけに、いずれこういうことになるのだろうと薄々は予想していた。
そんな中、病気が悪化して意識不明に陥った主人公のおばあちゃんが、意識不明なのに主人公の手を握り返した。
それで主人公は「おばあちゃんに死んじゃ駄目だと言われた」気がした、と思う。思ったことは後々明らかになるのだが。
がんばる、と再起の言葉も口にした。
見かけ上明るく振舞い始めたように見え、家族もほっと一安心していた、のに。
次の日の朝、悲劇が起きる。

主人公はしっかり者で才能もあり、周りから将来を嘱望されていた。
だから苦境に陥っても打開策を一人きりで探っていた。
周囲も「大変だろうけどあの子なら立ち直れる」と楽観していたところもある。
でも、主人公は状況を好転する方法が何一つ見つからずに暗闇の中にいたということなのだろう。
皮肉にも、おばあちゃんとの対面の瞬間、死ぬという方法に気づいてしまったんだな。

精神的に追い詰められて自殺する人の引き金は、平常心の人には推し量りがたいところがある。
平常心の人間が本人のためになると思ってかける言葉の大半は、本人のためにはなっていないようだ。
最近、色々な媒体で「あなたには生きてほしい」等々自殺や自傷を防ぐべく言葉が散見されているが、当事者からしてみればいいお節介だろう。
多分そんな言葉で立ち止まることができる人は本当にヤバい人よりはもう少し良い状態にある。
本当に助けなければならない人は、そんな言葉では立ち止まることはない。

精神科にも「救急」というカテゴリがある。 容態の急変で自分や他人を傷つける危険性が高い状態に陥る場合がこれにあたるらしい。
対処としては本人の意思とは無関係に入院させたり薬を投与したりすることになるのだそうだ。

この主人公が救急処置が必要な状態にあると、周りの誰もが気付けなかった。
これまでの主人公のセリフにやばいこいつ死ぬ気だと気を揉みながら読んでいた私も、主人公の前向きなセリフについ気を緩めてしまった。
ほんの一瞬、ページ数で言えば6ページくらいの間だけだが、それでも私は主人公を止めることはできなかった。

もとい、主人公と同じ状況の人間が居たら、自殺を止められないだろう。と認識させられた。
それがたいがいショックだったのだ。

主人公の死を悼む人々の中で「世界はもっと広いのに」という趣旨のことを言う男が居た。
だがその隣の男が「だがおれも(挫折を味わった)昔はそうは思えなかった」と諭す。「そうだよな」と2人。
2コマだけだが全て言い表しているようだ。
世界の広さは主観でしか決まらないものだから。他人がどうこうできるものではない。

ともかくも、世界の広さに気付かないまま人生を終わらせてしまった主人公にはまずはお疲れ様でしたと労ってやりたい。
でも、死んだところで何も終わっていないし何も始まりやしないんだよ?とも。

それでおもってどこまでも現実やさんな私としては、 どうして主人公が自宅でもないマンションを最期の地に選んだのか、母親は学校に復讐しにいかないのかとか、主人公を揶揄するレスが散発していた巨大掲示板が祭りになってるんじゃないかとか、そんなことが気になったり。


仮想と深層

2006-05-23 09:37:45 | アニメ・コミック・ゲーム

前回予告通り、「デスノート」ネタバレ含む考察。
「キラが支配する社会は是か非か」について記述しています。
ネタバレ嫌な方はスルーしてください。


このマンガのテーマの1つは、 「悪人に対し無条件に死を与えるのは是か非か」 だったらしい。
そんなテーマにはお構いなしに自分の邪魔をする者をのべつ幕なしに殺害しまくっていた主人公が1人居たような気がするのだが、
ネット掲示板などでは「キラを認めるか否か」でそれなりに議論が盛り上がっていた。
そもそも名前を書けば人を殺せるノートがあるという支離滅裂な架空話で、こんな議論が持ち上がること事態どうかと思うのだが、
連載終了記念なのでいっちょ考察してみることにした。

作品中ではキラによる死の罰を恐れた人々が犯罪をしなくなり、戦争行為も収まった、という記述がある。
キラ肯定派はこの点から、現行法は緩い、死刑は継続すべき、キラは正しいことをしているのだと考えるという。

だが、キラ=月が善悪の判断のよりどころとしているのは、これまで人々が築き上げた倫理や社会道徳に則るもので、 それは刑事・民事の法体系と同様、長い時間にわたって人々が争ったり合意したりしてできてきたもの。
いくら今の法律が不備だ、犯罪がなくならない、等々「正義」を振りかざしてみたところで、 月自身も現行法体系の根拠をなすものに則らざるを得ないわけで、自家撞着を起こしている。
社会の一構成員がルールを違反している(=人を殺害している)という点において、月自身がキラの抹殺対象者リストに載るはずです。
社会に属しているのに、自分だけ例外というのはありえないでしょう。

では、キラが「新世界の神=人間ではない」とすればこの議論はどうなるか。
キラは例えばモーゼが神から授かった十戒のような「真理」に基づいて人を裁いているのだとする。
大量殺人を犯している自分を例外だと取り扱っても良いことにはなる。
その「真理」の中に「神に逆らい捕らえようとした者は無条件で死ぬ」ということが書いてあるなら、特にキラの行動は独りよがりでも何でもなくなる。
ただし、「真理」であるなら、未来永劫同一であるべきだがね。

残念なのは、この物語の大前提、キラ=月である限りキラがいつか死ぬべき存在なのだ。
さすがに死神は寿命を永遠にはしてくれませんでしたからね。
これを回避する方法としては「キラ」を「継ぐ」ことで継承していく方法がある。
だが、月と全く同じ思考回路のものが継ぐわけではないので、「真理」が変化してしまう可能性はある。
既にこれまで、ミサもヨツバも魅上も、皆月の思惑とは異なる使い方をしていたし。
特に魅上は月と思想が同じはずなのにもかかわらず、全く異なる基準で死ぬべき者を選んでいた。これは見過ごせない点。
変化する「真理」など神なんかじゃない!人間のクズだ!w

もし本当に世界に「神」というものがあって、このような裁きをするというなら、それを人間が是か非かなんて議論するのはそもそも馬鹿げている話。
実効力ある「真理」は最強です。「りんごが木から地面に落下するのは是か非か」と議論するようなもの。
そのような神の存在を求める求めないは個人の信条の勝手なので議論したくもない。
幸いにして今までそのような神が存在する可能性は見つかっていないですがね。

連載の最後、キラ=月は結局神でも死神でもなく1人の人間でしかないことが提示された。
彼もまた社会の倫理、および神の真理に従うだけの者でしかなかったわけだ。 はい残念。

因みに「現行の法体系が犯罪者に甘い」というのは曖昧な言いがかりでしかない。
犯罪者の肩を持つ気はさらさらないが、そのような法体系を認めながらこの社会の中で生活している以上、甘いの何のと言ったところでただの放言にしかならない。
本当に厳罰化を求めるなら、正式に法体系を変える手続きを踏まえなければならない。
刑罰は絶対的な価値基準に則っているものではなく、社会が合意の上で定め与えているものだから。
裁判は当事者間で合意を取り付けるための仕組みであり、その前提となる法律は社会が決めているものだからだ。
だから法律には社会も、構成員である人々もその責を追う。変える権利も持つが従う義務もあるのです。
「悪法も法なり」だが、悪法を悪法のまま放っておけとは誰も言ってないんだから。
近年少年法が厳しくなっているのは社会がそのような合意を形成しているからなのだ。そうやって社会に法は従属していくわけです。
そしてこの社会は、たとえ人を殺した人間でもその罪は必ずしも死で購わなくとも良いという合意を受け入れている。

というようなことをつらつらかんがみるに、ひさはキラは断じて容認できないし、キラの存在を崇め奉ることはない。
結局キラ肯定派というのは、悪人が適切に裁かれていないと思いながらも法を変える努力をせず、かといって自ら悪人を裁くこともせず、ただキラが何かしてくれれば良いなと祈ることだけしかできない、弱々しい人々なのだ。
そういう人々はきっと昔も居たし、これからも居続けるだろう。キラが居ても居なくても。
そんな人々にしか崇拝されないキラ=月はやはり「真理」を貫く神なんかではなく、かわいそうな奴なのだと。
いくら正義面して悪人を「裁いた」ところで、やっぱり結局何も変えることができなかったのだと。
そういうことを言おうとしたマンガだったのかなと、考えるに至った。

断っておくと、弱々しい人々を非難するつもりは毛頭ない。極めて正常な価値観だし行動パターンだと思うので。
キラになろうとする人の方が今の社会では害になる場合が多いのでね。
ただ、願ったり祈ったりするだけでは何も変わることがない、ということは認識してもらいたいと思う。

最終回、松田がニアの行動について推理を披露しているシーンがある。
真相を匂わせているようにも見えるが、推理そのものは容易に想像できるものでもあり、またキラシンパにとっては恐らく受け入れたいと望むような説だった。
事実、ネット上では最終回が発売になる前に松田と同じような推理を披露する人々も居た。
というような内容なのにもかかわらず、あの松田が言っているということ、それは「松田程度の低脳(失礼)が考え付くようなレベルのことでしかない」と読者を揶揄しているに違いない、と穿って受け取ることにした。
作中で伊出に「お前の推理はただの願望だ」とも指摘されていることでもあり。

その他。

甘いものを食べながらオモチャで遊んでいるN、Mの人格をいつの間にか吸収していました。しかも自らはLと名乗っている。Lは甘いものをオモチャとして遊んでいましたから、Lを名乗っていることを単純に記号的に表現したのだと考えましょう。Mが憑依したとかMと合体したとか考えると面白いですが、この際無視することにしました。

そして、物議を醸し出しているあの女性。
造形を無視して個人的希望を打ち出せば、さゆであるといいなあ。きっと彼女は真実を知らされていないに違いなく、ああいう風に行動する条件は整っています。あくまでも造形を除いて。
もっとも、私の推理はただの願望でしかないんだがな。

ということで、考察終わり。

物語は終わってしまえばその先は等しく無である。


連載と賢才

2006-05-18 22:02:43 | アニメ・コミック・ゲーム

時が至りて。

4月下旬から5月前半にかけて、ひさがチェックしていた連載漫画が2つ終了した。

「20世紀少年」(浦沢直樹/小学館・ビッグコミックスピリッツ)
「デスノート」(大場つぐみ・小畑健/集英社・週刊少年ジャンプ連載)

(「20世紀少年」のあらすじ)
(第一部)時は20世紀末。1960年代生まれの大人になりきれない大人たちが、子供のころの他愛もない夢を手に「世界征服を企む悪」と戦う。
(第二部)「悪」が勝利し、「正義」として君臨する21世紀。悪の正体を暴きその最終目的を阻むために、陰で活動する大人たちとその子供。だが「悪」は一枚上手で、世界の大半が滅んでしまう。
(第三部)世界崩壊後、「悪」を絶対的存在として頼る新しい世界。世界滅亡を未だ試みる「悪」に対し、生き残った大人たちが最後の反抗を試みる。

(「デスノート」のあらすじ)
以前の記事を参照。

前者については、 これは本当に連載終了にあたるのか、がよく分からない。
元来色々なものをパロディ化しているので、「ご愛読ありがとうございました」というメッセージや半年間の休載そのものがネタである可能性が高い。
何しろ、一応主人公達が勝ったようにも見え大団円のようなのだが、「2007年新春、最終章登場」という文句が印刷されているので。 そして何より、主人公達の同級生らしいラスボス=「悪」が誰であるか、等々の謎はすべて放置されたままだから。
この作家は以前連載していた漫画「MONSTER」で、最後まで残された謎をノンフィクションドキュメンタリーの体裁をとった小説でかたす、という荒業をやってのけたので、 次にどのように騙されることになるのか実は楽しみだったりする。

後者については、ようやく、というか、案外早くというべきか。
連載開始が2004年で、足掛け3年しか連載していなかったのは、人気漫画の連載を引き伸ばしがちなジャンプにしては短いだろう。 さらに6月から映画が封切になる予定で、これもメディアミックスという点からみれば意外な時期での終了ということにもなる。
だが、第二部に入ってからいい加減世界の広がりと頭脳戦との間に埋めがたいギャップが生まれてきていただけに、遅きに失した感もある。

終わり方については賛否両論吹き荒れていますね。
ひさも個々のキャラの振る舞いについては色々思うところはあります。
しかしネタバレしないまま、簡単に評するなら、

これぞDeus ex Machinaだな。ククッ。

そもそも死神が主要登場者ちう荒唐無稽な漫画なので今更ではあるものの。

ずるずるになっていた頭脳戦が結局鮮やかな切れ味を取り戻すことなく終わってしまったことには、そこはかとない悲しさを覚えます。
たとえて言うなら、どの魔法をかければ最も効果的かとかストーリーのオチとか必死で考えながら攻略してきたのに、ラスボスはどうにもこうにも強く、こちらもレベルが高いためにひたすらタコ殴りを繰り返すしかないFF12RPGゲームのような(なんじゃそりゃ)。

#まだクリアしてませんが。念のため

もしかして第一部と第二部とでシンメトリーを目指しているというなら、それはそれで分からなくもないが。

でもこうして連載が終わってしまうと、楽しみが減って辛いなあ。
終わってしまえばどんな物語も物寂しく感じるものである。

<ネタバレ含む感想は別項に立てました。読まれたくない方はスキップしてください>


DEATHNOTE(大場つぐみ・小畑健)

2006-02-25 03:14:55 | アニメ・コミック・ゲーム

今さらこれを取り上げるのにはちょっとした理由がある。

というのはこれですが。

へー。
そうきたかー。
実写化ですかー。
しかも藤原竜也ですかー。

<このマンガをご存じない方のための20秒で分かるあらすじ>
名前を書き込まれた人は必ず死ぬという荒唐無稽な死神ノートを手に入れた美形高校生・夜神月(ヤガミ=ライト)が恐怖で世界を支配するまでの道のりと、それを阻止しようと頭脳戦を挑む青年もしくは少年のあくなき戦いの記録である。「花の慶次」(隆慶一郎・原哲夫他)を上回るト書きと、「北斗の拳」(武尊論・原哲夫)を上回る死傷者数を誇る(いずれもひさ調べ)

あらかじめ言うけれども、このマンガはひさのど真ん中ではない。あえて言えば外角低めいっぱい外れてボール、なのだ。
紙の上とはいえ簡単にこれだけの人を殺せることに純粋に嫌悪感を覚えるし、そもそも死神ノートを使った代償がないということがガマンならん。
一撃必殺技「死神の目」を契約する時だけ寿命が縮むというのも、何だか中途半端でなあ。

このマンガ、人をいくら殺したところで事態は何にも改善しませんよ、というカタルシス崩壊を目指しているのかと当初は考えていたのだが、どうもそういう方向ではないらしい。
頭脳戦がかなり切れていた当初はもう少しストライクゾーンに入っていたのだが、最近は肝心要のその部分がずるむけでちょっといただけない。

それでも何だか読み続けてしまっているのは、一体どういう方法で主人公月が沈んでいくかが見たいから、なんだな。
つまるところ、美しいものの顔が歪んでいくさま、ちうのが見たいからだからして。

実写だと、この美しいものが一体どうなっていくのかにゃ~ちうのが見たいからだからしてぐふふ。

ぐふふふふ。

ふはははははは。
いやースタッフの方々よく分かってるじゃないですか。
この子、幼な心を持つ狂人を演じるの得意なんですよー。
顔も童顔だし。
月の両面、子供と殺人者を共に演じられるのは当面彼が最適人でしょう!!
きっとこの映画は原作とは違う意味でイタイ感じになるのだろうが、
そしてきっとこの映画に主演したことは藤原竜也の経歴に書かれ継がれることはないのだろうが、
それでもおねいさんは藤原くんが鬼気迫る顔でノートに名前を書き連ねたり、全ての記憶を失ってさわやかに大人の男と殴りあったりするところを見てみたいわ!!

たとえそれがもはや月ちう存在ではなくってもね。

そして、気になる正義者・Lはこれらしい。正式発表はなく、ネットの海の噂話ベースですが。

ほーう。

ふふふう。うふふふふ。

ふふははははは!
くるしうないぞ!!いとおかし!
いやー楽しみだなあ、全く。おねいさん好みの顔じゃないか。
崩れているけれど、美しい。歪んでいるけれど、美しい。

……。
あ。
この映画、ひさのど真ん中かもな……。


「C.H.」COMPLETE DVD-BOX

2005-07-24 01:36:43 | アニメ・コミック・ゲーム
今日の文は圧倒的にオタク系になります。
オタクなんて排斥したいという心ある方々は全力でこのページから離れてください。
……元来このブログ、オタク系で約8割は占められているという事実はこの際秘密ということで。

真夜中に家に帰りテレビを付けると大抵どこかしらの局でアニメを放送している。
下手すると2局で放送していることも。
大きなおにいさんが深夜帯にテレビを視聴しているという事実と、流血、エロといった放送コードが真夜中の方が緩いという事実から、そうなっているのだろう。

だが、本当に面白いアニメはどのくらいあるのだろうか。

ひさ的「面白いアニメ」の定義は以下の通りである。
・話の構成、設定、脚本が良い
・絵が良い
・声が良い
・音楽が良い
これら全ての条件が整って初めて「面白いアニメ」と呼べるのだ。今更ひさに定義されている場合じゃねえだろうがな。
これが昨今いかに少ないことか。

どれか1つ、もしくは2つくらいを満たしているアニメはそれなりにある。ごろごろあるって言っても良いかもしれない。でも何故全てを満たすアニメは少ないんでしょうかね。
恐らく制作者が国外に出ている、資金が少ない、その他色々問題があるのでしょうが、何というか粗悪乱造の向きがしないでもない。もうちょっと選択と集中ができないものかと。
ひさもそれなりにモノを作る世界に居るため「諸般の事情」というものにはそれなりに理解はあるのだが、それにしても。

そんなひさが心を奪われたアニメは幾つかある。
これ
あーはずかしー。これだけ力説した挙句これかいな。我ながら。しかもろくなアニメのリンクないからコミックスのほうを張っちゃった。嗚呼。

ともかくも、この作品は原作が良い。原作というよりもキャラクターが非常に良くできている。
さらに、監督、プロデューサー以下各アニメスタッフが非常にキャラを愛しきっていた。と思われる。
結果、原作から起こした話でも、アニメ独自の話でも、キャラが立っているためそれほど軸が外れないのだ。
絵も原作が超美麗なためアニメーションも頑張ってます。この絵を書く人が(確か)作画監督や原画を手掛けていたシリーズ3作目は最高傑作
声は七色の声の持ち主が主人公を務めている。これ以上の説明は要らないだろう。
音楽はちょっとオールドファッションだがアニメの主題歌にポップスの歌い手さんロックの歌い手さんを本格的に担ぎ出してきたのはこのアニメだ。と思っている。長髪フォークシンガーを担ぐネコ型ロボットアニメは別格だが。

原作は1991年に連載が終了しているのだが、アニメは案外長期化の様相を呈していた。4シリーズ全140作を放映した後に劇場版3本、テレビスペシャル3本。99年春まで。
個人的には年1回お祭りのようにテレビスペシャルを作る大泥棒の孫アニメの後釜になると、信じていたのだ。
だが99年春のスペシャルの出来が酷くてなあ。以後断絶。恐らく原作者の版権移動やら制作テレビ局の変更やらが背景にあったのだろうと思われるが、キャラを理解していない人々が作るということの不幸を感じさせられました。
その後、原作者もそれまでのストーリーをまるでリスペクトしてないんじゃないかと疑うような続編を上梓したりと、すっかり世界から取り残されていたと思われていたのですが。

こんなものが発売になるそうです。

すっげー、今更なんですが。
しかも、10万円とは何事。しかもしかも、100ページにわたる付録とかフィギュアって何物。しかもしかもしかも、完全受注生産ってあーた、人を侮るのもいい加減になさいなさい。
そんなもん出すくらいならあの続編どうにかしろよ!キャラも設定も自己破綻しまくってるじゃねえか。さらに続編のほうのアニメ化、テレビ局の都合なのか半年もペンディングになっているじゃねえか。やる気あるのか。ぜいぜい。
もしやDVDBOX発売になるまでアニメ放映を引き伸ばしているわけじゃなかろうな?
というか、死ぬ気で全140話とスペシャル・劇場版全作をVHSに録画した私の青春を返してくれ……

さらに、これまでの音楽を全てまとめたCDも出るそうです。
録り下ろしストーリーは、かつてファンが長年アニメ化を期待していながら放置されていたストーリー。
今更こんなもん出すくらいならもっと真面目にアニメを作れるよう土壌を整えろよ!ぜえぜえ。

……でも買うんだろうなあ。
DVDはともかくCDは。
そしてがっかりさせられるんだろうなあ。
良いもん。がっかりはこちとら慣れてますから。どうぞどうぞ。


因みに、他に心を奪われたアニメはこれ
キャラもストーリーもすごいが特に音楽。ストーリーとのかぶせ方がすっげー。声もおはーな人元看護婦な人で百戦錬磨なのだ。
……と、今調べていたらPS2ゲームが来月出ることが判明。

今更私に格闘ゲームをしろというのか……。
というか、これ買うのか己……。
買うんだろうなあ。
しかも特典版。
しかもしかも予約して。嗚呼。


*今日は固有名詞を全て伏せさせていただきました。お読みづらい点があったことをここにお詫びいたします。


ガラスの仮面(美内すずえ)

2005-01-22 01:58:51 | アニメ・コミック・ゲーム
待たされるのには慣れているほうである。
仕事も実際の稼働時間とほぼ同じ時間「待ち」がある。
書いた文章が印刷機にのるための版を作る工程は、ひたすら待ち、だ。
内容そのものは自分ひとりで(ある程度は)完結していても、そこから先は大勢の人々との共同作業になる。
彼らも私1人を相手にしているわけではないので、緩急を見極めながら先にやってくれたり後回しにされたりするわけだが。
そんなこんなで、もはや待つことは苦ではない。
旦那(未来形)も30分くらいは平気で遅刻してくるタイプだ。

だが、こいつはどれだけ待ってたかもはや忘れてしまった。
「ガラスの仮面」42巻
全巻書き下ろしだそうです。
というよりも、41巻がいつ出たのかさえ記憶が判然としない。
さらに、安達祐実が主演でドラマ化になる際に、雑誌にちょこっと新しい部分が掲載されていたこともあり、いったい今回の巻がどこの続きなのかさっぱり分からない。
……すいませんそれは41巻を買っていないからなのですが。
というか、雑誌掲載分では、亜弓嬢が目を傷めたり、外人カメラマンとの心の交流があったり、何だか色々ドラマがあった気がしたのですが、あれはどうなったのでしょうか。なかったことになったのか??

で。

時の流れというものは残酷ですね。

1)登場人物が普通に携帯電話を持っている。
1巻を見返せば、母子家庭のマヤがおかもちを持って生計を立てている様が超リアルに描かれています。
月影先生も、確か戦争孤児だったはず。
おいおいおい年齢が合わないよ。
この違和感は、最近月刊フィール(祥伝社)で連載している「花のあすか組2」で感じた違和感と近い。
古い作品を現在によみがえらせることには所詮無理があるのでは?
もっとも、ガラかめはよみがえる以前にまだ終わっていないのでした。嗚呼。

2)桜小路君ラヴ。
痛いっすよ痛すぎっすよ桜小路くん。
今時イルカのペンダントって何~~!?携帯写真取りまくってるのは何~~!??!しかもあまつさえマヤがソファで寝こけてるのを隠し撮りしたっぽいのさえあるじゃないか!!
撮影時の「ぱしゃりこん」って音が出るのを気にしながら隠し撮りしてるくらいなら、さっさと襲え襲っちまえてめー!!!!
……失礼。
ともかく、マヤの失恋にすら気付かないぼんやり現代っ子お坊ちゃん桜小路くんは、現在の恋人舞ちゃんを振ることさえできない優柔不断な人ですから、
いずれマヤに傷つけられて、うっかり舞ちゃんを妊娠させたりするというベタ路線が透けて見えています。
昔はこんな桜小路君はうっとおしくて斬って棄てたかったのですが、今となっては可哀想でむしろいとしいです。
ああ救ってやりたい……。

3)速水真澄ご乱心。
この人は非情にもなりきれず、そして激情にもなりきれず、一体何がしたいのでしょうか。
相変わらず社長室の美しいコーヒーカップは砕けるし、目はすぐ白くなる。
また、この人の影を自認している隠密(違)聖さんは、桜小路君の携帯電話から画像を抜き取ってる。
いやそれは明らかに犯罪では。
というよりもそこまでやったら一種のストーカーです。
むしろ真澄氏が苦悩するのを影から見て悦びを覚えるタイプか?倒錯しちゃってるもんなあこの人。
で、こんな聖を野に放ったままにしている真澄も、その聖からの報告でコーヒーカップ砕いちゃう真澄も、ちゅーとはんぱ過ぎますぜ。
しかし婚約者との結婚を決意しながらここまでとち狂っているとすれば、彼に残された舞台はあとは自殺か事故死くらいしか残されていない気がします。
多分この人、マヤが紅天女をやる時にはこの世の人じゃないよ。
紅天女を演じる者には世界と合一する必要があるそうですが、そこできっとマヤは演じながら感じるわけだよ。
「この空気、この土、この星、この光、みんな全て、速水さんが存在していたという息遣いが聞こえる、それすなわち速水さんなんだわ…!」とか。
万が一マヤを無理心中に誘う可能性もないわけではないですが、とりあえずこのマンガの大命題はマヤの女優としての成就なので、彼女が紅天女をやるのは自明。
だから、多分彼は消えます。そして心だけマヤと合体。何だかなあ。
……こんなこと何の根拠もなく名言して良いのかね。

私はとりあえず紅天女をマヤがやるものだと信じて、その姿を楽しみに待ち続けることにします。
もう待つのは苦痛じゃないもん。