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胎の名前

過ぎにし胎はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。 (ウンベルト・エーコ先生とは関係ありません…)

「劇場版シティーハンター 天使の涙(エンジェルダスト)」(アニプレックス)

2023-10-03 00:34:44 | アニメ・コミック・ゲーム

前回の投稿から約4年、ご無沙汰しております。皆様お変わりありませんでしょうか。私はお陰様でコロナ一つ罹らず元気で過ごしております。

あの時から今まで、何も変わってませんよ。ええ。

 

沼への漬かり方がな! <何それ自慢げに。

 

まさかブログへの次の投稿が同アニメの映画版になるとは、当時は思っていなかった。

本当は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」やTVドラマ・映画「コンフィデンスマンJP」ほか書きたい話が色々あったのだが、筆が整わなかった。申し訳ない。

 

よくぞCHの続編を作ってくれた。

しかも主要声優および制作陣が全員外れずに勢ぞろいするなんて奇跡と呼ばずに何と呼ぼうか。

前作の時はまだ自粛期間中だった(のか?) 小室さんはじめTMの皆さんも復活していて、

むしろスタッフ陣はパワーアップしたのではないか。

令和も4年半が過ぎてこの熱量。

前回も全く同じことを書いたが、

この作品をもう一度蘇らせて、大勢の人々が胸を熱くした、その事実こそがこの映画の評価であって良いと思う。

そう思うし、そうあってほしい。

 

だからこそ、以下の所感は蛇足にしか過ぎないのだが。

 

シティーハンター=CHにどっぷりはまって底なし沼の底を踏み破っている位の自負があるからこそ、この映画について思うところを客観的に記録しておきたい。

まあ、今回の映画も、そこまでハマりはしなかった。

批判とかを書きたいわけではない。ハマらなかったからこそ、令和5年におけるCH映画版のたたずまいを考察してみたい。

制作側が明らかに続編制作を意識して今作を作ったことは見て取れるし、そうであるなら、ここはもっとこうあっても良かったのではないか、ということを言いたい。

愛があってこその批判である、と、前置きした上で批判したい。

「愛も批判も、同じ感情さ」by原作の海原神<違うからな。

 

星つけるなら、5つ満点で3つ、もしくは2.5、かなあ。

前作「新宿プライベートアイズ」とは別の部分で加点ポイントあり、別の部分で減点ポイントがあった。

 

以下、ネタバレ全開で進行しますよ。いつものことですが、ネタバレ踏みたくない方はここで引き返してください。




 

 

 

 

1.今作は漫画原作とTVアニメシリーズとに架け橋を渡す物語。

……ということを理解してから見ないと消化不良で死にそうになる。恐らく観客の大半はここの解釈に苦慮しているのでは。

 

映画を見るまですっかり忘れていたが、原作では重要アイテムである麻薬「エンジェルダスト」は、アニメ版では一切登場しない。エンジェルダストの供給源である犯罪組織「ユニオン・テオーペ」も存在しない。

だから、遼の過去や因縁などといったことも、アニメ版の世界にはこれまで存在しなかった。

むしろ、謎のロバートとかソフィーとかアニメオリジナルの因縁はえらく増えてしまっているがな。

前作の企画時にも、制作陣営はvs海原をいったんは指向しつつも、「そもそも海原がアニメに居ない」ことで企画撤回となった、とパンフに書いてあったと記憶している。

だから、まずは海原とエンジェルダストについてのアニメオリジナル設定を立ち上げる必要があり、それに今作をまるまる1つ分、全力投入したのだろう。

 

……って、そこにまるまる90分を費やす必要があったのか?

 

原作はエンジェルダストにより僚の相棒=香の兄が惨殺された。ユニオン・テオーペに復讐するだけの動機付けとしてこれに勝るものはない。

アニメでこれに匹敵する動機をどう作るか。僚と香がそれ相応の目に遭ってもらわなければ2人の怒りは海原には向かない。

そこで、今作においては、原作でもアニメシリーズでも中盤以降には久しく無かった、「僚が人を殺す」という命題を据えた。この重いテーマを支えるだけの、僚によって殺されざるを得ないキャラの存在感を作るには、映画1作まるまる必要だ、ということだったのだろう。

原作でも終盤にかけてユニオン・テオーペとエンジェルダストを読者にもう一度思い起こさせるために(当時の担当編集者が設定を忘れている位だったらしい)、ミック・エンジェルが登場して華麗に散っていった。<その後色々ありましたがね

だから、今作では、ミック・エンジェルと同じ位置づけだという強いメッセージ性を帯びた、アンジー=アンジェリーナ(エンジェルと同語源)というキャラが誕生したのだろう。

というところまで、ご苦労いかばかりか。とは思うのだが。

「いや原作ではここはこうだったろうが…」「いやアニメ版では…」という脳内ツッコミをOFFにして純粋に見るのはかなり難しかった。

原作もアニメもほぼ完璧に設定が入っている超ヲタのひさをして難しかったのだから、一般的なファンの方々は相当に大変だったのではなかろうか。と推察する。




2.だったらもう少しキャラ背景を深堀りできなかったのか

アンジーが単なるファザコンこじらせ系にしか見えないのが残念。

恐らく脚本の方は会話劇がお得意なのだろうなと拝察はした。セリフでは結構重要なことを説明していて、スネ夫(違う)が「自分の家族を殺した男=海原を何で敬愛するのか」と糾したのに対し、アンジーは「家族は海原だけだ」と返すシーンはかなりぐっときた。スネ夫(違)もジャイアン(違)も、ずっと一緒に生きてきたのに、アンジーの心の中には家族としては辿り着けなかったのだなと。

だがではアンジーは何故家族は海原だけだと思うに至ったのか(単にストックホルム症候群なのか、特別なイベントがあったのか)、海原が絶対的存在にもかかわらずその命に背いてまでエンジェルダスト改を奪還しようとするのか、動機に関するくだりが欠落していて、そこが極めて残念。

脳内補完すれば、「薬に頼らずとも十分な働きをする自分という存在がいるのに、なお薬の開発を進めて薬の力に頼ろうとするのは、自分の力が不十分だと思われているからなのか」「薬の力で全力発揮(?)できたサエバが完璧なのか」等々、なのだろうが、もう少し言葉にしてほしかったし、僚とアンジーでそのあたりのやり取りをしても良かったのでは。

アニメ映画世界観において僚がエンジェルダストを打たれるに至った経緯が不明なのであれだが、原作の僚は恐らく「父と慕っていた人物から単なる実験体としてしかみなされずにエンジェルダストを投与された」という事実に打ちのめされていたはずで、アンジーと腹を割って話せば結構打ち解けられたと思うのだが。

もし、それを踏まえたうえで、敢えてすれ違わせたまま終焉に向かわせたのであれば、それはそれで尊重するが。

キャラの描写もそうだし、重要アイテムなのに車の後部座席に杜撰に置かれたままになってたりするADMの取り扱いについても、誰もかれもみんな雑過ぎやせんか。



3.ならばギャグパートをもっと減らせなかったのか

アンジー自身も言っていたが、慣れ合いが過ぎる。

勿論、悲劇にもっていくための行程として、戦場しか知らず都会的な生活を送ったことがない(ということも傍証でしか説明されないのだが)アンジーが人間としての温もりを知っていく過程は必要だとは思う。桟橋におけるブラ贈呈のシーンはそれが非常に効果的に現れていて凄く良かった。本作で1,2を争う名シーンだと断言したい。このシーンがあったことでこの設定で映画化した甲斐があったとさえ思った。

……のだが、何か前後のつながりとかシーンにかける時間とかが色々謎過ぎる。

ざっくり言って猫探しパートは2分の1に圧縮したらよかった。




4.令和の世にはモッコリはもっときつかった

圧縮すべきはモッコリからだ!<隠喩じゃない

「ギャグ8割シリアス2割」というCH黄金比は分かるのだが、とりわけ最終章と銘打っているならギャグはもう少し差っ引いて良かったのでは。

少なくとも大江戸温泉物語のくだりと桟橋で海に落ちるくだりは省けたはず。

もっと言えばナンパする男(山ちゃん)がアンジーをナンパするシーンとか何故必要だったのだろう。モノレールに乗って川崎方面に向かっているシーンを描くために書かれたのだろうが、圧縮して問題はなさそうな。




5.企業タイアップがさすがにうざい

大江戸とかモノレールとかがそうだったのかは不明だが、タイアップで物語が歪むのであれば本末転倒。




以上、相変わらず辛口で申し訳ない。続編があると期待しているからこその思いのたけを書いた。

意欲作であるのは承知しているし、評価している。

願わくば、これを1990年代にテレビシリーズで見せてくれていれば、こっちも子供だったし、ギャグパートが長すぎ…とか続編いつなの…とか思わずにすんなり受け容れていただろうになあ……。

歳を取るとは残酷なことだ。

作品が年老いていくのも、またなおさら。

 

………。

 

なんてな。老いさらばえた先に、未来は開く!(意味不明

以下、おれの心が震えた瞬間を羅列。



・ついに、僚が女性を殺したか。

・劇伴にあった僚のセリフ「撃ち抜けないのは美女のハートだけさ」から35年余り。令和の世になってようやくこの一線をアニメ版が超えたか、と感慨ひとしお。女だから手心を加えるというのはアンコンシャスバイアスなのではないかと子供の頃からずっと釈然としていなかったのでな…。

・背景の作画、今回も神でした。高速道路好きとしては車の走行シーンの背景がもう感無量。

・音楽、主題歌の使用が最小限で、代わりにTM NETWORKの新曲がOP曲、挿入歌として書かれていたのに心躍った。挿入歌には挿入歌のたたずまいがあり、今作はそれがぴったりだった。

・モッコリ専用劇伴、大好きだ!

・そういえば2作連続してヒロインが僚のことを好きにならなかったなあ。

・一方で僚はあのシーン、香に何を伝えようとしたのだろう。「これは…」か「これが…」か。これが終わっておれが死んでいたら表の世界に帰って真っ当な人生を送れ、というのはアニメシリーズでの僚の常套句だが、果たして。

・こんな悲しいワンホールショットがあるか。しかも僚が自由落下中なら射角が変わるだろうに、なぜ同じベクトルで2発入っていくのか<そこはつっこむな!

・僚の衣装に喪服仕様があったとは。

・香さん、そこは白ブラウスでなくて黒ブラウス&黒タイトスカートだとエロさが増して僚ちゃん好みになると思うんだ。

・アニメ本編では触れられないままですが海原の足音の片方は金属音がする設定なんですね。その原作設定は生きてるんだ。

・・僚が香をかばうように前に一歩進み出るところ、原作漫画のあれの100分の1くらいの濃度でしたが、堪能しました。この所作で3年は燃え続けられると思う。

・そして、「失礼したね、お嬢さん」。このセリフ1つで向こう5年は燃え続けられると思う。いずれまた、会いましょう!!海原さん!!!

・エンドロール後、「おれは死なない」って、知ってる~~!<バカ

 

……会えるんですよね?いずれまた…。

ツッコミも含めて楽しめるのがCHの素晴らしいところなので、今回の映画化は本当に嬉しかった。

だからこそ、欲は高まるばかりなのだが。

「続編、あるんですよね??」

これで制作終了となったら死んでも死にきれない…買ったパンフに原作の海原戦の重大シーンのコマが貼られていて、ということはアニメ版は違う見せ方をしようと思っている、と理解したんですが、それで良いんですよね???

そして、もう一つ懸念が。

原作では遼と香の関係が一歩進んだところから海原編が始まったのだが、アニメ映画版はこれとは決定的に異なり、僚と香はまだ僚の過去について共有できるだけの関係が深まっていないのですよね。

どうやって次に進むつもりなのだろう。次に進む前に僚と香の関係を深めるために1作を投じる、とかはやめてほしい。

一方で、関係が浅いまま海原編に入ったとして、どう2人の関係を深めるのだろう。取ってつけたようにはなってほしくないし、この辺りをおざなりにされると、本当に悲しい……。

とまあ、令和の世に煩悩だけが増していくわけだ。それもまた僥倖と思えばそうなのだろう。
さすが元号3つをまたいで続くシリーズだけあるぜ!

ああ、沼は深い…


「劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ」(サンライズ)

2019-02-15 00:40:00 | アニメ・コミック・ゲーム

白状しよう。
ひさの人格の3分の1は「シティーハンター」で形成されている。



ちなみに2分の1はシャーロック=ホームズ、残った6分の1は三谷幸喜作品。
歪んでるわけだ。

 


80年代の漫画・アニメ「シティーハンター」について、このブログ上で書いたことは多分これまでなかったはず。
何故取り上げなかったかというと、今で言うところの「沼が深すぎて」、客観的に人に読んでもらえる文章が書けなかったからだ。
往年の名作の何が良いか、人を惹きつけるか、語り出したら止まらないこと必定。
リアルで話すと近しい友人勢が皆ドン引きしてくれて、そしてドン引きされている事に全く気付かないでいた、という逸話には事欠かない。

 


なので、今回は作品全般については語らない。
あくまでも映画について、所感を書き留めておきたい。
逆に言うと、底なし沼の底に足がついている位の人間であっても、この映画にはそこまでハマらなかった。ということの証左でもある。
お好きな方にとっては「こいつ分かってねえな」という部分も多いと思う。
批判というよりも、偏愛するが故に「この作品を再びシリーズ化したいのであればここは踏み外して欲しくなかった」という観点から。
星つけるなら、5つ満点で3つ、かなあ。

 



それでも、TVアニメシリーズ開始から32年を経て、主要メンバーの声優および制作トップが誰一人欠けることなく集結したという奇跡は
本当に評価するし関係者の方々の尽力には頭が下がる。
この作品をもう一度蘇らせて、これだけの人々が胸を熱くした、その事実こそがこの映画の評価であって良いと思う。
そう思うし、そうあってほしい。
直近の1999年オンエア「凶悪犯サエバリョウの最期」が最悪だった分、感慨はひとしお。


という前置きをした上で。
以下、いつものようにネタバレ全開。見たくない方はここで引き返してください。




1.「新宿発セカイ系」というプロットが現代にはイタい
「新宿に巣食う悪どもを成敗する街のスイーパー」が「武器商人集団に立ち向かう」という設定自体が、
国際テロやらISやらが跋扈している現代において無理があるなあ、というのが今回気付いた、最大の違和感だった。
過去作品も見返せば色々と痛々しい設定はあったはずだが、あまり気にならなかったのは自分が未熟だったからか。
往時は国際テロリスト集団「ユニオン・テオーペ」とかセイラ登場回の「ブラックアーミー」とか胸躍らせて観てましたよ。
むしろ今見返しても踊りますがね。何か。<開き直り
あの頃のwktkと今と何が違うかと問われると、何だろう。
もしかすると攻殻機動隊はじめ天下国家をどうこうするアニメの良作がその後数多登場したのを見てきたからか。
同じ位、作画がきれいな状態でプロットに無理があると悪目立ちするということなのか。
ともかく、なんとも世界が極めて表層的だという印象。
いわば新宿という街を舞台にした壮大なセカイ系作品として仕上がっているのが、
平成も終わろうとする今、CH初見の人のどれだけに受け入れられるのか。
本来この作品はもう少し依頼人の個人的な悩みを解決する、というのが主軸なので、
例えば複数の依頼人を登場させて、序盤は個人の悩みを解決しつつ、
今回の案件を並行的に走らせる、とかいう方法はなかったものか。
そして、キャッツアイの衣装はやっぱり21世紀の世界線ではオシャレじゃない…せめて全身スーツくらいにできなかったか。




2.やはり平成の世にはモッコリはきついか
そもそも往時から苦手でした。覗きとか夜這いとか。
すいませんリベラリストなので。
むしろ原作で海坊主とか男性陣がよく言っていた、
「結婚して子供を産み育てるのが女の幸せだ(だから自分の傍に美樹ほか女は置けない)」
云々のフレーズは辟易しながら読んでいた側だ。
時代がそういう価値観の下にあったことに加え、原作者がマスキュリストなのだろう。
まあそういう思想だからこそ女性にとことん優しいリョウというキャラが生まれたわけで、ここはパラドックスではあるのだが。
しかし、世は平成31年。アニメの設定も恐らく現代と同じだろう。
リョウの実年齢を幾つくらいに置いているのか分からないが、イマドキ30代以下の男性であんなに女性を口説きまくる男、いねえぞ。
美女を見つけて目をハートにさせてるくらいは許容範囲なのですが。
今回の映画では花園神社で色んな女の子に声を掛けつつ悪党を追い払う、あの位の描写が今ドキの限界なのではと思う。
更衣室にドローンもまあ、話の本筋に関係なくはないので許す。
充分に抑制的だったとは思いますが、やはりマスキュリズムだなあ。
むしろ入浴シーンは非常に綺麗に描かれていたので高評価だったり。

 


3.挿入歌がちぐはぐ
多分往年のファンの99%が歓喜したはずの挿入歌。
ひさ自身も映画開始3秒後に某曲が流れたのを聴いて息をのんだ。
それでも、これだけは声を大きくして言いたいのだが、
「OP、ED用に作られた曲は挿入歌にはなり得ない」。
主役として作られたものは脇役に回ってはいけないんだと思う。
作中、音楽の主張が強すぎてストーリーを阻害していると思った瞬間が何度かあった。
冒頭も「何でOP曲が2つあるんだ」と混乱した。
そして、はっきりとは覚えてないけどCH3のOP「Running to horizon」とかCH2の2代目OP「セイラ」とか。
懐かしくてファンを惹きつける要素ではあれど、作劇を邪魔するようでは本末転倒だ。
そしてひさは音楽に強い思い入れがありすぎて、ここら辺がかかると話が辿れない位に音楽に意識を引っ張られた。
スクリーンに当時のOP・ED画像がかぶって見える位。
むしろ新作曲を書いた岩崎琢氏の音楽が素晴らしく良かったので、彼に全面的に音楽を委ねれば良かったのに。

 



4.敵役が総じて浅い
1と通じる話ではあるのですが、仮にもリョウの目の前で香に好意をもつ人物として登場するなら人物像をもっと深堀りしてほしい。
武器商人ヴィンスは何がしたかったのか今一つ不明。若い日本人ITベンチャーを操りたいならもっと別のやり方を取るべきだっただろう。
そして色んな人を寝返らせたらしいのにすっげー簡単に殺され過ぎ。
IT社長も社長で、香の幼馴染ももう少し力を求める背景について説明があるべきではないのか。
そしてフラれたからってそんなにあっさり香に銃口を向けるな。
こうしたところを軽んじると全体が軽くなってくる。
コメディとアクション、シリアスとギャグの按配など色々配慮されて作られているホンにしては、酷く雑な仕上がり。
もともと脚本で書いてあったのに尺を合わせるために削ったのか?

 


5.兵器のリアリティがちぐはぐ
多分、テロリスト集団の武器全般は現代にアップデートされている。
にもかかわらずリョウは相変わらずコルトパイソン357マグナム。さらに100年くらい前のショットガンまで出てきた。
敵のラスボス的機械兵器が撃つ砲弾に耐えうる357マグナムのフルメタルジャケット、どれだけ無敵なのか…
ドローン群はタチコマを彷彿とさせてかわいかったけどな。
もっとも、アクションシーンの動きは非常にきれいに仕上がっていて、この点は純粋に楽しめた。
ずっと2時間アクションだけでも良いくらい。



6.企業タイアップがさすがにうざい
最近のトレンドがタイアップなのは分かっているのだが、リョウって家で毎日ビール飲むキャラだっけ?

 



以上、思いつくままに書いた。
パンフを読んだ印象では、往時から総指揮を務めてきたこだま監督は往時と同じテイストでCHアニメをつくりたかったようだ。
曰く、「ギャグ8割、シリアス2割」。
確かにCHを形成するモッコリ、美女、アクション、リョウ香の微妙な人間関係まで、見事に再現してくれた。
このアニメがもし1999年に上映されていたら、ネ申だとあがめたてまつっていたと思う。
だから、ただただ、CHの様式美が今の時代には合ってない、もうそれだけなのだ。
そして、ああ、自分はこんなに歳をとってしまったのだなあ、と振り返る、
そういう物悲しさというか、感傷を伴いながら映画を観るというのは、何だか切ないことだなあ、と。


………。

とか何とか、愛しさと切なさと心強さの先に、心のモッコリはある!(意味不明
以下、おれの心が震えた瞬間を羅列。

・背景の作画が本当に素晴らしかった。特に夜景。往時のアニメが紙芝居だとしたら、今回は8Kテレビ。
・リョウと香の関係性が原作ベースで一番エモい時期のそれでぐっときた。
 香が出撃前のリョウに「御国君のところに行く」と宣言した際の、リョウが固い表情で無言で頷くだけのあれ、何なんすか。
 口を開けば「あんな男の所には行くな」と香を止めそうで何も言えなかったつうことなのか?<妄想か。

 あとは何も言わなくても連携プレーができる2人が観られてひたすら幸せだった。
・ついでに香の幼馴染がミックに似ていると思うのは妄想がなせる業でしょうか。
・そういえばヒロインがリョウのこと好きにならなかったなあ…「あんなエロおやじは今時の若い子は好きにならない」という時代性を反映?
・ED。あの「過去のアニメをリライトしてみました」祭は反則でしょう。画面小さかったから良く見えんかったけど、セイラ居たよね?多分。もう1回映画館に見に行くか。<信者ホイホイ
・合わせて、EDで現在の新宿の街並みを実写で流すのも反則。
 アニメ2期後半のEDであれやったときは、都庁が建ったばっかりだったんだよ。って、今の人に言っても分からんだろうが。

 

とまあ、総じて非常に楽しめました。ツッコミも含めて楽しめるのがCHの素晴らしいところ。
何より、原作漫画が打ち切られ、年1回スペシャル枠で放映していたはずのアニメがある時を境にして突然死し、
さらには原作者のたっての望みという英断でヒロインが事故死する世界線がつくられるような本作品において、
一番輝いていた時を再現してくれた。
それだけで、もう充分だ。


平成最後の年まで生きていて良かった。

やっと、これで本シリーズがこれで完結しても良いという作品と出会えたのだから。

 

そして上記モヤモヤを補完したくてネット上で落ちていた初の劇場版「愛と宿命のマグナム」見返しちゃったし。
これこそ30年前の映画だけど多分今回作品よりもプロットちゃんとしているぞ。セカイ系だけど。
うん、これを機に過去作品あたろう。
沼だね。


「輪るピングドラム」その4(放送終了によせて)

2011-12-25 02:55:28 | アニメ・コミック・ゲーム

きっと何者にもなれないお前達に告げる。
ハズレ考察の答え合わせを今ここで見届けるのだ。


……ということで、やっと全24話の放送が終了した深夜アニメ「輪るピングドラム」(まわるぴんぐどらむ)にまつわる考察・答え合わせ編。

……。

恥ずかしながら告白する。
前回エントリまであんなに的外れな解釈していたひさに、それをすることが許されるなら。

感動した。
朝起きてすぐに録画を視聴して号泣し、疲れ果てて二度寝するくらい、感動した。
よくもまあ、こんなに初志貫徹なものづくりができたものだ。
表現したい世界をよくぞここまで追及して作品にしたものだ。
内容そのものもさることながら、イクニチャウダー以下制作者の心意気を感じ、それにただただ心震えた。
もしこの作品が去年放送されていたら、ああいう結末を描き切れていなかったかもしれない。
この話のテーマを受け入れられる視聴者がどれだけ居たかわからない。
他のいつでもない、2011年という年が、この作品をこの形に至らしめたのかもしれない。
そして、この作品が誕生する瞬間に立ち会うことができた自分は何という幸せ者なのだろう。
しかし、いや本当、ハッピーエンドで良かった。愛がある作品で良かった。

以下、ネタバレ進行で突き進みます。
しかもかなり長文。ご容赦を。


20)「1=1/2+1/2」、もしくは林檎と愛、ピングドラム
前回、*4にて「1+1=2」なのかと書いたが、違いました。
あの日記が2つに裂かれた所で気付くべきたったかもしれない。
「愛も罰も全て分けあう」ことが本編の象徴の1つでした。
1つの林檎を分け合った双子兄・弟と、双子弟・ひまり。
アダムとイブが食べた禁断の果実は計何個あったか分からないが、
きっと始まりの2人も1つの林檎を2つに分けて食べたに違いない。
ペンギン達は主に2号を中心に大量に食していたが、あれは人ではないから良いのだ。
双子兄の背中が避けてひでぶ状態大量の血が噴き出す描写は、
サネトシの呪いに侵されて自らの中にある愛が炉心融解して失われ始めた状態、
その融解を止めたのが真っ裸のひまりの抱擁ということか?
全然冷温停止には至っていないがな。自重しろ己
そして双子弟が取り出したピングドラムのうち1/2で双子兄が愛を留めた=流血が再び林檎の形に戻った。
ところで弟は兄と1/2ずつ食べ、さらにひまりとも半分こしてるから1/2わる2で1/4じゃないかとかそういう野暮なことは言いっこなしだ。多分そんな質量保存の法則はこの世界には当てはまらない。
弟が取り出したものが1/1だったのは、兄から貰った分と、何話か前にひまりが家を出る際に弟に(多分)思いを伝えた分の合計なのでは。
そう考えると、煙となって消えた残り1/2は再びひまりに戻ったのだと考えるのが自然な気もする。
そして、この3人のピングドラムは全話かけて2人*3パターン、ちゃんと行って戻ってきているのが秀逸。
a/ 檻の中で兄→弟
b/ こどもシュレッダーで弟→ひまり
c/ 1話生存戦略で兄→ひまり
d/ 家族ごっこ終焉時にひまり→弟(玄関タタキで何か告げていたあたり)
e/ 兄暴走前に水族館でひまり→兄(赤い光に射抜かれていたあたり)
f/ 最終話生存戦略で弟→兄
(g/ 最終話生存戦略で弟→ひまり?)
書き出してみるとdが弱いような気もするが。
愛は一方通行ではなく双方向であることで初めて愛になるんではないだろうか。
エピローグでたぶきとゆりが背中合わせになって互いに「愛してる」と告げあうシーンはまさにこの象徴なんではないだろうか。
三者三様の愛が行って来いで成立したから、一方通行の→で表現されるピングドラムの輪は消滅したんでしょう。
それが双子兄が手に入れた「光」ということかは分からないが。

因みに、
「1/2の林檎」なる男女4人四角関係な漫画があるが、多分これはこの作品には関係ない。と思う。
こやまゆかり著。面白いですよ。
……すげーいろんな流れを台無しにする一文ですみません。

21)運命の乗り換え、もしくは中央図書館そらのあな分室
連結器が外れるシーンに萌えたことは秘密。
いや、ひさは鉄ヲタではないですよ。ただ機械ヲタとしてぐっときた。
りんごが散々「ひまりちゃんを救う」と言っていたから、発動して成立した以上、ひまりが復活したのは運命乗り換えによるものだろう。
ただ、代償を他人がかぶることができるとは。代償の乗り換えに必要な呪文は「愛してる」なのか。
燃える描写があったのは双子弟ですが、「愛してる」の心持ちは双子兄・弟・ひまりの総意であったと信じたい。
双子兄・弟のピングドラムをりんごが引き継いだのでは。だから乗り換え後の世界ではひまりと食卓を囲んでいてひまりも「何か心が落ち着く」感じがするのだと。
そして、シュレッダーですり潰された双子兄は、双子弟と代償までも分け合ったんですよね。ね?違うか?
そして、サネトシとももかが居た中央図書館そらのあな分室。
線路2本を乗り換えるポイントくらいは描いて欲しい。いや、ひさは鉄ヲタではないですよ。ええ。まあ。マジで。
サネトシが「銀河鉄道の夜」でカンパネルラに川におぼれた所を助けて貰った(その結果カンパネルラは溺死した)ザネリの役割なのだとすれば、
サネトシはカンパネルラに出会えなかったのかもしれない。
カンパネルラは銀河鉄道がそらのあなに差し掛かったところで突然消えてしまう。
もし、そらのあなの中にザネリがアリジゴクよろしく待ち構えていて、カンパネルラを引っさらって代わりに自らが助かったのだとしたら。
サネトシは今回は世界を壊せなかったけれど、また次に運命列車が通りかかる機会を虎視眈々と待ち構えているのかもしれない。
しかし、サネトシの呪いの言葉、これはテレビの前の良い子のみんなに言っているのか。
人という箱に入っている限り呪いから出られず幸せにはなれないそうです。すいませんね。
ところで、新しい世界に高倉父母は出てこなかった。
そうなると95年3月20日のテロは誰が起こしたことになっている世界なのか?
そもそもテロが起きなかった世界であって欲しいが、この作品の創造者はそんなに楽観的ではないだろう。
乗り換え後の世界が今、私達が生きている場所ということなのかもしれない。

22)呪文、もしくは無償の愛
あのデスノート運命日記そのものには効力がなかった。
もしくは、運命の乗り換えに必要な呪文は、使い手や乗り換えたい人によって異なるのかもしれない。
運命参加権?を手にするりんごが呪文として唱えた「ひまりちゃんの一番大切な言葉」、手に入れられたのは、高倉家にこっそりやってきたダブルHが口にした言葉がヒントだった。
ダブルH、小学校でひまりと一緒にアイドルオーディションを受ける寸前までいった親友。
高倉父母の指名手配によってひまりが学校から追い出されるように居なくなった時も、教室の中から不安そうに見守っていた。
そんな2人が、2人のためにマフラーを編んでくれたひまりへと新曲のCDを持ってきた。
「ひまりちゃんの一番大切にしていた言葉をタイトルにしたんです」
すいません、ひさ、ここで号泣しました。
あんた、天下の人気アイドルがだよ、生き別れた友達のために新曲のタイトルを自ら選んでセレクトするかい!
しかも、その友達、オフィシャルには絶対に存在を説明できないわけだ。テロリストで指名手配中の男女の子供が親友だったことが明らかになればアイドル生命を潰しかねないわけですよ。
そんな危険を冒してまで、自分達はひまりを親友だと宣言するわけですよね。
どれだけいい子なんだ君達は!!
誰か、秋元先生に聞かせてあげてよ!というのはさておき。
これも、愛のやり取りと考えてみる。
林檎を分けて食べるのとは性質が違うが、ひまり→WHのマフラーと、WH→ひまりの新曲タイトル。
それは罰を伴わない、無償の愛ではないだろうか。
そして、ひまりに聞いて欲しい新曲のタイトルを伝え聞いたりんごが、ひまりを助けるためにそれを呪文として唱えることで、世界は救われる。
この作品のテーマは、自己犠牲による愛の実現にとどまらず、犠牲を伴わない無償の愛の肯定もあるんではないのか?
双子兄弟とひまりの間を回るピングドラムだけでは3人とも助からない、りんごが橋渡しする愛も必要だった。
そういう意味では、1話の生存戦略でペンギン親方が「ピングドラムはおぎのめりんごが持っている」と言っていたのは嘘でも妄言でもなく、真になる。
「銀河鉄道の夜」では自己犠牲の炎に焼かれるサソリ座よりも、天頂に最も近い所にある南十字ステーションのほうがより上級な天国のような描かれ方をしていた。
深い信仰を抱く者だけがたどり着ける場所。
天空には多分両方とも存在している意味があるんでしょう。そしてこの作品においてもまた然り。

24)双子、もしくは2週目(笑)、おぎのめりんご
乗り換え後の世界に双子らしき子供が2人。
上記・乗り換えの代償を2人で分け合ったために1人分の命をも分け合ったのか、小さくなってしまいました。
もしくは、子供時代の檻の中からスキップして現在にやってきたのか。
一連の考察エントリの初回で書いた2週目説がこんな形でまさか実現するとはwwwもっとも、乗り換えた世界は過去をやり直すわけではなく、続きからリスタートする形ですが。
もっとも、黒いうさぎ2匹と同様に双子も幽霊である可能性もあるが。
そして、りんごちゃん、変質者系ストーカーからまさかのヒロイン昇格。
りんごの目線からこの物語を見ると、れっきとした成長物語になっている。
親の愛に恵まれない子供から、無償の愛を受け止めたり橋渡ししたり自ら犠牲になろうとしたり、色んな形の愛を知ることで耳目の開いていない子供から全き人間に一歩近づいた。
だからももかも安心して線路から離れてそらのあなから退場していったのだろうか。
こっちの世界では両親が離婚せずにりんごちゃんに愛情を注いでいるといいな。

25)「おしまいじゃない、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」
最終話のラスト。
エンドロールも終わった後、星野リリィ氏のイラスト直前の提供企業紹介の音声。
「この番組は、キングレコードの提供でお送りします
確かに最終話はOPがなかった。そのため提供企業紹介がどこにも入っていなかった。
でも、ED後用だってあるだろうに、わざわざOP後に使う音声を持ってきたことには
少なからず制作者の意図が入っているはずだ。そう信じたい。
この話のラストは、物語の始まりでもある。
第1話のシーンをトレースしていることでも分かる。
物語の行き先は、双子とペンギン4匹だけが知っているんでしょう。どこに行くんでしょうかね。
ついでに、最後に出た各話タイトルボード「愛してる」の画面も、
いつもは数字の周辺でくるくる回っている輪が、途中で消失していったのも見逃さなかった。
こういう細かな気配りがいちいちはまる。単純なものでね。しびれるだろう?



……以上。
個人の感想であり、制作者の思いとは色々異なっている可能性があり、
そのまま鵜呑みや他所への散布などしたら激しい副作用に襲われることもございますのでどうぞお気をつけてください。


「輪るピングドラム」その3.1.001

2011-12-18 23:59:37 | アニメ・コミック・ゲーム

きっと何者にもなれないお前達に告げる。
以下省略!

……ということで、最終回を前にした疑問書き連ねエントリ。
枝番が増えて大変なことになってまいりました。
こういうのも今回が最後と思ってお付き合いいただければ僥倖である。
多分最後。

……多分。汗。

以下、いつものようにネタバレ進行です。すいませんね。


*4)1+1=2?
運命の至る場所=95年の事件の際に2つに分離した描写が出たサネトシとももか。
サネトシは黒いうさぎ、ももかはペンギン親方の帽子になったとする描き方でしたが。
例のデスノート運命日記も2つに裂かれていました。
双子の存在もしかり、この物語は2つ1組が今更ながらカギのようです。
そういえばひまりが入りそびれたこどもアイドルユニット・ダブルHも2人です。
2つに分かれたものは大体において1つにまとめ上げたい力が働くものですが、
この物語においてそれは良展開なのかどうか。
2つに裂かれた日記が燃えたとたんに喋り出した帽子=ももか。
帽子2つが一体になればももかが復活する=呪文が復活する、というのはベタすぎる展開か。
サネトシが転じた黒いうさぎ2匹も、何が消えればサネトシに復活するのか。いやわざわざ復活しなくていいけど。
やっぱり双子兄弟の命あたりが引き換えなのか。
しかしTBSドラマ「南極大陸」のタロとジロがもはや黒いうさぎ2匹にしか見えない…。

*5)ひまりの命は何を代償としているのか
第1話、水族館で倒れたひまり。
ペンギン帽子と遭遇したことで実際の命は強制終了した、はず。
この際、第9話を見返してみた。
例の、そらのあな図書館での回想編。
サネトシに帽子をかぶらさせられたひまりは「運命の花嫁」でペンギン帽子はその「花冠」、花嫁の相手は「運命の至る場所に居る」。
このあたりの事情の答えは、運命の花嫁が現実社会でサネトシを必要とした時に分かる、と。
そして何かから剥がされるピングフォースのキラキラシール。剥がされた下はピングループのロゴマークがありましたが。
どこをどう引っぺがしてみても、ももか=ひまりにしか見えなくなってきた。
もしくは、ももかの居る世界とひまりの居る世界が表裏にあるようにしか思えなくなってきた。
双子兄を止めようとしているひまりと、サネトシが同一サイドに居て、アメとムチというか白と黒というか。
23話、双子弟に寄り添うというかすり寄るりんごとひまり、それぞれ似た構図じゃないか。
そう言えば黒いテディは爆発物として本編に登場してきたが、
例の生存戦略の際にペンギン親方が登場する白いテディはまだ出てきていない。
ともかくも、ひまりが生き延びる側の世界はあまり救いのない世界、ということなんじゃないだろうか。
ひまりとももかが融合することができれば、初めて違う世界への窓口が開けるのでは。
しかし、そうするともう一つの帽子とマリオさんとの関係はどうなるのか。

*6)双子の運命
23話ラストの箱、あれは恐らく生まれる前の2人の魂ということでよろしいか。
あれって胎内ですよね。
何者にもなるより前、人が人であるか否か瀬戸際な時代の。
いや、他のどなたに否定されようと、わし自身ああいう夢よく見たんですよ、子供時代。
ああ、誰も聞いちゃいないですね、すいません。
双子兄と双子弟が血の繋がっていない事は既に明らかにされているわけで、
あれが即ち母胎ということではないのでしょうが。
きっと、95年3月20日に生まれてくる人達が皆あの謎の黒い空間にそれぞれ箱詰めになってそこかしこに居るってことじゃないか。
そもそもブロイラーって、同じ日に卵から孵ったひよこが一緒に詰め込まれる場所らしいし。
そして、その黒い空間に、ももかとかサネトシとかが呪いをかけていったに違いない。
この際、ひまりも95年3月20日生まれだったってことにしちゃえば良いのに。あははははー。はあ。

*7)「あなたたちはあの列車で見つける、あなたたちのピングドラムを!」

えええと、高倉父母とか、ももかりんごの父母とか、たぶきとゆりとか、ダブルHとか、他大勢の登場人物達が
双子兄弟を取り囲んで「おめでとう!」って拍手しているシーンばかりが
脳裏を駆け巡って仕方がないのはどうすれば良いんでしょうか。
因みにエヴァの最終回はオンタイムで視聴していたがあれはあれでひさは受け容れられたので
この作品がそういう道を辿っても多分受け容れられるだろう。

ええ。
まさかの「完結編は劇場版で!」でも、何も驚きませんよ!!もう!!!


というのは冗談としても。

この話の至る場所が、不完全な世界と折り合いをつける不完全な自己をそのまま受け容れること、あたりにあるのではと考えている。
結局、人が非情な現実に絶望せずに生き延びるには、多かれ少なかれそういう生存戦略が必要なのは間違いないわけで。
自己犠牲を払って世界を生き永らえさせるよりも、世界が一部損傷した中を自ら生き延びる方がよほどつらく険しい道のりである。
それでも、生き延びていればいつか未来のどこかで他の誰かを生き永らえさせるかもしれないわけで。
そういう事は、今年3月の地震をはじめその他諸々の事象を経た現在に生きている人々が薄っすらと脳のどこかで理解している事のはずだ。
あの人が居ない、あれが失われた、そんな世界を生き延びなければいけない我々の運命は、果たしてどこに行きつくのか。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」でカンパネルラを失ったジョバンニは、その後どうやって半生を生き永らえたのだろうか。
何かそういう事に思いを馳せろ、と画面の向こうから言われている気がしてならないんである。
それが決して良い感触のものではないことだけ、ここに述べておきたい。


以上、今回はここまで。
次回アプ時は最終回放映後、今までのハズレ考察を自己批判しながら総括することにしたい。
一応、内ゲバ禁止でお願いします。
しかし、兄は2週目説とか一体どう総括すれば良いのかもう本当すいませんすいませんすいません(号泣)


「輪るピングドラム」その3.1

2011-12-13 00:25:21 | アニメ・コミック・ゲーム

きっと何者にもなれないお前達に告げる。
ひさの間違い探しに参加するのだ。さもなくば去れ。


……ということで前回書き込みをどこから訂正したらいいのかさえ分からない深夜アニメ「輪るピングドラム」(まわるぴんぐどらむ)ハズレ考察
もう初めっからハズレ宣言してやる。こんちくしょー。

22話まで視聴した今、色々事情が分かってきた。
一方で、現状からあと2話も残されている事実が受け入れられない。
さらに謎かけ・タネ明かしを重ねるつもりなのかスタッフ。
これ以上ひさにハズレ考察を書かせるつもりなのかスタッフ。
恐ろしい子!

さすがにひさも勉強した。
取りあえず、現状の疑問点だけ書き連ねてみる。考察はなし。
疑問を公の場に放置するだけという、かなりあり得ない展開ですよ。
だからエントリのバージョンも「その3.1」ということで。

以下、いつものようにネタバレ進行です。ご容赦を。



*1)K.高倉の名札
21話、廃墟のラーメン店内で発見された件のアレが着ていたジャケット。
名札が付いていました。
「K.高倉」ですって。
ですが、回想シーンの高倉剣山が着ているジャケットには1つも名札がない
21話の件のシーンを分かりやすくするためにわざと名札を描いた可能性もあるが、ここのスタッフがそんな前後不一致なヘマをやるとは思えない。
しかもフルネームでなく、イニシャルなのも気になる。
こういう書き方をする場合というのは、高倉姓が同じ組織内に複数居る場合くらいではないだろうか。
ではK高倉とは誰か
剣山、そして双子兄もそうなんだな。
あれって、未来の双子兄のアレだったとしたら
いっそ双子兄が幽霊だったとしたら
サネトシが幽霊だったんだからこれくらいあっても不思議ではないだろうよ。
ひまりを延命させるために命を抜き取られる描写もあったことだし、
あの辺りから幽霊ってことで良いじゃん。<投げやり

追記)よく考えたら、双子母=高倉千江美と区別するためのK高倉か?母はC高倉だったとか。

*2)真砂子の武器
双子兄がKIGAと関わるのを懸念し、彼の暴走を止めようとする割には、自身の武器もKIGA印。
良いKIGAと悪いKIGAがあるのか?言わば白KIGAと黒KIGA?
というか、真砂子も双子兄もこんなテロリアンなのに本当に16歳前後なのかよ!?

*3)サネトシの正体
呪いの集合体なる仮説が真砂子から提示されたサネトシ。
ではその呪いは誰のものなのか?
ピングフォース時代にピースに失敗した=テロを完遂できなかった人達(含む高倉両親)のものか、
テロで死んでいった人間達の呪いか、
それとも捨てられて誰からも愛を叫んでもらえなかった子供達の怨嗟なのか。
「運命の至る所」と大上段に振りかぶった以上、ある程度の深遠さは欲しいところ。
ついでに音沙汰のないペンギン親方=プリンセスオブクリスタルもそろそろオチが欲しい。

以上。今回はここまで。
りんごが日記を使って誰を救うのかもそろそろ気になってきたところ。
この際「日記なんてただの日記、ももかもりんごも誰も何の力も持っていなかった」的なオチが待ち受けていることさえ
かなり覚悟している今日この頃だが。


「輪るピングドラム」その3

2011-11-27 13:31:10 | アニメ・コミック・ゲーム

きっと何者にもなれないお前達に告げる。
妄想の帰結を目に焼き付ける覚悟をしろ。さもなくばこの場から立ち去れ。


……ということで、三度記すことにした深夜アニメ「輪るピングドラム」(まわるぴんぐどらむ)にまつわる考察。
20話まで視聴して一層訳が分からない今作。
主目的は前回のエントリの間違いを正すことですので、先読み要素は少なくなっております
というより何より、「親の居所なんか知らない」と言っていた双子兄が普通に親と会っている現実をどう受け止めればよいのかさっぱり分かりません。
もはや誰も信じられない。
一番信用ならないのは己のハズレ考察だがな。

以下、いつものようにネタバレ進行です。ご容赦を。



14)ピングフォースとKIGAの会
中国語でペンギンとは企?(KIGA)と呼ぶのだそうだ。
ピングフォースは南極に高倉剣山も含む探検隊を送り出しているようだ。
例の95年3月20日以降、組織はKIGAに名前を変えて潜伏しているもよう。
だが、ピングフォースの高倉と、KIGAの高倉は同一人物か?
見た目も声優も話し方も同じなのに感じる違和感。
団地の一室で集会を開いている連中の、玄関のタタキに置かれた靴の並びがかなり違う。
テロ前日の前者はきっちりと列に並んでいたが、双子達がうろうろしているテロ後の世界では靴がとっ散らかっている。
主導する人間の性格の差によるものだと考えるのは行き過ぎか?
高倉父も双子だと面白い、なんて思う訳で。

15)兄弟姉妹と兄と妹
20話で一挙明らかになった、双子をめぐる人間関係。
夏芽一族のうち、娘=真砂子と真砂子父はKIGAに関係あることが判明。
真砂子が双子兄を「おにいさま」と呼び双子弟を「あの子」と呼ぶ。
双子弟は団地でひまりを発見。「運命の果実を食べよう」と呼びかけて家族に引き入れた。
素直に解釈すれば、真砂子と双子兄が夏芽家のきょうだい、
真砂子の呼び方を全面的に受け入れるなら、双子弟は真砂子・双子兄とはきょうだいではなく高倉家の子、ひまりが孤児ということになる。
しかし、真砂子の年増ぶりったらどう考えても妹はないだろうよ。
いかな夏芽家が凄かろうと、16歳未満の子が会社の経営職には就かないと思うのだがどうだろうか。
「チャイナマネーにやられチャイナ!」とか死語なことを呟く年頃ってもっと上の世代じゃないのか。
せめてたぶき・ゆりと同世代だと思っていたが。
ということで勝手に真砂子が双子兄より年長だと決めてかかるわけだが、
年齢逆転した相手になお「おにいさま」と呼べる境遇はあるだろうか。2つほど考え付いた。
1・入信時期が真砂子よりも先…兄弟子的な意味で
2・真砂子の姉の結婚相手、もしくは姉の結婚相手の親戚
……これまでの情報からみて2はなさそう。1か?
2の場合だと、一番あり得るとして、高倉剣山が夏芽父の兄で、従兄を「おにいさま」と呼んでいる、とか?
そして、真砂子が一度口にした「16年前の呪い」、これが双子兄と共に暮らせなくなった何かを指しているのだとしたら。
だがしかし、双子兄がひまりに執心している理由も、真砂子が双子兄に執心している理由も、よく分からない。
正直、共感できない。
ところで、マリオさんが双子弟に似ている気がするのは気のせい?

16)ついでに夏芽家
自らさばいたフグの毒であっさり死んでしまった夏芽祖父。
真佐子が殺しても何度も生き返ったのは、祖父が運命を乗り換えていたからではないのか。
夏芽父が乗り換える手伝いをしたのか、他の人が他の理由によって乗り換えた影響が波及した結果か。
どちらにせよ、夏芽家にも運命日記はあるんじゃないのか?
もしくは、突如フグ毒であっさり死んだことによる運命改変で、高倉剣山夫妻だけがテロの犯人として指名手配されることになったのではないか?
真砂子と双子兄の見た目年齢では同時期に見えるので。

17)こどもブロイラーその2
前回エントリで「あのピクトグラムならブロイラーよりシュレッダーだろう」と書いたが、本当にシュレッダーだったとは。
何者にもなれない子供たちを強制収容して粉々に砕いて透明な存在にしてしまう施設だそうで。
ああやだやだ。
比喩表現なのか実在する施設なのかは未だ知れない。
ひまりが乗っていた列車がブルートレインだったのはわざとか?夜を駆ける列車=銀河鉄道ということ?
もしかして、この世界における「銀河鉄道の夜」は、こどもシュレッダーに行くことを比喩した作品、ということに化けているのか?
双子弟がひまりを追いかけていった先に見えたキラキラシティ、銀河鉄道の夜のクライマックスにある南十字ステーションを思い出した。
銀河上でもっとも華やかな停車場で、結構な乗客が降りていく駅。恐らくは天国そのものだろう。
銀河鉄道つながりで、シュレッダーに回収されて運ばれていく様子、銀河鉄道999の人間狩りにも似た光景に思えるが、考え過ぎか。
ひまりにせよ、たぶきにせよ、幼心の喪失の前に救い出してくれる誰かが居たことは幸せなことだ。
そして、双子弟もももかも、何故あそこにすんなりたどり着けたのか。
ところで3羽のペンギンのうち1号も2号もあのベルトコンベアに積まれて出荷されていたのだが、
その様子からいっそ双子兄も双子弟も両方ともこどもブロイラー出身だと決めてかかるのは乱暴か?

18)日記
ここに来てサネトシ=ザネリの思惑が未だ読み切れない。
ももかの日記を燃やして欲しいと思っているが、自らは手を下すことができない、それではゲームに勝つことができないのだと。
果たして日記に相応の特殊能力が備わっていたとして、それを破棄したいさねとしの思惑は。
完全にこれまで提示された物語に乗っかって解釈するとすれば、
ももかが復活する=テロをなかったことにする運命改変を防ぎたいということか。
テロがなかったことになって困るのは、高倉剣山夫妻を犯罪者に仕立てた一派ということか。
とか何とか、案外、さねとしが何か犯罪行為に関わっていたことがももかの日記に記されているのを抹消したいだけなんじゃ、ちう疑惑も消せないのだがな。

19)運命の日
KIGAの高倉剣山、そしてラーメン屋の高倉剣山は「来たるべき運命の日が」と話している。
彼らは再びテロを完遂するつもりらしい。
それはいつか、そのテロは何をもたらすのか。
そして、テロの犠牲者は誰か。
何か、ひまりが飛び込んで行って、それを双子兄が助けようとして無駄死にして、双子弟が運命改変してひまりは生き返るけれど双子弟が死んでしまい、それらをどうにかしようとりんごが再び運命改変して自滅、双子兄弟が復活する、というような入れ子構造になる予感がする。


……以上、今回はここまで。
そろそろペンギン親方=プリンセスオブクリスタルが何者か考えたいのだが、
意味あるオチにたどり着ける気がせず放置。
ピングフォースの教祖様だというのが最も安易な理解方法ではあるが。


「輪るピングドラム」その2

2011-09-24 14:38:28 | アニメ・コミック・ゲーム

きっと何者にもなれないお前たちに告げる。
雑文に第2弾があり第3弾もあるだろうことを、ここで知れ。さもなくば去れ。


……なんてまたしても偉そうに言明してみたわけだが。
深夜アニメ「輪るピングドラム」(まわるぴんぐどらむ)にまつわる考察第2弾。

現在11話まで放送されて、一層混迷の度合いを増してきた本作。
あまりにも脳内思考の増殖が止まらず日常生活を破壊し始めてきたため、
放送終了を待たずにここで再度対外的に記録してスッキリすることにした。
前回のエントリ同様、内容に関しては個人の感想の域を出ておらず、何の責任も持てません。
全話放送終了後にこのエントリを指さして哄笑する券、前売り絶賛発売中ですケロ

ちうか既に前回のエントリを真っ向否定する内容が放送されているのだが、
それはもう、いちいち弁明しません。すいません。間違ってましたごめんなさい。(開き直り
それでも前回の「兄は2週目」説をいまだ捨てきれないひさを笑ってやってください。はっはっは。ケロ。

以下、完全ネタバレ進行です。ご容赦を。




7)「りんごとももか」という禁断の果実
荻野目りんごの姉・ももか。謎のピンク本の本来の持ち主であり、痛(笑)未来日記を記していた張本人、らしい。
ももかの死んだ日がりんごの誕生日、それが1995年3月20日。
……という情報から得た直観でしかないが、りんごはももかのクローン、という可能性はあり得るだろうか。
執拗にももかの日記を辿ってももかと同一になろうというりんごの行動は一般的には理解不能なのだが、クローンがコピー元を乗っ取ろうという話であると理解すれば、古くから今まで何度も繰り返されたSFストーリーの典型にはまる。
りんご母がりんご幼き日の夫婦喧嘩で「りんごをももかのように愛せない」と言っているのも、「同じ腹を痛めた子なのに」と思えばグロテスクだが、ももかの死によってもたらされた代替品=りんごだと思えば素直に理解できる文脈かもしれない。
という発想が己でも、もう病んでいると思うんですが。こわー。
りんごが度々見る家族写真も、写っているのがりんごではなく、ももかなのかもしれない。本当、こわー。
そしてさらに、ももかの死、もしくはクローン品であるりんごの製造に高倉の父母が関わっていたのであれば、ももか母が双子の弟が口にした「高倉」の名にビビッドに反応した理由も説明できると思う。

8)夏芽2人
「いやだわ、早くすりつぶさなくては」の真砂子と、金髪碧眼のマリオ。
エンドロールを見ていると、ともに夏芽姓がついているので、普通に考えれば姉弟、もしくは親子。ただし真砂子はマリオを「マリオさん」とさん付け。
9話のひまり回想では、マリオは1話に出てきた男の子と差し替わってペンギン帽子を被って登場。
いまどきあまり見ない白タイツに短パンという出で立ちだったので、これまた現実に存在していない人かもしれない。帽子をかぶっているところしか映像に出てこないので。「生存戦略」も叫んでいたし。
真砂子はマリオを生かすためにペンギン親方の指令を受けているのかもしれない。常に誰かと電話で会話しているので、「ピングドラムを手に入れろ」の指令元はペンギンではないのかもしれないが。
真砂子、「獲物」である双子兄の周囲に群がる女子の記憶を謎のパチンコ弾で消して回ったあげく、無理チューを迫る人。
「16年前の呪い」とこの無理チューは関係あるのか?16年前の事件で死んだマリオを生かすために動いている、とかか?
さて、この夏芽2人を銀河鉄道の夜にはめ込もうとしたら、乗ってた客船が氷山と衝突して死んでしまった姉弟しか思いつかないのですが、それで良いのだろうか。

9)ピンクの男
OPと、ひまりの回想シーンでしか登場していないサネトシさん。「銀河鉄道の夜」のザネリを思い起こすべきだろう。
ザネリはジョバンニをいじめるクラスメートながら、夏祭りで川に流され、カンパネルラに命を助けてもらった子供。カンパネルラはこのために命を落としてしまった。
そしてサネトシの居る「中央図書館・そらのあな分室」。南十字の星の傍にある石炭袋=空の穴に差し掛かったところで、カンパネルラは「あそこに母さんが居る」と言い残して不意に行方不明になってしまう。
だが本作、カンパネルラ=双子兄はこの世に存在し、ザネリ=サネトシは未だ現実社会に顔を出してこない。
本来、ザネリが現実の世界に生きるべきところを、双子兄が占拠しているのだとしたら。
ザネリの命と引き換えに消え去る運命だった双子兄が運命から逸脱してひまりを好いている立場に居るとすれば。

10)双子は誰の代わりにそこに居るのか
1995年3月20日が誕生日だという双子。
双子弟によると「2人が生まれたためにあの事件が起きた」。
あの事件が地下鉄サリン事件そのものとして描写されることはまずないだろうが、無差別に人が傷つけられた事件として位置づけられることにはなるのだろう。
一般的な観念に立てば、生まれてくる子供に罪はなく、産み落とした親に罪はあるべきで、双子の親はあの事件の犯人かそれに近い関与人なのかもしれない。
だが、そうすると、事件後しばらくの間は普通に親子で暮らしていたあの両親は何なのか。
あまつさえ妹まで居るわけだから。
とすると、回想シーンで出てくる両親は実の親ではなく、ひまりも同じ親から生まれた妹ではない、と考えるのが自然ではないだろうか。
もっとも、どこかのカルトが「世界を革命する双子が生まれた!万歳!世界を革命しよう!」と大量虐殺を考えないとは限らないけれど。
父親がいつも「KIGA」ロゴのペンギンが描かれたジャケットを着ていたことも気にかかる。秘密組織?「KIGA」のスタッフとして双子とひまりを育てていたのだとしたら。
そして、何よりもこの物語の印象を不可解にしているのは、兄弟が持つ情報量の差だ。
付き合っていた女の記憶を次々と消されたり、どうしてか秘密組織?から大金を譲り受けたり、何かと謎の多い双子の兄。
上に記したヨタ考察から鑑みるに、双子兄は本来そこに居るべきではない場所に居るとしか考えられない。
しかも、「重い女」の行動原理に挙げていた、「キャラ弁」「ウエディングケーキ」「手編みセーター」、そんな中学生・高校生の女子にはなかなか無理でしょうよ。
ということで、ひさはここに、「双子兄は大人の男が記憶だけを保持して過去に遷移した姿だ」というトンデモ説を唱えてみたい。
いや、さすがにそれはないだろう。
いやいや、それでも、最近はあまり放映されなくなった生存戦略イリュージョンシーンに暗示されてはいないだろうか。
ひまりもといペンギン親方が、双子兄らしき少年の胸から赤い玉を取り出すシーンがあるじゃないか。
あれは双子兄から何か記憶とかを消し去る行為だとしたら。
本当は真砂子ではなくひまりと結ばれたかったのに、何かの事故でそうはならなかったため、過去に遡って運命を書き換えているのだとしたら。
そして、本来はサネトシと結ばれる未来にあるひまりを奪取しようとしているのだとしたら。
そして、双子弟は双子兄のクローンとか。笑。

11)こどもブロイラー
ひまりの夢にだけ登場した、謎の施設。
頭から逆さまにゴミ箱に突っ込まれるあのピクトグラムなら「こどもシュレッダー」くらいが1番ぴったり来るのだが。己の発想がこわー。
何者かになる日を待ちながら促成飼育される子どもたち、ということか?
これを書くためにググって調べて初めて知ったのだが、食肉用の鶏は、同じ日に生まれた雛鳥を同じ小屋に入れて、同じ日に出荷する飼育方式を取っているらしい。
双子とりんごが同じ日生まれであるというのはもうこれは運命の必然なのではないだろうか。<と、勝手に双子弟とりんごがこどもブロイラー出身でクローンだと決めてかかるひさ。
そうすると、ひまりは何の役割を担ってあそこに生まれ落ちたのか。
ひまりも誰かのクローンで、同じ誕生日の誰かと運命の果実を一緒に食べようと約束したということになるのか?それがマリオだととても腑に落ちる展開なのだが、それで良いのかどうか。

12)追憶のクラシック
ひまりの回想シーン、かんばの回想シーンでそれぞれ流れたクラシック曲。
ひまりのはモーツァルトのピアノソナタk331の1楽章、双子兄のはドボルジャークの交響曲「新世界から」2楽章。
「遠き山に日は落ちて」もしくは「家路」なる日本語の歌詞が後付けされているのでも有名。
日が暮れたので家に帰ろう、という大意。
転じて、双子兄に家=元居た場所に戻れと促す曲か。
作品は全く違うが、田村由美のマンガ「7seeds」にも子供を育成する施設で1日の終わりを示す曲として選ばれ、子供達の深層心理に刻み込まれていた。
さて、ひまりのモーツァルトはどう解釈して良いものか。

13)ノート考察その2
9話で引き裂かれ、10話で残り半分も奪われたデスノート(違
半分は真砂子の手にあるが残り半分は誰の下にあるのか。消去法および10話のシルエットから察するに白鳥さんもとい時籠ゆりしかいないのだが、そうだとすると時籠の所にもペンギン親方が居るのか?ちびペンギンは見当たらないが。
見始めた当初はあれがピングドラムだという確信はなかったのだが、複数のペンギン親方があれを欲しがっているとすると、本当にあれがピングドラムなのか。そうなのか。
書いてある内容がペンギンの大元の秘密組織?の核心に触れるような事とか、あの事件の真相に繋がる事とか、なのか?ももかがどうしてそんな事を知り得たのか。
そして、ももかがそんな事をそれに記述してあることを、どうして秘密組織?は知るに至ったのか。
ももかの両親の中を引き裂いたウツボが実は秘密組織の人だったとかか?
そして、そんな重要人物のももかを運命の人だと断じていたタブキが、もはや事件や秘密組織?と無関係であるはずがないように思えてならない。
そして、そんなタブキの幼馴染だという時籠も、ももかと幼馴染だったはずで、彼女の秘密を知る存在なのか。



……以上。今回はここまで。
妄想垂れ流しの脳味噌腐れゲロ豚ビッチ日記で大変申し訳ないことですよ。


「輪るピングドラム」(MBS)

2011-08-06 02:07:36 | アニメ・コミック・ゲーム

きっと何者にもなれないお前たちに告げる。
雑文を読むか否か、今ここで判断しろ。時間を浪費したいなら今ここで去れ。


……なんて偉そうに言明してみたわけだが。
深夜アニメ「輪るピングドラム」(まわるぴんぐどらむ)の話。

ただ1話の一部と2、4、5話しか見ていないのにここまで嵌ることになるとは思っていなかった。
あまりにも脳内思考が増殖を続けて悶死しそうなので対外的に記録してスッキリすることにした。
私的なメモを公な電脳の海に掲載することを許して欲しい。
ただ、この制作者はこういう雑記が世に溢れるのを望んでいるのではないか、と勝手に思ったのだ。あまりに色々なことが放置プレイなので。
全話放送終了後にこのエントリを指さして哄笑する券、ただいま前売り絶賛販売中ですよ。



というわけでこのアニメ。
まだ視聴されていない方向けにどんな話かを解説しようとして、はたりと言葉に詰まった。
それすら観ている人間には分からないのだ。既に第5話まで放送しているのに。

双子の兄弟(多分高校生)とその妹が、運命の至る所から来た人外のナニモノかに翻弄される話。
キーワードは「運命」と「りんご」と「丸ノ内線」と「ペンギン」「生存戦略
親のいない3人兄妹のうち妹が突然死。するとナニモノかがペンギン型帽子を被った妹に降臨して残された双子の兄達に「妹の余命を延ばす」代わりに「ピングドラムを回収しろ」と告げる。
ピングドラムとは何か。妹の命運の先は。突如現れた小型ペンギン3体の正体は。全て謎。
極め付けは突然始まるイリュージョンワールド。キラキラ世界の中でかかるまさかのARBの楽曲。しかもアニメ声。
もうどうしろというのか。

以下、謎がそもそも謎であるのかさえ分からないまま放置されているアニメを己なりに介錯解釈するべく、
現時点で与えられた情報から思考した事を羅列。
色々がいい加減なまま放置ですが、お暇ならお付き合いいただければ幸い。


1)白昼の「銀河鉄道の夜」
主人公兄弟の名前から何から、宮沢賢治の名作にモチーフを取っているという説をネット上で見た。
兄・冠葉がカンパネルラ、弟・晶馬がジョバンニだと。
「銀河鉄道の夜」。名作です。中二病の原点とも言える作品(おい
夏祭りの夜、誰とも分かり合えない少年ジョバンニが「どこまでも行ける切符」を手に銀河鉄道に乗車し、空を駆けた挙げ句どこにも行けずに地上に還ってくる話。
色々な解釈が出来る話ではあるが、ひさの印象に残っているのはかつて国語のテストだったか問題集だったかで遭遇した、誰かの手による解説文の内容。
それによると、この話は宮沢賢治の宗教的葛藤を孕む作品なのだということだった。
宮沢賢治は浄土真宗の家に生まれながら、自身の意志で法華経の信者になった。このため、家庭内で宗教的闘争を抱えていたらしい。
という事を踏まえて「銀河鉄道の夜」を読み返すと見えてくる景色がある。
銀河鉄道の夜はキリスト教をベースにしたエピソードが多いが、主人公ジョバンニは乗客が信仰する宗教や信条、倫理観にそれぞれいちいち違和感を覚えながら旅をする。
乗客はそれぞれの信仰する神様=駅のもとにたどり着いて下車したり消失したりしていく。乗客がいわゆる神の国に到着したとするなら、どこにでも行ける切符を持っていながらジョバンニがどの駅でも下車することができなかったのは、何も信じておらず己が何者であるかを立証することが出来なかったため。
つまりジョバンニは何者にもなれなかったのだ。
とすると、双子の兄弟が「きっと何者にもなれない」存在であるなら、兄弟はいつまでも丸ノ内線から降りられないor抜け出せないことになる。
ジョバンニが得た「どこまでも行ける切符」の代わりに兄弟が得た切符は謎のペンギン(仮)の事か?鉄道でペンギンといえばなんてったってもうSuicaですよね。オートチャージにしておけばある意味どこまでも行ける切符ですよね。資金源さえあれば。
荻野目りんごが好きな学校の先生はバードウォッチングが趣味って、鳥刺しの人か。幼なじみの彼女は白い服しか着ていないし、鳥(さぎか白鳥)の比喩か。

2)双子の近似と相違
イリュージョンの世界に兄弟2人揃って拘束される割に、弟1人だけが墜落する不思議。
可愛い妹が突然女王様口調になったことに混乱する弟を横目に、「あの帽子が妹を操っているんだ」と冷静に的確な指摘をする兄。
ただこれだけの情報から得た直感だが、兄がこの不思議世界を歩くのは二巡目で、弟は初めて、という可能性を考えてみる。
RPGゲームをしたことある方ならおなじみ、クリア後の「2週目」、あれである。
兄は確かに兄であるが、運命の至る所にたどり着けないままゲームセットとなり、再び入り口から同じ道を辿る羽目に遭う。とか。
兄の一巡目が弟の立場にあったのすればどうだろうか。
回想シーンもちゃんとあるし、双子は子供時代から双子として存在していた事になっているが、それはあくまで「この世界の設定」でしかないとしたら。
兄と弟とのキャラが大きく異なるというか正反対の性格なように設定されているのは、兄が2週目だから本来キャラと全然異なるキャラ設定で生きることにした、とか。
この辺りは大昔に見た「うる星やつら」の何かの回と、「ターン」などタイムパラドックス小説で培ってきたイメージに基づく妄想でしかないが。
1週目では実現できなかったあれこれを、弟の眼を盗んで兄は必死で試しているのではないだろうか。

3)キリスト教関連
妹が突然死んだ事に、双子の兄は「犯した罪に対する罰」だと言う。
キリスト教における兄弟といえばカインとアベルですよね。兄が弟を殺した件。
そして、キリスト教における罪といえば、原罪であるわけで。禁断の果実=りんごを口にしたアダムとイブが楽園から追放された例の話。
このアニメ、至る所にシスコンの兄という図が散りばめられているため、その辺りは潜在的に内包されていると理解する。
そしてARB楽曲によるイリュージョンの最後、妹もといペンギン親方が兄の胸から抜き出す赤い玉と、それに伴い生えてくる緑色の植物。素直にりんごと荊=キリストを縛るアレと思っておけばよいということか?
キャラにその名もりんごちゃんが居るけれども、今ひとつ禁断な匂いのしない普通の(とはいえストーカーだが)女の子なのは何故だろうか。
でもって、カインとアベルの経緯から、双子の兄と弟は共存出来ない=どちらかが消えるという暗示を感じるのは己だけか?

4)双子と妹のだんご3兄妹
EDに出てくる謎の女3人はペンギン3匹の擬人化と取るのが一番無難か。
運命の話で女3人と聞けばもうモイラ3女神しかない。運命の糸を割り当てて、紡いで、ちょん切る3人。そう考えると妹を乗っ取るペンギン親方は誰だ。ゼウス?
ただ、双子の兄弟らしき2人を模した女の子2人は、アイドルとして雑誌とかに登場している姿が描かれている。別の解釈もあり得るか?

5)丸ノ内線

言わずと知れた地下鉄・東京メトロの古参路線。
枝線を無視すると26駅あります。丁度2クール分あるという、何という親切な路線。
お話は兄弟と妹の住まいのある荻窪から一駅ずつ池袋方面に向かっているよう。飛び飛びに新宿御苑前とか他の駅も登場していますが。
ひさが目下気になる駅は赤坂見附駅。1つのホームの両側に丸ノ内線と銀座線が接するこの駅、乗り換え至便ですもの。もし丸ノ内線が運命のレールなのだとしたら、誰かがひょんな事から銀座線に乗り換えて違う運命にスイッチする、という展開を作るのに格好の駅。ちょうど路線としても駅番号は「M13」だから1クール目の最終話にもってこいな駅だ。
ただ、この駅は既出。4話の最後に兄と関わりのあった女の子が誰かに背中を押されて階段から転落している。女はその時「彼を見た」そうだが、その記憶は消されるもしくは世界の運命からは抹殺されるということか。

因みに、例のイリュージョン場面の冒頭、光の色が東京メトロの各路線の色に塗り分けられているような気がするが、それは贔屓目に見過ぎか。

6)ピングドラム・別名竜宮城
荻野目りんごちゃんが持つ謎のピンク本。どうやら未来の事が記されているデスティニーノート略してデスノートってか?未来日記の表紙には竜宮城。りんごちゃんのモチーフには海関連の物が多い。りんごちゃんなのに完了する度に彼女が押すディスティニー判子が桃イラストに見えるのだが。まさか桃太郎まで関係してくるとか?
竜宮城に行って帰ってきた浦島太郎は未来に着いてしまっていた。ノートの持ち主りんごはただ未来から来た運命に翻弄されているだけか、運命を自ら回す人になるのか。
しかし持ち主の思惑通り事が運ばないのもこれまた運命の悪戯か。
文面はりんご自身が書き込んだものか、予め書きこまれていた文章なのか。上記、「兄は2週目」をここに適用するなら、1週目で書かれた内容かもしれない。
例えばりんごちゃんの好きなタブキの幼なじみ、白鳥かサギか時籠ゆりが1週目に書いたものだと考えるとすんなり腑に落ちるのだが。何よりタブキを「君」付けで記している辺りに違和感を覚えるので。
そして、りんごはそのノートに自らが望む未来を書き込むことが出来るのか。書きこめば未来が変えられるのか。


……以上。まずはここまで。

この作品にここまで入れ上げる羽目になった自らの深層心理に思いを馳せて、1つ思い当たる事があった。
今から20年近く前、極めて印象深い夢をみた。

それはこの世に生を為すより前の事か、この世の生を終えた後の事か。私は私ではなく、何者でもなかった。
形のない私に対して、形のない何かが命じた。「次にお前はペンギンに為れ」
ペンギンってことは南極で生活しろということですか、それは大層寒くて過酷なことですね。
私ではない私は何かに向かって訴えた。
もう少し良い生はないものですか。前もそうだったように、人としてこの世に生まれ出ることは適わないのですか。
形のない何かが言った。「前の生を振り返ってみたら分かるだろう、お前に相応しいものにお前は為るのだ」
……というところで目が覚めた。

滅多に夢など見ないうえ、極めてリアルだったためにひどく記憶に残っている。
この夢を踏まえてこのアニメを捉えると、何だか直感的な部分で色々と腑に落ちてくるのだ。

偶然ってすごい。
偶然であることに気づけた自分が恐ろしい。
だからこそ、声高に宣言したいのだ。
ひさがこのアニメに出会ったのは、運命なのだと。

しかし、そして、本当に、何でどうしてペンギンなのか。


東京マグニチュード8.0(フジテレビ)放送終了によせて

2009-09-18 12:05:46 | アニメ・コミック・ゲーム

通常同じ項で2つエントリなど書きはしないのだが、
最終話まで11話すべて目撃した以上、思いを記録しておかなければならないのだと思った。



ああもうだからお台場にとどまって1週間くらいビバーグしておけば!!!(号泣)



前回のエントリにも書いたように、このアニメは中1少女の視線から見た災害の記録である。
そして、喪失と鎮魂、再生の物語であったことをここに付け加えたい。

当初は子供の視線らしく、物珍しさからか目に留まるものを断片的に流す映像が多かった。
だが、物語が中盤で急変してからは災害の根幹に目が向かうようになってくる。
避難所、病院、火事、倒壊した家屋、その他もろもろ。
現実世界との齟齬も。
もっとも彼女の視線が現実から乖離して再び現実に戻ってくるのに3話も必要だったのかは
議論が分かれるところだろうが。
(そしてどうやら一定数の視聴者がその齟齬に気付かずすっかり騙されていたようでもあったが)

序盤見捨てられていた悲劇の数々は、やがて主人公の自覚として視界に映し出されてくる。
救急現場のトリアージや死体安置所に置かれた死体の数々も、目を背けることなく俯瞰される。
若いボランティアが駆け巡っている様も、序盤ではあまり見かけられなかった光景だろう。
視線が選択する情報は、災害の大きさ、彼女の身に降りかかった現実を暗に示している。

そして、鮮明な幻影が輪郭を失っていくさまも。

ひさは身体に宿らない精神体の存在は否定する立場を取っており、
一連の描写には今ひとつハマりきれなかったのだが。
制作者側が明らかにそういう存在を認める立場でモノづくりをしていると思われる以上、
肯定だの否定だのはあまり意味をなさないが、
それでもこの物語を許容したいので、以下のように思うようにした。
主人公の成長を促す自我の片鱗だったのだ。

災害直後、廃墟から弟を探すのに声一つあげることができずにおろおろしていた少女は、
終盤で、知人の娘さんを探すために見知らぬ土地で大声を張り上げながら走り回れるようになる。
倒壊した我が家に戻っていく少年をどうして呼び戻そうか逡巡する彼女は、
「探しに行こうよ」と幻影に背中を押されて結果少年の生命を助ける。
こんな世界壊れれば、無くなれば良いのに、と毒づいていた少女が、再び家に帰ろうと、世界に復帰する勇気を得る。

だから、弟を象った自我は、母親と再会して自分達に何が起きたかを伝えたことで
所与の目的を達成して主人公自身と融合したのだ。

それが幽霊だったにせよ自我だったにせよ、手法としては多分に古典的ではあるけれど。

そして、1ヶ月遅れてやってくるメールも。
過去からの手紙なんて超古典的じゃねえか。
マンネリズムだからこそ悲劇でも安心して見ていられるような、やっぱりがっかりしたような。
それでも、この最終話のこのタイミングで尺を割いて家族の歴史を振り返ってみせるのは
なかなか勇気ある画面づくりだと感心した。

そうだ、あの母娘の再会シーン、
母親は多分再会に先立って真理さんの171ダイヤル伝言を聞いていたんだろうな。

あなたが無事でよかった。
最後まで一緒にいてくれてありがとう。
失ったものを忘れることはない、でも、みんな歩き続けなければいけないんだ。


最終話のED、写真フレームに入った画像が「その後」になっていた。
普段の生活を取り戻していく様が写っていたことにほっとする。
誕生日のケーキが丸いこととか、色々小ネタの回収もあってニンマリ。
そして、恐らくタワー倒壊跡地と思われる場所に、巨大な慰霊碑ができていて、
その周囲に大勢人が集っている様子に、これまた号泣。

とはいえ、実は見ていて一番胸が苦しくなったのは、地震から1ヵ月後の朝、食卓にパンとサラダが並んでいたシーン。
ヨーグルトもコーヒーもあるっぽいよ!
電気も水も食品物流も1ヶ月で普通に回復したんだ!

恐らく主人公一家の家周辺は被害がまだ少ない地域だったのだろう。
(建て替えのためか、引越しは余儀なくされていたようだが*追記…違いますね、あの荷物整理は引越しではなくって遺品整理ですね涙)
もしあの日、主人公がお台場に行っていなかったら。
お母さんが一緒だったら。
兄弟ゲンカしなかったら。
たらたらたら。


現実にはたくさんのたらがある。
でも、起きてしまった現実には、助けてくれる人々が大勢いる。
壊れてしまえばよいと思っていた世界に、主人公は助けられた。
もちろんそれは災害時だけの話ではないのだが。

そして自分は、その時、誰かを助けてあげられる側に回れるだろうか。


東京マグニチュード8.0(フジテレビ)

2009-08-14 02:19:04 | アニメ・コミック・ゲーム

天災は忘れた頃にやってくる、というが、
忘れる間もなく日照不足や大雨や地震が続くというのはどういうことか。

茨城に続き、静岡、そして八丈島。
東京湾からの距離がほぼ等しいのはただの偶然なのか、それとも。
まあ、地学的には無関係のものだと位置づけられるはずではあるが、
不安が拭い去れないのはなぜだろうか。


それもこれもノイタミナ枠の鬱アニメを見ているからなのだが。


タイトルから分かるように、東京にM8級の地震が起きるアニメ。
お台場で地震に遭遇した主人公たちが被害から逃げ延びて家族のもとに帰ろうと家路を目指す。
あらすじはシンプル。
だが、ただのパニックムービーに成り下がっていないのは、
災害シミュレーションのデータをもとに詳細に被害状況をつめたからだ、という。

もっとも、リアルさを追求する割には余震の規模がいちいちでかすぎるのは気になる。
オープニングでは姿をとどめていた東京の象徴的建造物群も、余震で次々とあえなく倒壊。
まあもっとも、基幹を支える鉄筋が破裂する音がびっくりするほどリアルで、
それはそれでありえる話だなあと思ってしまえる説得力はあるのだが。


基本的には主人公である中1少女の視線からみた災害の記録であって、
全体の死者数やら倒壊家屋の数を並べ立てる災害シミュレーションに比べ、情報量ははるかに少なくなる。
ストーリー性を維持するために敢えて見捨てたと思われるその犠牲を補うために、
少女が目の当たりにしたのであろう光景が数秒単位で様々に画面に入れ込まれている。
これが、こと細かく説明されるよりも恐ろしい。

架橋が崩落し、地面に打ち付けられたゆりかもめの車体を覗き込む救急隊員。
ビルの屋上に付けられた建設会社の看板の文字が幾つか欠落してしまっているところ。
トラックに載せられて次々と公園に運び込まれる遺体の山。
燃え盛るビルをただ眺めることしかできない消防隊員。
誰が飼っていたのか、飼い主を求めて所在無げにうろつく野良犬。
炊き出しのカレーうどんにコーヒー牛乳を入れるあたりも。
ああいう飲料は水や調味料がない中で案外有効な調味料なのです。
さらに、トイレに並ぶ長蛇の列が食料に並ぶ列よりはるかに長いのも、胸が詰まる。
何でそんな鬱な画面を毎週見ているのか。


それは、実際にあの規模の地震が起きればこの程度ではすまないということを知っているからだ。
街や建物、都市基盤の被害だけではない。
人々も。
このアニメには基本的には善人しか居ないが、実際の社会には混乱に乗じて犯罪をたくらむ輩はもっと居るだろう。
日本語が分からない外国人がそれなりに都市に住まっている中、
彼らがどのように避難生活を過ごしているのかも描かれていない。


アニメが娯楽としては多分に鬱であるにせよ、そして現実と比べると多分に楽観的であるにせよ、
そのことそのものよりも、
災害が常に自分の身の回りに付きまとっていることを、これを見ながら思い起こしたい。




しかしだな。
仮に本当に台場で被災することになるかもしれないのだから、
これを読む貴方には知っておいてもらいたい。
あのアニメでは描かれなかった広域避難拠点が有明地区にある。
正確には、あのアニメの舞台である2012年にはもうできているはずだ。
埋立地が孤立した時のために、10万人が避難できるよう、食料や災害物資の備蓄などを整えた公園ができる。
この間近くを見てみたらとりあえず整地は済んでいるようだ。
概要はここにて。

アニメに照らし合わせると、
主人公たちの居た台場と有明は島こそ違えど、それなりの救援物資はすぐ傍にあったわけだ。
だから、彼らはとりあえず台場で余震が収まるまで1週間くらいそこにとどまっているべきであった。
家族の待つ家に戻るのは心情的には理解できるが、
人の移動そのものが2次災害を引き起こす因子にもなる。
状況によっては、ある程度復旧する、もしくは行政がある程度機能を取り戻し、国際的に救援隊が入ってくる、
その時まで今居る場所にとどまる、という選択をした方が良い場合もある。

なんてこといったら物語はそもそも始まらないのだがね。





一連の災害に遭われた方々。
目の前に何も見えないかもしれない。
それでも明日は来る。
明日にはまた大雨や地震がやってくるかもしれない。
それでも、今日よりも少しだけ前を見渡せることも一緒にやってくるはずだ。
謹んでお見舞いを申し上げます。
そして、これからもともに災害列島を生き抜いていきましょう。