前回の投稿から約4年、ご無沙汰しております。皆様お変わりありませんでしょうか。私はお陰様でコロナ一つ罹らず元気で過ごしております。
あの時から今まで、何も変わってませんよ。ええ。
沼への漬かり方がな! <何それ自慢げに。
まさかブログへの次の投稿が同アニメの映画版になるとは、当時は思っていなかった。
本当は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」やTVドラマ・映画「コンフィデンスマンJP」ほか書きたい話が色々あったのだが、筆が整わなかった。申し訳ない。
よくぞCHの続編を作ってくれた。
しかも主要声優および制作陣が全員外れずに勢ぞろいするなんて奇跡と呼ばずに何と呼ぼうか。
前作の時はまだ自粛期間中だった(のか?) 小室さんはじめTMの皆さんも復活していて、
むしろスタッフ陣はパワーアップしたのではないか。
令和も4年半が過ぎてこの熱量。
前回も全く同じことを書いたが、
この作品をもう一度蘇らせて、大勢の人々が胸を熱くした、その事実こそがこの映画の評価であって良いと思う。
そう思うし、そうあってほしい。
だからこそ、以下の所感は蛇足にしか過ぎないのだが。
シティーハンター=CHにどっぷりはまって底なし沼の底を踏み破っている位の自負があるからこそ、この映画について思うところを客観的に記録しておきたい。
まあ、今回の映画も、そこまでハマりはしなかった。
批判とかを書きたいわけではない。ハマらなかったからこそ、令和5年におけるCH映画版のたたずまいを考察してみたい。
制作側が明らかに続編制作を意識して今作を作ったことは見て取れるし、そうであるなら、ここはもっとこうあっても良かったのではないか、ということを言いたい。
愛があってこその批判である、と、前置きした上で批判したい。
「愛も批判も、同じ感情さ」by原作の海原神<違うからな。
星つけるなら、5つ満点で3つ、もしくは2.5、かなあ。
前作「新宿プライベートアイズ」とは別の部分で加点ポイントあり、別の部分で減点ポイントがあった。
以下、ネタバレ全開で進行しますよ。いつものことですが、ネタバレ踏みたくない方はここで引き返してください。
1.今作は漫画原作とTVアニメシリーズとに架け橋を渡す物語。
……ということを理解してから見ないと消化不良で死にそうになる。恐らく観客の大半はここの解釈に苦慮しているのでは。
映画を見るまですっかり忘れていたが、原作では重要アイテムである麻薬「エンジェルダスト」は、アニメ版では一切登場しない。エンジェルダストの供給源である犯罪組織「ユニオン・テオーペ」も存在しない。
だから、遼の過去や因縁などといったことも、アニメ版の世界にはこれまで存在しなかった。
むしろ、謎のロバートとかソフィーとかアニメオリジナルの因縁はえらく増えてしまっているがな。
前作の企画時にも、制作陣営はvs海原をいったんは指向しつつも、「そもそも海原がアニメに居ない」ことで企画撤回となった、とパンフに書いてあったと記憶している。
だから、まずは海原とエンジェルダストについてのアニメオリジナル設定を立ち上げる必要があり、それに今作をまるまる1つ分、全力投入したのだろう。
……って、そこにまるまる90分を費やす必要があったのか?
原作はエンジェルダストにより僚の相棒=香の兄が惨殺された。ユニオン・テオーペに復讐するだけの動機付けとしてこれに勝るものはない。
アニメでこれに匹敵する動機をどう作るか。僚と香がそれ相応の目に遭ってもらわなければ2人の怒りは海原には向かない。
そこで、今作においては、原作でもアニメシリーズでも中盤以降には久しく無かった、「僚が人を殺す」という命題を据えた。この重いテーマを支えるだけの、僚によって殺されざるを得ないキャラの存在感を作るには、映画1作まるまる必要だ、ということだったのだろう。
原作でも終盤にかけてユニオン・テオーペとエンジェルダストを読者にもう一度思い起こさせるために(当時の担当編集者が設定を忘れている位だったらしい)、ミック・エンジェルが登場して華麗に散っていった。<その後色々ありましたがね
だから、今作では、ミック・エンジェルと同じ位置づけだという強いメッセージ性を帯びた、アンジー=アンジェリーナ(エンジェルと同語源)というキャラが誕生したのだろう。
というところまで、ご苦労いかばかりか。とは思うのだが。
「いや原作ではここはこうだったろうが…」「いやアニメ版では…」という脳内ツッコミをOFFにして純粋に見るのはかなり難しかった。
原作もアニメもほぼ完璧に設定が入っている超ヲタのひさをして難しかったのだから、一般的なファンの方々は相当に大変だったのではなかろうか。と推察する。
2.だったらもう少しキャラ背景を深堀りできなかったのか
アンジーが単なるファザコンこじらせ系にしか見えないのが残念。
恐らく脚本の方は会話劇がお得意なのだろうなと拝察はした。セリフでは結構重要なことを説明していて、スネ夫(違う)が「自分の家族を殺した男=海原を何で敬愛するのか」と糾したのに対し、アンジーは「家族は海原だけだ」と返すシーンはかなりぐっときた。スネ夫(違)もジャイアン(違)も、ずっと一緒に生きてきたのに、アンジーの心の中には家族としては辿り着けなかったのだなと。
だがではアンジーは何故家族は海原だけだと思うに至ったのか(単にストックホルム症候群なのか、特別なイベントがあったのか)、海原が絶対的存在にもかかわらずその命に背いてまでエンジェルダスト改を奪還しようとするのか、動機に関するくだりが欠落していて、そこが極めて残念。
脳内補完すれば、「薬に頼らずとも十分な働きをする自分という存在がいるのに、なお薬の開発を進めて薬の力に頼ろうとするのは、自分の力が不十分だと思われているからなのか」「薬の力で全力発揮(?)できたサエバが完璧なのか」等々、なのだろうが、もう少し言葉にしてほしかったし、僚とアンジーでそのあたりのやり取りをしても良かったのでは。
アニメ映画世界観において僚がエンジェルダストを打たれるに至った経緯が不明なのであれだが、原作の僚は恐らく「父と慕っていた人物から単なる実験体としてしかみなされずにエンジェルダストを投与された」という事実に打ちのめされていたはずで、アンジーと腹を割って話せば結構打ち解けられたと思うのだが。
もし、それを踏まえたうえで、敢えてすれ違わせたまま終焉に向かわせたのであれば、それはそれで尊重するが。
キャラの描写もそうだし、重要アイテムなのに車の後部座席に杜撰に置かれたままになってたりするADMの取り扱いについても、誰もかれもみんな雑過ぎやせんか。
3.ならばギャグパートをもっと減らせなかったのか
アンジー自身も言っていたが、慣れ合いが過ぎる。
勿論、悲劇にもっていくための行程として、戦場しか知らず都会的な生活を送ったことがない(ということも傍証でしか説明されないのだが)アンジーが人間としての温もりを知っていく過程は必要だとは思う。桟橋におけるブラ贈呈のシーンはそれが非常に効果的に現れていて凄く良かった。本作で1,2を争う名シーンだと断言したい。このシーンがあったことでこの設定で映画化した甲斐があったとさえ思った。
……のだが、何か前後のつながりとかシーンにかける時間とかが色々謎過ぎる。
ざっくり言って猫探しパートは2分の1に圧縮したらよかった。
4.令和の世にはモッコリはもっときつかった
圧縮すべきはモッコリからだ!<隠喩じゃない
「ギャグ8割シリアス2割」というCH黄金比は分かるのだが、とりわけ最終章と銘打っているならギャグはもう少し差っ引いて良かったのでは。
少なくとも大江戸温泉物語のくだりと桟橋で海に落ちるくだりは省けたはず。
もっと言えばナンパする男(山ちゃん)がアンジーをナンパするシーンとか何故必要だったのだろう。モノレールに乗って川崎方面に向かっているシーンを描くために書かれたのだろうが、圧縮して問題はなさそうな。
5.企業タイアップがさすがにうざい
大江戸とかモノレールとかがそうだったのかは不明だが、タイアップで物語が歪むのであれば本末転倒。
以上、相変わらず辛口で申し訳ない。続編があると期待しているからこその思いのたけを書いた。
意欲作であるのは承知しているし、評価している。
願わくば、これを1990年代にテレビシリーズで見せてくれていれば、こっちも子供だったし、ギャグパートが長すぎ…とか続編いつなの…とか思わずにすんなり受け容れていただろうになあ……。
歳を取るとは残酷なことだ。
作品が年老いていくのも、またなおさら。
………。
なんてな。老いさらばえた先に、未来は開く!(意味不明
以下、おれの心が震えた瞬間を羅列。
・ついに、僚が女性を殺したか。
・劇伴にあった僚のセリフ「撃ち抜けないのは美女のハートだけさ」から35年余り。令和の世になってようやくこの一線をアニメ版が超えたか、と感慨ひとしお。女だから手心を加えるというのはアンコンシャスバイアスなのではないかと子供の頃からずっと釈然としていなかったのでな…。
・背景の作画、今回も神でした。高速道路好きとしては車の走行シーンの背景がもう感無量。
・音楽、主題歌の使用が最小限で、代わりにTM NETWORKの新曲がOP曲、挿入歌として書かれていたのに心躍った。挿入歌には挿入歌のたたずまいがあり、今作はそれがぴったりだった。
・モッコリ専用劇伴、大好きだ!
・そういえば2作連続してヒロインが僚のことを好きにならなかったなあ。
・一方で僚はあのシーン、香に何を伝えようとしたのだろう。「これは…」か「これが…」か。これが終わっておれが死んでいたら表の世界に帰って真っ当な人生を送れ、というのはアニメシリーズでの僚の常套句だが、果たして。
・こんな悲しいワンホールショットがあるか。しかも僚が自由落下中なら射角が変わるだろうに、なぜ同じベクトルで2発入っていくのか<そこはつっこむな!
・僚の衣装に喪服仕様があったとは。
・香さん、そこは白ブラウスでなくて黒ブラウス&黒タイトスカートだとエロさが増して僚ちゃん好みになると思うんだ。
・アニメ本編では触れられないままですが海原の足音の片方は金属音がする設定なんですね。その原作設定は生きてるんだ。
・・僚が香をかばうように前に一歩進み出るところ、原作漫画のあれの100分の1くらいの濃度でしたが、堪能しました。この所作で3年は燃え続けられると思う。
・そして、「失礼したね、お嬢さん」。このセリフ1つで向こう5年は燃え続けられると思う。いずれまた、会いましょう!!海原さん!!!
・エンドロール後、「おれは死なない」って、知ってる~~!<バカ
……会えるんですよね?いずれまた…。
ツッコミも含めて楽しめるのがCHの素晴らしいところなので、今回の映画化は本当に嬉しかった。
だからこそ、欲は高まるばかりなのだが。
「続編、あるんですよね??」
これで制作終了となったら死んでも死にきれない…買ったパンフに原作の海原戦の重大シーンのコマが貼られていて、ということはアニメ版は違う見せ方をしようと思っている、と理解したんですが、それで良いんですよね???
そして、もう一つ懸念が。
原作では遼と香の関係が一歩進んだところから海原編が始まったのだが、アニメ映画版はこれとは決定的に異なり、僚と香はまだ僚の過去について共有できるだけの関係が深まっていないのですよね。
どうやって次に進むつもりなのだろう。次に進む前に僚と香の関係を深めるために1作を投じる、とかはやめてほしい。
一方で、関係が浅いまま海原編に入ったとして、どう2人の関係を深めるのだろう。取ってつけたようにはなってほしくないし、この辺りをおざなりにされると、本当に悲しい……。
とまあ、令和の世に煩悩だけが増していくわけだ。それもまた僥倖と思えばそうなのだろう。さすが元号3つをまたいで続くシリーズだけあるぜ!
ああ、沼は深い…