男と女は、そもそも不平等である。
それは、産む性と産めない性だから。
メスが基本でオスは添え物。
それを上手くやっつけるために、いろんなやり方がある。
虫先生や動物先輩から学ぶことは多いのだが、総じてオスは哀れ。
詳しくは、「男と女のお話」を見てちょ。
人類が誕生してからは、しばらくは女主体の社会だったのではないか。
「一万年の旅路」なんか読むと、そんな感じ。
「一万年の旅路」は、1万年前にベーリング陸橋を越え、アジアから北米へ渡ったイロコイ族の女性達が語り継いだ口承史。口伝えってのがすごいよね。
その頃は狩猟や採集が中心で、家事と育児が当たり前のように行われていただろう。
比較的平和だったのではないか。(縄文文化を見ると)
それがどうしちゃったんだろうね。
農業の発達による定住生活を送るようになってから?(支配関係とセット)
戦争、支配、国、政治・・・(=仕事)。
そして、「しごと」は「仕事」の下僕にされちまった。
生きるために必要なこと、家事や育児を「しごと」、支配されてやらされている農業や会社勤めを「仕事」と区別します。
でかくなった「仕事」を男が担い、状況が変わったんだろうな。
相続や、婿入婚から嫁入婚への変化なんかも関係あるだろ。
男なんて単純、威張らせておきゃあいい。今もそうだけど、女が上手に操ってんだけどね。勘違いすっ時があんだなぁ。先生、せんせ、なんて言われ続けるのと一緒で。
時代が進むにつれ、仕事や政治が表にしゃしゃり出てきて、家事と子育ては奥に押し込められた。
「資本主義」、上手くやりあがったな。
そして、いつの間にか話はひっくり返り、女を「男社会」に組み込むことを「男女平等」なんて言うようになっちまった。
(もちろん、現実は課題山積ですが)
生き方や話し言葉を見ても、男は無理してますねん。
本当の「男女共生社会」になれば、男が解放されるんだよ~ん。
前回、キリスト教のことを書いた。原理主義・男性優位・ルサンチマンが、資本主義下で悪用されている、と言いたかったのだが、今回の「男女平等」も似たような構造であることがわかる。
書き始めたら、書くこと一杯。捲土重来。
「差別」は、差別する側の悪い状態、コンプレックスが原因。何でもそう。