翡翠庵閑話

野鳥が好きな、閑人の独り言と日常の見聞録。少し遅れてUPする場合が多いですが、内容と日付は、合うようにしています。

珍客逗留 雲紋雀(ウンモンスズメ)

2024年08月20日 | アケビコノハ 他 珍客

 我家の玄関先の壁に、変わった蛾らしきものがここ四、五日泊っています。初めはすぐいなくなるだろうと思っていましたが、三、四日たつと気になります。8月10日、夜の散歩から帰って来たときに玄関前の照明が程よく照らしていたので、数枚撮っておきました。

 後で調べてみようと思い、アップでも撮っておきました。

 なるべく顔の正面からというのも撮りました。眼が何処にあるか?わかると思ったのですが、よく判りません。

 画像からいきなり、これ何?と調べる手では全然違った画像が出て学名かなと思う英語でしか説明が出ませんでした。結局永年愛用の電子辞書の昆虫編を探して、どうやら「雲紋雀(ウンモンスズメ)」というのにたどりつきました。説明文ともぴったりな姿、模様をしています。

 少し緑がかった色をしているが茶色がかったのもいる。食草はケヤキ、ニレ、とありましたので、まぁこれだろうと思います。我家の周りはケヤキが多いので、それに惹かれて飛んできて一休みが数日の長逗留になってしまった。というのが、私が想像したストーリーです。

 残念ながら8月18日に居なくなりました。自分で飛んでいったのか、誰か突いて飛ばしたのかそれは判りません。


あつた夢おどり (神宮東公園)

2024年08月10日 | 団地・町内会の行事、出来事

 団地の隣の公園で開かれた「あつた夢おどり」を夕涼みがてら覗いて来ました。広場が見える入口に近づくともう沢山の人出が集まっていました。早い時間は、低学年向けの、お菓子まきや水鉄砲遊びがあるので、小さい子を連れた家族連れが多い様です。

 今までも頭に付く名称は変わりますが、この手の夏祭り、盆踊り大会はこの公園で開かれていました。この会は第3回とありますが、主催する実行委員会は区内の大小の自治組織がまとまったような組織なので、これからこの形で続くのではないかと思います。学区内の住民の組織+学区内で活躍する会社商店の若手経営者(スポンサー?)が一緒にやりましょうと上手くまとまったようです。したがって設営もしっかりしているような感じです。お盆よりちょっと早い日の開催なので「夢おどり」と命名したのでしょうか?

 会場に入る時うちわをくれました。会場の広場はグランドゴルフ会場になったり消防団の訓練があったり多目的に良く使われています。夕涼みとはいえ、連日の猛暑でまだかなり暑いですが、下は舗装してありませんし、周りは植栽に囲まれているので夕暮れとともにちょっと涼しい風が吹いてきました。

 出店は、ほとんど最近はやりのキッチンカーです。設営簡単、衛生上も比較的安心という感じです。広場周りは芝生張りの土手になっていますので、やぐらを見ながら座り込んで休憩したりするのに好都合です。

 我々は、ケバブ巻きなるものとお茶を仕入れて本日の夕食としました。もう7時頃ですが空は明るく夕映えがきれいでした。

 少し暗くなり、提灯の明かりが目立つようになってきました。家内は他所で顔見知りになったインドの家族にばったり会って良かったようです。南区か港区在住らしいのですが、彼らのコミュニティーを通じて開催を知り楽しみにきたようです。母国から親戚が遊びに来ていて、数人で日本の夏を楽しんでいました。

 ほぼ暗闇の空になって、盆踊りの風情が一段と出てきました。

 踊りの輪も大きくなって宴たけなわとなってきましたが、我々は早めに帰りました。


セミの抜け殻

2024年08月07日 | 自然(公園含む)

 猛暑が続くせいか、最近セミの鳴き声が少し下火になった様です。最盛期の頃はサッシを閉めておいても、かなり鳴いてるのがわかり、開けるともう鳴き声が飛び込んでくるのではないかと思うぐらいでした。それがサッシを開けても目の前の木では鳴いておらず、ちょっと遠くで鳴いているという感じになっています。以前の記録では大合唱のピークはまちまちでしたが、7月20日頃から1ヶ月ぐらいでしたから、今年は猛暑であまり元気が続かないのかも?と思います。

 兵どもの夢の痕跡?を探しに団地の中を抜け殻探しに歩いて見ました。人から見れば怪しげな行動に見えるでしょうから、大きな樹を目当てにパッパッパと写真を撮ってきました。ついでに樹木直下の地面の穴も撮ってきました。かなり密集している木もあります。そんな木の下には幼虫が抜け出してきた穴も沢山あります。

 

 

 数は思ったより少なかったです。這い出た穴も昔はもっと密集していた気がするのですが、やはり少ない気がします。ひょっとしたら他所で孵化したものが、声に誘われてやって来た個体が多かったのでは?と想像しています。


さくら ももこ展 (松坂屋美術館)

2024年07月24日 | 美術(その他展覧会含む)

 暑い日が続いていて、またまた会期間近になってしまいましたが、家内も行ってみたいというのでやっと重い腰を上げて行って来ました。

 「ちびまる子ちゃん」が代表作の漫画家さんの原画を主とした展覧会でした。

 印刷になる前の原画は実寸より大きいとはいえ、細かな展示品ばかりで全部熱心には見切れませんでした。

 一部写真OKのコーナーがありましたので撮ってきました。原稿用紙は、超特大に拡大 漫画の原画は印刷原稿のまま という展示の仕方で、かなりのボリュームがある展覧会でした。


セミの鳴き声 最盛期

2024年07月24日 | 自然(公園含む)

 初鳴きから20日たちました。先週中頃から鳴き声が「やかましい」状態になってきました。中庭の木々の間を飛び交う数も、一段と増えてきました。今朝は定員超過で木に止まれなかったのか、我家のベランダの植木鉢に挿してある擬木に止まっているクマゼミがいました。それはプラスチックの木だよ!心配していたら気が付いたのか飛び去っていきました。

 ガラス戸を閉めてロックしていても、かなりの騒音になっています。

 鳴くのはオスで、メスを呼んでいるのだそうです。でも誰よりも大きく鳴かないと負けてしまうので、一段と鳴き声も大きくなるのだとか。鳴き疲れるのかあるいは、お相手が見つかったから?お昼過ぎると少し下火になります。もう2,3週間、我慢の日々です。


岐阜・大垣への小旅行

2024年07月10日 | 紀行、旅

 岐阜に住む妹夫婦から、久し振りに会いませんかと誘いがあり、老夫婦2組で日帰りの小旅行をしました。

 メインの目標は大垣で「鮎」を食べることでしたが、西岐阜駅で落ち合い最近出来た岐阜県庁からの眺めが良いので案内しますとのことで、新県庁へ向かいました。美術館などがある地域でした。

 広々とした敷地の駐車場から建物を仰ぎ見ました。大きすぎて全部入りません。パノラマモードにすれば良かったのですが、左、右と2枚撮っておきました。真ん中がかなり抜けています。

 3階までと20階は公開エリアになっていて、開庁時間は誰でも入れるそうです。

 1、2、3階の中心部は吹き抜けになっておりエレベータホールになっています。木をたっぷり使った居心地の良さそうな場所です。何処かの小学生が社会見学に訪れたのか集まって先生のお話を聞いていました。

 専用のエレベータで一気に20階です。周りが全部こんなガラス張りの展望室になっています。外へは出られません。

↑ 北東方向。曇り空でシルエットですが、岐阜市中心部・柳ヶ瀬、金華山(岐阜城)が見えます。

↑ 左 金華山のアップ  ↑ 右 南方向、木曽川とはるか彼方に名古屋駅前のビル群が見えます。

 ↑ 北西。長良川に掛かる橋の向こうに雲がかかった伊吹山、左寄りの窪んだ所が関ヶ原か?

 ↑ 南西。長良川の流れ(右から左に流れる)と養老山脈

 ↑ 室内はぐるりとこんな木組みそのまま、ガラス張りの展望室です。

 ↑ 椅子とテーブルが要所に配置してあって、のんびり休憩も出来ます。周囲にあまり高い建物は無く、歴史的景観が望めるので新名所になるでしょう。信長になった気分になれそうです。中心部(上では左側の壁面)は大小の会議室が並んでいます。

 県庁はまたお天気の良いときに寄ってみたいと思いました。

 鮎料理のお店は、大垣の今宿という地にありました。昔は宿場?だったような地名ですが、お店の外にはソフトピアセンタージャパンの建物が見えて、今はIT、DXの起業家が集まる地のようです。

 主目的の鮎料理ですが、お刺身が街のスーパーでは手に入らないもので、コリコリしてとても美味しかったです。手前は甘露煮。ちょっと手を付けて証拠を残さなくてはと撮った写真です。

 あとは食べるのに専念しました。思い出して撮ったのは姿焼き(塩焼き)です。囲炉裏風の盛り付けをしてテーブルに出てきました。

 鮎を堪能した後は、大垣は初めてでしょうと、少し”観光”をしてくれました。義弟は高校時代は大垣でしたので良く知っているはずですが、昔とは変わったな?と言いながらハンドルを握っていました。大垣城の周辺の街を回り、昔、川湊だった所で下車し周辺を散策しました。

 伊勢へ向かう船着き場の道標が立っていました。「南いせ くわなへ十り さいがうみち」と書いてある様です。俳句の韻を踏んでおりこのような道標は珍しいそうです。くわなへ=桑苗 春の季語の由 さいがうみち=調べましたがよく判りません。参詣道?のような解説を見たような? ただしここに建っているのは展示用の複製で、本物は近くの記念館に保管されているようです。近くに建っていた説明では「谷木因建立の俳句道標」 とありました。

 その後、色々調べてちょっと判ったことは、さいがうみち=在郷道 の様です。在郷は、いなか、ふる里 と言う意味もあり、南へ行けば、桑名まで十里、芭蕉さんあなたのふる里への道ですよ と言うような意味になりそうな気がします。(全体を口語訳したような解説になるようなものは見つかりませんでした。あくまで私見です。)

 この水路から揖斐川に通じており近年までは水運の大動脈だった様です。対岸には灯台が復元されていました。木造ですが熱田の宮の渡しの灯台より高いものでした。周辺は桜の木が多くお花見のシーズンには賑わうようです。川を往き来した船も泊められ、赤い橋が架かっていたりして風情もあります。大垣・桑名は10里、桑名・宮は7里、直行便はあったのかな?と思いました。

 大垣は「奥の細道」のゴールの地ですが、奥の細道 むすびの地 という石碑も建っていました。

 石碑の奥に見えるのは、大垣の弟子(谷木因等)と別れ、伊勢へ帰る芭蕉の別れのシーンの像が建っていました。(2人の間が離れているのは何故だか分かりません。芭蕉さんだけアップしておきます。)その後の調べでは、木因等4人が長島まで一緒に乗っていき最後の句会をしたようです。

 近くには「奥の細道むすびの地記念館」もありましたが時間の都合で見学は省略。下はこの地の某藩士が別荘に使っていた古民家と門で、句会を開いたりしていたようです。記念館の前にある駐車場の横にありました。記念館のある地は、木因の旧宅があった所のようです。

 駐車場の脇にある最近出来た休憩所で一服して、大垣駅から名古屋へ帰りました。休んだ隣の建物に大垣の夏の食べ物、金蝶饅頭が売られていたらしいのですが、この次の楽しみにとっておきます。

 日帰りの小旅行ではありましたが、内容盛りだくさん、もう一度行ってみたい意義ある一日でした。


セミの初鳴き

2024年07月04日 | 自然(公園含む)

 今朝、我家の前庭でクマゼミの鳴き声を聞きました。今年の初鳴きです。

 今年は35度越えの猛暑日が続く暑い夏で、セミが鳴くのが遅いなと言う気もしますが、早くから暑いと言ってもセミにはセミの事情があって簡単には地中から出てこれないようです。

 昔、10年ほど(2001年から2010年)我家の前庭のセミの鳴き声観察をした記録がありますが、これを見直してみると、7月4日が初鳴きという日が4回ありました。6月30日~7月5日というほぼ同じ頃(週)にして見ると、7回になります。従って、今年も従来どおりかなと云えるようです。なお、この週より早い年は無く、残りは7月9日、12日、16日 という記録になっていました。

 初鳴き後約2週間、耳をつんざくような状態になり8月の中旬過ぎると段々と下火になる、と言うのがセミの鳴き声のスケジュールです。

ーー7月13日撮影、追加ーー

 セミ合唱団の舞台は、こんな所です。手すりの中は、我家のささやかな家庭菜園。今はトマトが少しずつ収穫できます。

 今のスマホにはパノラマモードがありましたので、左右を可能な限り広げてみました。かなり密な植栽となっていますが、我家に木陰が出来るかというと全く出来ません。セミが飛び交うのを目の高さで見ることができますが。

 前の文の2000年初頭の頃は ↓ のようでした。(2010年7月1日撮影)木が育ちすぎて少し手入れした方が良いのでは?の声が出始めていました。画面中央左にあった大きなケヤキのうち手前の1本が切られ、右の植栽も少し手入れがされました。

 

ーー 7月18日 追記 ーー

 この日、東海・関東甲信越は梅雨明けしたと見られるとテレビで報じていました。クマゼミは、大合唱状態になっています。サッシを閉めてロックしていても、かなり大きな鳴き声が室内に入ってきます。また、木々の間を飛び交う姿も見られます。午後になるとお昼寝をする様で、しばらく静かになりますが、今度はアブラゼミが鳴き出します。


茨城への旅

2024年06月20日 | 紀行、旅

 6月18日から20日まで、家内も私も初めての茨城への旅をしました。娘が結婚して、双方の親の住む所を訪ねることを口約束していたのですが、コロナ禍になってしまい延び延びになっていたのですが、やっと第1弾が実現しました。スケジュール等は娘婿のT君が立ててくれ、我々は水戸駅まで行けば後はおまかせの旅でした。

 出発の日、日本列島は荒れ模様で、西の方から線状降水帯が太平洋岸を移動してくるというあまりありがたくないお天気でした。ひょっとすると静岡あたりで追いつかれ、新幹線止まる?という良くない予想が脳裏をかすめ、少々強い雨の中を早めに出発しました。

 1本早い新幹線に乗れたので、東京駅には当初予定より30分以上早く着きました。お昼をスタバで簡単に済ませていると、電光掲示板が、新幹線運転見合わせーを流していました。予定どおりの列車に乗っていたら、今頃は三島か小田原あたりで停車させられ、到着はかなり遅れたのではと思うと早めに出る判断は良かった様です。

 東京からは常磐線です。私も家内も初めて乗ります。特急は30分毎に走っていますが、全部指定席。自由席になれている我々にとっては、時間に縛られ少々窮屈な感じがしました。でも時間のせいかガラガラの状態でした。座席未指定の指定券(空いてたら座れる)もあるようですが、ややこしいので正規の指定席を求めておきました。品川発ですが、駅構内に慣れている東京乗換にしました。

 そんなわけで途中写真を撮る余裕も無く、落ち着いたのは宿で夕食の席についてからでした。宿は那珂川の河口から少し上流、海門橋がよく見える高台にあり、赤い大きな橋が夕日でライトアップされたように見えました。(右上の 丸 は部屋の照明の写りこみ)

 上流側を見ると、陽が沈んだところでした。

 もう一度、橋を見ると陽が当たらなくなって、赤い色は無くなっていました。夕陽によるライトアップのようでした。

 橋について、帰宅後に調べたら、明治以降5代目の橋で(それ以前は、渡船しか無かった)3代目までは木造。4代目(昭和5年完成)はコンクリート製、しかし基礎に問題があり、作っているときから橋脚が沈下していて、完成後8年目(昭和13年6月)の大水で一晩で崩落。その後20年間は戦中戦後の混乱期で、再建は出来なかった様です。「海門橋 小山いと子:昭和8年発表」という小説が生まれているほど、数奇な運命の橋だったようです。5代目(鋼製ランガー橋 昭和34年完成)はしっかり地質調査もして出来ているので、そんな心配は無いでしょう。橋中央部は水面まで15mあり、漁船の往来を考慮したものだそうです。

 落ち着いて夕食の時間に入りましたが、5年振りの再会でおしゃべりに熱中し食事中の写真はほとんど無し。大きな岩牡蠣が印象的な一品でした。お品書には「茨城県産蒸し岩牡蠣ポン酢」とありました。

 食事もさることながら、両家の家族が揃うのは5年振りのことで、娘が自分のブログに、両親同士の話が尽きなかった!とこんな写真を添えて書いていました。

 (娘の顔にはマスキングしてなかったので、私が書き足しました)

 

 翌日は、向こうのご両親は都合で先に帰宅されましたが、我々は娘夫婦の案内で近隣を観光しました。

 先ず行ったのは、大洗海岸。海岸線の砂浜は狭く岩場が続きます。太平洋の波が穏やかなこの日も強く波立っていました。大洗の名前の由縁でしょうか。

 夏には早いので人出はありません。岩礁と波と砂浜が、長く続いている様です。岩の上には鳥居があり、この先の崖の上には神社があるようです。岸辺の建物は宿泊施設で、道路沿いにかなり建っておりシーズンには賑わうようです。岩礁の外はいきなり太平洋で、サーフィンのメッカでもあるようです。浜辺の緑はハマナスのようで、小さい白い花を付けていました。黄色いネットのような植物は正体不明です。

 ひたちなか市側の海岸。広い広場になっています。何かイベントの準備で架設のステージでも建てる準備をしている様でした。

 次に行ったのは「国営ひたち海浜公園」。広大な駐車場も今はガラガラ。シーズン中に端っこにしか駐車出来なかったとしたら、ゲートを入るまでにかなり歩くことになります。

 メインゲートを入って中を巡るトレインの乗り場は?と探すのも大変でした。

 乗り降り自由のトレイン。そのまま一周すると40分ほどかかるそうですから、かなり広い敷地です。最初に観覧車に乗りました。

 観覧車に乗って頂上に近づくに従って園内の様子がわかり、居ながらにして周遊した気分でした。

 観覧車が頂点に達した頃、春のネモフィラで有名な「みはらしの丘」の向こうに発電所が見えました。後日地図で確認すると、右は常陸那珂火力(石炭)、中の奥の方に東海第2原子力があるはずですが、確とは分かりませんでした。

 観覧車を降りて再度トレインに乗り、みはらしの丘に近づくとネモフィラからコキアに植え替えの最中でした。丘の麓で風景を眺めながらお弁当を食べられるようになっていました。

 香の谷でも途中下車。ラベンダーやローズマリーなどハーブ類が沢山植えられていました。近くにある、グラスハウスで太平洋を遠望しながら休憩しました。ここはガラス張りの軽食堂兼イベントスペースのようでした。

 この公園はとにかく広い!時々来て、色々な楽しみ方が出来そうです。近くに住んでいれば年間パスポートを買って、毎週来ても飽きないかもしれません。

 

 海浜公園を出て、那珂湊おさかな市場へ寄りました。もう午後遅いので、お客さんは一般消費者・観光客ばかりです。漁港直結の市場なのでスーパーで並んでるお魚とは違ってほとんど丸のままです。それにしても安い!近くに住んでいれば買って帰りたいくらいです。そろそろ閉店?のようで「半額で良いよ!」なんて声をかけていました。T君は腕に覚えがあるので、今晩用にお刺身用のブリの柵を求めていました。

 お魚市場を後にして、向こうのお宅へ向かいました。ここでも話が盛り上がり楽しい一夜を過ごさせてもらいました。


鶴舞公園 普選壇 再確認して来ました

2024年06月11日 | 雑文

 前に、現在の朝ドラのバックによく使われている鶴舞公園について書きましたが、ちょっと調査不足だった、普選壇(普通選挙記念壇)を、美術館の帰りに途中下車して再度見て来ました。

 前回は、正面背後にある青銅板の文字が欠けているように見えると書きましたが、ちょっと年季が入って汚れが目立つだけで、近寄って見るとちゃんと読むことが出来ました。先の戦争では失われたが、昭和42年に復元されたと上の歴史散歩案内板に書いてあります。

 壇の左袖には、ご誓文の英訳もあります。右袖には建設の趣旨が書かれています。

 裏へ回ってみると、子供の頃は自由に出たり入ったりしていた舞台袖への出入り口は塞がれていました。使用に当たっては、有料である為でしょうか。市の景観重要建造物である表示もありました。

 壇の裏正面にこんな表示も有りました。子供の頃には気が付かなかったものです。顧問 文学博士 坪内雄藏 は、坪内逍遙の事で、著名人に設立趣旨など賛同してもらい箔を付けたものでしょうか?

 普選壇の裏から北を見ると、朝ドラのシーンに使われた噴水と市公会堂があります。

 普選壇の東側はバラ園で、その向こうには奏楽堂があります。先回はコスプレイヤーの大会でこんな落ち着いた風景ではありませんでした。もっともバラの時季は終わってしまい少々淋しくなった公園でした。


第46回 日本新工芸展 (松坂屋美術館)

2024年06月11日 | 美術(その他展覧会含む)

 タイトルの展覧会を見て来ました。会期の短い展覧会なので早めに行って来ました、と言っても会期半ば・・・。ここでの展覧会の後、各地を回るようです。

 陶芸が多いのでいつもの美術館とは違う雰囲気です。

 壁面のものは、染色が多くありました。明るい雰囲気のものが多かった様でした。

 この展覧会に七宝でカワセミをデフォルメした作品を出される方がいますが、今回も色合い的にはその雰囲気ですが、尾羽がカワセミとはちょっと違っているので別の鳥(ヤマドリ?)の様でした。鳳凰の様な感じもしますが作品名(碧の響)からだけでは分かりませんでした。