アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

春日大社式年造替

2016-04-30 05:58:23 | つれづれ
法隆寺からとりあえずJR奈良に戻った小生、軽くお昼など食べてから三条通りをブラリと歩いてみた。通りには写真(左)のように春日大社の式年造替を祝うのぼりが・・・


 というところで、突然目に飛び込んできたのが開化天皇陵。開化天皇といえば、欠史八代の最後にして、実在の確かな十代崇神天皇の父。
 崇神陵はここから飛鳥に近い天理市にあるが、平城京の中にあったとは・・・古墳マニアとしてはうかつだった。


 さて平成27~28年にかけて、春日大社では二十年に一度の式年造替があるということで、JR東海もさかんにCMをやっている。
 それに触発されて・・・見に来たというわけ。実は、小生中学のときには春日大社の参道までしか来ておらず、その後まともに来たことがなかった。

 したがって今回が初参拝ということになる。伊勢神宮は二十年に一度遷宮があるが、こちらは遷宮でなく造替といい、造り替えるわけだ。
 したがって、本殿の修理中には神様は同じ敷地の別の仮宮に一時引っ越しをされているということになる。

 季節はちょうど藤の花の咲く時期。参道の灯篭には鹿がいたりして気分は盛り上がる。実は、この藤の花こそが春日大社の花である。
 また春日大社は藤原氏の神社だ。武甕槌尊をはじめ四柱を祀っていて、本殿は四つの建物からなる。一説によれば中臣から藤原姓に変わった鎌足の思いは藤の花のように天皇家に寄生して栄えることだったというが・・・


 ともあれ、朱に塗られた各施設に映える藤の花の色は抜群に美しい。せっかくなので特別拝観をさせていただいた。その受付の巫女さんの顔・・・どこかで見たような・・・おお、これはあのJR東海のCMで出ているお姉さんではないかって。(←だからなんだということではないが)
 境内はこんな感じになっていて、普段春日大社として出てくる写真の多くが中門。これも立派なものだが、あくまで門であって本殿ではない。

 
 本殿の写真撮影はできないが、四つの建物からなり、自然の地形を残しているため、少しずつ高さが異なっていることがよくわかった。
 武甕槌尊と経津主命はともに軍神ということで、境内には多くの戦国時代の武将の灯篭が寄進されていて、上右写真のこちらは直江兼続のものとか。


 御仮殿では、リアルに神様がいらっしゃるとのことで、小生も真剣にお祈りを・・・また一部に夜の灯篭を再現した一角もあり、いろいろな体験もできた。
 平安京がきれいな形の条里制なのに対し、平城京は東にいびつな張り出しがあるが、まさにこここそが今の奈良の中心であり、藤原氏の本拠地でもあった。

 奈良公園の中心をなす興福寺も春日大社も藤原氏ゆかりのものだし、国立の東大寺だって、聖武天皇ということは藤原系の流れだ。
 逆に藤原系でない唐招提寺や薬師寺が離れていることも象徴的かもしれない。平城京こそが、藤原による藤原のための都だったのかもしれない。

 そして藤原氏が何より恐れたのが謀略をもって打ち倒した蘇我氏の祟りであり、それを祀ったのが法隆寺だとしたら・・・
 弾丸ツアーであったが、それを実感した一日となった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不謹慎自警団をやめようぜ | トップ | ランボルギーニ ウラカン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事