さて高野山二日目のハイライトは奥の院参拝である。金剛峯寺から少し離れたゾーンにあり、一番奥に弘法大師の霊廟があり、そこに至る2キロほどは日本中のお墓を集めたゾーンになっている。
福智院を早く出た小生、バスで奥の院の入り口である一の橋に行こうと思ったが、バスが来るより前に歩いて行けることがわかり、そのまま歩いた。
ほどなくしてトップ写真の一の橋に到着した。ここからが奥の院だ。数えきれないほどのお墓がここから並ぶのだが・・・まず目に飛び込んできたのは仙台伊達家の墓。
政宗単独ではないが、有名人のお墓のトップバッターとして登場。何かにつけて目立つことが好きな伊達家らしいなあ・・・とも。
その後、歩いて行くと毛利の墓や島津家の墓などなど、歴史でもおなじみの名前が続々と出てくる。面白いのはいかにも・・・な格式のお墓の一方で、えっ? というところも。
たとえば武田信玄・勝頼の墓と上杉謙信の墓は近いが、豪華さは対照的だ。上杉の方はちょっとしたお堂である。
さらに石田三成や明智光秀など、歴史的にはネガティブなイメージの人物のお墓も。三成の地味な感じはいかにも彼らしい。また光秀の墓石は新しくしても必ずヒビが入るとか・・・
こちらは豊臣家のお墓。秀吉を中心に秀長や一族の墓が並んでいる。こちらも思いのほか地味な印象だ。
一方で、現代の著名企業のお墓もある。本当に(不謹慎ながら)見ていて飽きないほどだ。途中にお堂が見えてきた。
こちらが汗かき地蔵と姿見の井戸だ。汗かき地蔵は世の中の人々の苦しみを身代わりになり、一身に受けているので、いつも汗をかいているとか。
また脇にある井戸は「姿見の井戸」と呼ばれ、この井戸を覗きこんで自分の顔が映らなければ三年以内に死んでしまうと言われていると。幸い見えた・・・(苦笑)
さらに進んでいくと、お待たせしましたとばかりに織田信長のお墓がある。これが地味なもので、考えてみれば高野山を攻め立てた存在だし・・・
でも、それでもここにお墓があるということの懐の深さを思うべきか。興味深いのが信長の脇に筒井順慶の墓があったこと・・・思わず苦笑してしまった。
さて、いよいよ玉川を渡る御廟橋から先は聖域となる。写真撮影などはご法度で、空気もいよいよピンと張りつめたような・・・
弘法大師は入定の際、永遠に瞑想しながら祈り続けているとされており、今でも食事を運んでいるという。
お堂で護摩を寄進し参拝したが合掌の際、フワッと身体が揺れるように感じた。その後、地下のお堂(つまり大師に近いところ)でも合掌したときに、同じ感覚になったので、やはり普通のところではない・・・そんな気がした。
お大師さまのパワーをいただき、さあ帰路に・・・で帰りは中の橋を目指して歩くと、途中で親鸞聖人のお墓があった。
浄土真宗の開祖の親鸞のお墓がここにある・・・これまた高野山のすごさだろう。
さて中の橋に戻った小生だが、まだ帰りには時間がある。そしてここから追加で観光させてもらうことにした。
向かったのは・・・で次号に続く。
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