奥の院から残りの時間も活用しようと考えた小生、まず向かったのは大門だ。落語にハマっている小生、どうしてもこれを「オオモン」と読んでしまうが、「ダイモン」が正しい(苦笑)
この門は昔の参道から行ったときの高野山の入り口にあたる。ここからがいよいよ高野山のゾーンですよ・・・というもの。
実はふもとの九度山の慈尊院を起点として22kmの参道に町石という道しるべが置かれていて、ナンバーがひとつずつ減る仕掛けになっている。
大門から少し壇上伽藍に進むと二番の町石、さらに一番の町石と続く。そして0番に当たるのが中門なのだ。
二番の町石まで来たところでひとやすみしようと入ったのが「かどはま」の喫茶部。胡麻豆腐のお店だが、スイーツのように仕立てた胡麻豆腐をいただく。なんともオシャレなお店で、いい感じだ。
リフレッシュしたところで、金剛峯寺の脇道を抜けて立ち寄ったのが徳川家霊台、家康と秀忠の霊を祀っているもので二つの同じ形のお堂が並んでいる。
その並びにあったのが浪切不動尊だ。弘法大師にはさまざまな伝説があるが、モーゼの十戒のように海を不動明王が切り裂いて助けてくれたというものがある。
その不動を本尊とするお寺であり、天井には鳴龍の絵もある。さらにそのお向かいには公園の中にひっそりと金輪搭があった。
こちらは江戸時代の建築というが、完全に木に埋もれているのが惜しい・・・かなと。
さらにここから女人堂に向かう。明治まで高野山は女人禁制であり、七つある入り口のすべてに女人堂があった由。今残っているのはここひとつだけだが、お堂の脇に門石が立っていて、ここが境だったことがよくわかる。
その意味では金剛峯寺ではないのかも知れないが、宿坊にもなっていて、女性はこちらに宿泊していたんだそうな。
そして、七つの入り口をつなぐ女人道というのがあり、高野山をぐるりと囲む形で、外から根本大塔を拝む形。その登山道を外国人女性が登って行ったのが印象的だった。
さて、ここからはバスも一駅で高野山駅に戻れる。戻ってから駅の近くのお店でお昼ご飯を食べるとちょうどいい時間だ。
急坂を下りるケーブルカーで極楽橋駅に着くとなんば行きの特急が待っていた・・・二日間、早朝から動いていたし二日で三万歩以上歩いたこともあり、特急の中で爆睡してしまったことは言うまでもない。
二日間でほぼ見どころは網羅した形だが、では二度目はないか・・・と言われれば、またきっと行きたくなりそうだ。
高野山の奥深さにどっぷりひたった二日間であった。
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