アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

勿来の関跡

2015-12-04 06:00:34 | つれづれ
五浦六角堂を見学した後、小生が向かったのは勿来の関跡だった。関東と東北の境になる有名なみちのくの三関所のひとつだ。


 おそらく一番有名なのが白河の関、そして勿来の関がその次か。最後のひとつが鼠ヶ関(念珠関)だ。白河の関は大黒屋の近くだ。鼠ヶ関は新潟と山形の境で、鶴岡市だから、かなり前に行った「湯どの庵」の近くになる。勿来の関は今回行った喜楽苑のそばということになる。
 考えたら秘湯は関所の近くに多いのか・・・って当たり前かも。

 「勿来 (なこそ)」という名前は、古典で習った禁止の係り言葉「な○○そ」に由来する。つまり「来てはならない」という「な来そ」という語源だ。
 ところが、高校のときの授業でこれは間違いで、この場合の動詞は連用形でなければならないので、来るの連用形である「来 (き)」とするのが正しいのだと教えてもらった。


 その場合、この有名な関所は「なきそ」の関となっていたわけで・・・なんてウンチクはさておき、くだんの関は静かな公園になっていた。
 入口には、ゆかりの八幡太郎義家の像が立っていた(トップ写真)し、関にゆかりの歌碑も並んでいたが、箱根の関所などと比較にならない。

 肝心の関所跡としては右写真のような石碑が立っていたのみ。ただ、そこで目に留まったのが、この石碑をはさんで左右に立っていた二つの小さな祠。
 こちらが関東と東北の宮で、まさしくこの関が関東と東北の境であることが認識できるという。といいつつ、個人的にはこういう場所は、あまり観光地化してほしくないので、このくらいがいいのかなと。


 トピずれだが、義家といえば後三年役を平定したものの、朝廷からは私闘とみなされ、恩賞がなかったので、家来には私財を投じて報いたとか。
 この関所を通過し、みちのくに戻るときの義家の思いやいかに・・・と。歌碑の中にも義家の句が立っている。

 「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」という句だ。
 この句の訳を載せておこう。「来る勿(なか)れ」という名の勿来の関なのだから、吹く風も来ないでくれと思うのだが、道を塞ぐほどに山桜の花が散っているよ。と・・・基本的には叙景の句だが、義家の思いを推しはかることができそうな。

 後三年の役の戦場は、秋田県の横手の近くにある。学生のときに、そこに行く機会があったが、土中から焼けた米が出てきたことを覚えている。前九年の役と並び、平安時代末期の大きな事件である。
 笑ってしまったのは、後三年の役の戦場にちなみ「後三年駅」という駅があること。シャレかよって・・・

 義家と陸奥の関係が、この後奥州藤原氏につながり、源義経につながっていくのだから、歴史は深い・・・
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五浦六角堂 | トップ | 久しぶりに麺棒倶楽部 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事