アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

ジュビロ磐田J1復帰

2015-11-24 06:00:11 | サッカー
このブログを始めたのが2004年の11月30日、基本的にサッカーネタ、いやジュビロネタがベースだった。いみじくも昨年の11月30日ちょうど10周年の記事で、こんなことを書いていた


 ジュビロのJ2二年目の一年、いろんな出来事もあったが、間が悪くとうとう一試合も見に行けなかった・・・もともとは、初めてのスマホですら、こんな感じでジュビロ一色だった人なんだが・・・
 実は逆に、小生が見に行ったときの勝率の低さは記録的で、あえて自粛していた部分もあり、さらには気持ちが動かなかったこともあり・・・

 そのジュビロがようやくJ1復帰してくれた。その試合も劇的なものだった。この試合は、ラグビーの慶早戦と同時進行だった。
 スカパーで見られない小生、NHKのBSでは福岡と岐阜の試合が・・・で、そちらと慶早戦をカチャカチャやりながら見ていた。


 福岡は早々と勝ちペースになったので、途中からもっぱらテレビはラグビーにしながら、ネットで磐田の試合を追いかけていた。すると・・・慶應が押し気味に展開。
 後半、9点差になったときは「これは勝てるかも・・・」と。だが、ここからの早稲田は強かった。トライを決めてゴールも決まり、2点差に・・・

 その頃だった。ジュビロが失点して1-1になったのは・・・え~っ、ロスタイムにこれはダメだよ・・・って。当然ながら、昨年の嫌な思い出がよみがえってきたのは言うまでもない。
 ところが、その1分後に小林の起死回生の逆転弾が飛び出した。そして、その頃慶應が自陣で痛恨のオフサイドを犯していた。


 早稲田は最後のワンプレイで、PKを決めてノーサイド・・・だが、そこからが長かった。ジュビロが勝ちぬけるまで。気分的には10分くらい待っていたような・・・
 まさにこの二年を象徴するような・・・とにかく、この二年は長かった。結局、福岡はラスト引き分けはさんで11連勝だった。勝ち点は同じで、わずかに得失点差で2位になったのは幸運というべきか。いや、昨年ラスト7試合で一度も勝てなかったチームから脱却したというべきだろう

 名波監督はこの戦いのさなかに、お父様を亡くしていた。その名波が以前から目をかけていた、小林が決勝弾を決めたのは、なんとも象徴的だった
 来期は、久しぶりにJ1だ。すでに名波監督は「J1で暴れたい」と言っていた。皮肉にも清水が降格し、3年続けて静岡ダービーはないことになるが、そうは言っても気分も盛り上がるぞ。

 来期は見に行けるといいなあ・・・って、このブログももうすぐ11周年か。よく持ちこたえているというべきか





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