アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

青島幸男は天才だった。植木等は人物だった。

2016-09-24 07:00:08 | つれづれ
豊洲市場の話題で何かとスッタモンダしている昨今だが、いずれにせよ、いかに過去の都知事がメチャクチャやっていたかもわかろうという・・・


 ところで思い出したのは青島都知事だ。最近知ったのは、都知事になるつもりはなく、次点になればとの思いだった様子。都市博中止くらいしかイメージがないが、当時築地の再整備計画を検討していたという。現在の場所で再整備する計画だったが、頓挫していた由。なんとも皮肉な話だ。
 ただ、ある人が言っていたことに、まじめにやるととても二期は務まらないほど大変な職務だから、一期で降りてしまったとも。

 それはさておき、改めて青島幸男の天才を最近認識した。クレージーキャッツの歌はそのほとんどが青島幸男の作詞なのだが・・・
 平成も30年近くになる今でも、その内容がほとんど通用するのだ。これを天才と言わずして何と言おう。最初の「スーダラ節」が出たのは昭和36年のこと、なんと55年前だ。

 その中で個人的に大好きなのが、「無責任一代男」 だ。この歌に感動したのは小生ばかりではなく、ウィキペディアによればタモリやたけしも・・・のようだ。
 歌詞と動画はこちらでご覧いただけるが、特に最後の歌詞、♪人生で大事なことは、タイミングとC調と無責任、とかくこの世は無責任、こつこつやる奴はご苦労さん!のくだりは、日本の象徴とも言えそうだ。


 改めて、仕事のシーンで無責任を嫌った小生が、出世しなかったのは当たり前だったのかと・・・といいつつ、この最後の「ご苦労さぁ~ん!」という絶叫がなんともいい空気だ。
 そう、この歌は植木等の歌唱によってさらに名作になったというべきだろう。その植木等だが、この曲によって無責任男のレッテルが貼られることになったという。

 ところが先日、長く付き人をやっていた小松政夫がテレビで語っていた。食堂に一緒に入り、小松政夫が(遠慮して)かけそばを頼むと、「いいなあかけそば、俺も食べたいが今は丼の気分なんだ」と言って、天丼と玉子丼を注文。片方を食べたところで・・・
 「食えるかと思ったが、食べきれねえや、悪いがこれ食ってくれ」と・・・粋だぁ。

 ある日のこと、「お前明日からこなくていいよ」と仕事帰りの車の中で突然の告知。えっ、クビ? と思ったら、「事務所に話してあるから、明日からそこで芸人として頑張りな」と。
 なんと、芸人になりたくて勉強しているのを見ていた植木等が、本人に内緒で事務所に推薦し、処遇なども含めてすべてまとめていてデビューできるようにしていたという

 そのとき、小松政夫は感涙で車が運転できなくなり、しばし停車していたという。しばらくすると、「まあ急ぐわけじゃあねえけど、そろそろ車出そうか」と優しい言葉がかかったという。
 これには小生ももらい泣きしてしまった。かっこよすぎるぞ植木等って・・・その後も小松政夫のギャグに、いろいろ指導したりしていたという。

 無責任男は実は大変な人物だった・・・こういう人、少なくなったよなぁ・・・
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