先日、山手線を待っていたら、全身グリーンにカラーリングされた車両が、ホームに滑り込んできた。なんでもこのカラー、山手線が1963年にグリーンになって50周年を記念してのものらしい。なんとも懐かしい。
その電車に乗りながら思い出したのは、高校生の頃、東京に模擬試験を受けにきたときのことだった。何しろ、伊豆の田舎では路線など迷う余地もない。
東京駅まで踊り子で出た後、路線を間違えないようグリーンの電車に乗れと言われてホームを目指した記憶がある。
ついでに言うと、車内にクーラーがついていることに驚いた。とはいえ、山手線でも冷房率は半分くらいだったから、クーラーのない電車も普通だったことになる。
ちなみに、伊豆急には国鉄が乗り入れしていたから、トップ写真のようなカラーリングの電車もよく見かけた。学校帰りに、この車両に乗り合わせると都会人になったような気分だった。
だが、何よりあこがれだったのは駅弁だった。伊豆急の駅では当時駅弁がなかったので、駅弁イコール遠出ということになる。
熱海まで行くと駅弁があるので、ガキの頃は誰かが遠出したときに「お土産は何かほしいものある」と言われると、すかさず「駅弁」と答えていた。
冷たくなってパサついたご飯に、おあいそのようにゴマがかかっていたりするが、このご飯がありえないくらいに美味しく感じ、さらに冷たい鮭とか、鶏のそぼろ煮なんかが、とてつもなくごちそうだった。
田舎にない食べ物の象徴、それが駅弁だった。もちろん、コーヒーもペットボトルもない。お茶がセットになっていたりした。
その後、京都に単身赴任していた頃、東京に朝一の新幹線で帰る際、なぜか冷たく固いカツの入った幕の内スタイルのお弁当を買うことが多かったが、今思うとガキの頃にDNAにしみこんでいた体験のせいなのかも知れない。
今では、デパートなんかで駅弁大会などのイベントがよく行われている。全国の珍しいお弁当があって楽しいが、なんの変哲もない冷たい幕の内弁当を見ることはない。
あの幕の内弁当を食べるためには、電車で出かけないといけない。次回の秘湯は電車で出かけてみようかしらん・・・
なんて思っていたら、下車駅に到着してしまった。タイムスリップした気分になった10分間の山手線の旅であった。
その電車に乗りながら思い出したのは、高校生の頃、東京に模擬試験を受けにきたときのことだった。何しろ、伊豆の田舎では路線など迷う余地もない。
東京駅まで踊り子で出た後、路線を間違えないようグリーンの電車に乗れと言われてホームを目指した記憶がある。
ついでに言うと、車内にクーラーがついていることに驚いた。とはいえ、山手線でも冷房率は半分くらいだったから、クーラーのない電車も普通だったことになる。
ちなみに、伊豆急には国鉄が乗り入れしていたから、トップ写真のようなカラーリングの電車もよく見かけた。学校帰りに、この車両に乗り合わせると都会人になったような気分だった。
だが、何よりあこがれだったのは駅弁だった。伊豆急の駅では当時駅弁がなかったので、駅弁イコール遠出ということになる。
熱海まで行くと駅弁があるので、ガキの頃は誰かが遠出したときに「お土産は何かほしいものある」と言われると、すかさず「駅弁」と答えていた。
冷たくなってパサついたご飯に、おあいそのようにゴマがかかっていたりするが、このご飯がありえないくらいに美味しく感じ、さらに冷たい鮭とか、鶏のそぼろ煮なんかが、とてつもなくごちそうだった。
田舎にない食べ物の象徴、それが駅弁だった。もちろん、コーヒーもペットボトルもない。お茶がセットになっていたりした。
その後、京都に単身赴任していた頃、東京に朝一の新幹線で帰る際、なぜか冷たく固いカツの入った幕の内スタイルのお弁当を買うことが多かったが、今思うとガキの頃にDNAにしみこんでいた体験のせいなのかも知れない。
今では、デパートなんかで駅弁大会などのイベントがよく行われている。全国の珍しいお弁当があって楽しいが、なんの変哲もない冷たい幕の内弁当を見ることはない。
あの幕の内弁当を食べるためには、電車で出かけないといけない。次回の秘湯は電車で出かけてみようかしらん・・・
なんて思っていたら、下車駅に到着してしまった。タイムスリップした気分になった10分間の山手線の旅であった。
最近の駅弁って美味しそうなのが多いですよね
東京駅でいつも迷いすぎてしまう位に
それなりにマジメなとこも見せないとね(笑)