(2021.12.18 Sat. by my jugemブログより。)
やましい人は他人をひどく疑う。
初期から存在する心理学で、「火のないところに煙はたたない」と似ている。
幼い頃から火が放たれるのを見て来た者には、あーあれかな?と思い当たることを思い出すけど、本人が見聞きしただけなのか、本人がやって来たことなのかまでは分からない。
心理学の弱点と盲点である。
嘘発見器の弱点と盲点だ。
機械に頼り過ぎると、重要なコトをそっちのけで妄信&猛進しそうだ。
嘘が得意な人間には、全く役にたたない機械判断は、あくまで初期データとして「参考程度」が妥当だ。
辛いコトが多い人間は、些細な言葉でも嫌な思い出が関連付けられていることも多い。
常に「何も考えていないふり」でいる犯罪者も多く、大抵が「無辜な顔」を得意とするようで、電話先で「ゼェゼェしながら被害者ぶる若い女」は特に危険だ。
被害者はこちらなのに、まるで自分が被害者のような緊迫演技をし、犯罪被害で傷を深く負っている私の方が、加害者を心配していたことがある。
大学を卒業したての私は、あまりの犯罪被害に、全く手立てがなく、そいつらの写真を日本人の大学時代の友人(志田M)に託すしかできなかった。
今思うと、長年の虐殺被害で、友人と思っていても犯罪者らだった可能性が高く、どんな対策をとっても、周囲の虐殺加害者らに証拠や被害情報がいくように仕向けられ、もはや、「警察公安まで信用できない東アジア」となっている。
つまり、虐殺被害の根本の原因に、東アジア民族の性根と頭の悪さがあるのだ。
みんなが「芸術家の私に対する虐殺」に共感するようでは、その結果しか導き出せない。
前に1度言ったことがあるけど、私が1人で大勢の作品や人生を盗んでいるという仮定と、私1人に大勢が作品や人生を盗んでいるという仮定があり、両方検証するのが真っ当で普通の捜査方法だ。
さて、今現在、どちらが妥当なのか、教えてほしいものだ。どちらかが間違っているのは明白で、二者択一でしかなく、私が加害者か被害者か?だけが疑問と答えだ。
考え過ぎるな、頭でっかちたちよ。
(by 蘇かな→東郷かなに為った時は高校生の女でずっと未婚の文人芸術家双子座生まれO型恋愛はこりごりな熟女45歳 筆。)