ビビるかビビらないか、それが問題だ。by エセシェークスピア
有名な言葉のもじりだ。
盗聴や盗撮されて、あなたなら、ビビる?ビビらない?
そこが大きな分岐点だ。
僕に必要なモノは、勇気と想像力と少しのお金とチャップリンは言っていたらしいが、兼ね備えた男は偉大な足跡を映画界に残した。心に響く曲すらかいた男は、権力者に疎まれた。
自分の支配の及ばない人心を、彼が芸術で掌握できたからだろう。つまり、嫉妬ややっかみだ。
この時代で文人芸術家をやっていると、気づく事がある。私の作品を理解できる頭の良い人がとても少ないようだと。
理解できないくせに、「盗作だけはいっちょ前」なもんだから、焼き増し作品やチョイ編集作品ばかりでごまかすのだ。しかも、「本当の作者である私をバカにしている」から、作品の価値や作品への解釈を大幅に間違え、作品を台無しにするのだ。
シェークスピアもチャップリンも、ナンチャッテ作品だと目も当てられない代物になるのを、分かってやっているのか?
ビビるかビビらないか、それが問題だ。
オマージュでは、この言葉にとても大きな意味が与えられる。
盗撮盗聴盗作者に、ビビるかビビらないか。
ビビるなら、ネオナチ信仰者と大差無い。
かつてのドイツ人は、ビビったのだ。独裁者に。
ヒットラーは勝ったのか?考えなくても、歴史が語っている。ビビる民と権力者に、日本はまた、追随するつもりか。
私は、権力者に為ろうとはしていないし、ビビる民でもない。盗聴盗撮盗作者らと、ターゲット文人は、真逆の立場だ。
盗みをする人々とモノを作る人の差は、一目瞭然だ。