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きもちばかりで

片倉小十郎景綱に興味津々

見つかったばかりの景綱書状とな?!

2010-09-12 20:50:50 | 片倉小十郎を知りたい
図書館に行けない多忙状況が続いて、『伊達の鬼』第4巻を購入しても気持ちは晴れず(だって、しょっぱなのページから、雑誌掲載時にプチ萌えしてたセリフが修正になってたんですもん、しおれるわー)、疲れ果てて街を歩けば開店前の飲食店の表示に惑わされる今日この頃。

 『準 備中』

えっ、備中様?!
違う違う自分それそこで切るんやない。

しかし、備中に準じるモノってなんでしょうね。(まだゆうか)
てか、これなんちゃって官位だったんだと思うのですが、どうして備中守を選んだんでしょう? そもそも小十郎だけじゃなく、世のなんちゃって官位を名乗ってた方々はどういう基準で自分の官位を決めたのかしら…。興味津々。

さて、そんな中で、M師匠のサイトから「白石戦国武将隊 奥州片倉組」(←クリックすると別窓でブログが開きます)の存在を知りました。M師匠、いつもありがとうございます!
ブログのトップにある、鐘に九曜紋と散ら藤井桁のデザインがとってもステキ。そういえば、独占紋であるというこの散ら藤井桁紋についても知りたいんですよね~。そもそも「独占紋」ってどういう意味があるのかしら。ああ、興味が尽きない。残業も尽きない。

どうしよう、9/23に池袋・宮城ふるさとプラザにいらっしゃるそうですよ、奥州片倉組!
えええ~、その日って私池袋にお芝居観に行く予定なんですけど~…友達と待ち合わせは劇場で現地集合だし、ちょっと早めに行くって、ありよね?

それはともかく、ブログの認定式の様子。傑山寺での成功祈願の写真が杉の墓標の前なんですが……
なんだか杉の木がものすごくビックリしているように見えるんですけど、気のせいでしょうか(笑)
どの写真でも、目の前でも、常に泰然自若としているあの杉がこんなに動揺してるの初めて見た。きっと横の奥様の方が「あらあらまあまあ」ってニコニコしていそうな気がします。見えないからわかりませんが。

そしてその下に、「みつかったばかりの、初代片倉小十郎直筆の書状」の写真があります。うぉぉぉぉぉおおおお!!クリックして拡大しても何が書いてあるかわからないけど、花押は景綱だーっ!!キャーッ! ……と思ったんですが、あれ?これ、もしかして伊達慶邦さんのコレクションの「普請役申付状」じゃないですか? ああ、傑山寺所蔵だし。
しまった、水を差すようなこと書いちゃったかしら。でも正真正銘の本物です! 景綱公の水茎でございます! この紙に景綱公の御手が触れたのでございます!
ほう……うらやましいわぁ…

はじめての米沢

2010-07-11 20:50:30 | 片倉小十郎を知りたい
7/10、生まれて初めて米沢へ行って参りました。
お目当てはこれ。
米沢市上杉博物館
『初夏の特別展 直江兼続生誕450年 戦国大名とナンバー2』
後期展示に「片倉小十郎陣中三景」!!!
そして7/10にはギャラリートーク:『伊達政宗と片倉小十郎』 by菅野正道氏(仙台市史編さん室長)

財布の悲鳴を聞こえないふりで新幹線のチケットを買いましたよ。

お目当てに加えて、「下長井段銭帳」!! 「北条段銭帳」!!! そして「片倉景綱普請役申付状」!!!うわー!初めて見たー!
中でも「片倉景綱普請役申付状」は、巡りめぐって慶応四年(1868)に伊達家の手に渡ったそうで仙台藩最後の藩主・伊達慶邦が大喜びでコレクション・ボックスに収めて和歌を書いています。

たくひなき 君のいさほし したふあまり
 こふてめくまる 水くきそ これ


かなで見るとよくわからないんですが、「類いなき 君の功 慕うあまり 請うて恵まる 水茎ぞ これ」であってます? だとしたら、喜びすぎじゃないですか藩主さま?! 政宗公の手紙じゃないですよ、あなたの 家 臣 の 先祖のお仕事メールですよ?
慶邦公にとっても250年くらい前の古文書になるわけでしょうが、それを差し引いても「片倉小十郎景綱」が伊達家においてブランドだったってことでしょうか。そうだったら嬉しいな。なんでかな。嬉しいな。るんるん。

ギャラリートークも、ものすごく面白かったです。研究の現場第一線の方のお話が聞けるってスゴイ。
で……、あまりに熱中して…「トーク後、ご質問のある方は菅野さんを囲んでください」という学芸員さんのお言葉をいいことに……、本当に捕まえて質問し続けてしまいました……しかも低レベルな質問を。ひとつ質問したら、勢いがついて…他の方の質問とそのお答えを聞いていたら、どんどん聞きたいことが湧き出てきて……菅野さん、上杉博物館の皆様、本当にごめんなさい。今思い返してみると穴があったら入りたい気持ちでいっぱいです。嫌な顔一つせずに丁寧にお答えくださってありがとうございました。たいへん勉強になりました。

……なんてことを、この腐ブログで言ってもしょうがないですね。

先日、K師匠に連れて行ってもらった川崎市中原区の時代まつり講演会もそうでしたが、生トークってホントにスゴイ。なにしろ最新情報です。書籍はもちろん勉強になりますが、出版されてから日が経っている点はしかたがありません。でも講演会は、研究者が「今」の情報を頭の中に持って目の前にいらっしゃる。most updatedをoutputしてくれている。情報だけでなく、その情報とどのように向き合うかの道も示してくれる。スゴイスゴイスゴイーっ!

これからもチャンスがあったら講演会とかシンポジウムとか行ってみたいと強く思いました。

あと、新幹線で山の中のトンネルを抜けて米沢の駅に着いたとき、「ああ、この平野は欲しいだろうな」と思いました。
それから市内循環バスに乗ったのですが、これが実にきめ細かく市民や観光客が利用するであろう市内の施設をまわるルートになっていまして、地図を開いて道順を追いながら乗ってたのですが曲がって曲がって曲がって曲がってくれちゃうので途中何度か地図上で自分の位置を見失いました。実に利用者のためを想ったルートだなぁ、と感心することしきり。いい街だ、米沢!!

もちろん米沢城址では、「伊達政宗公生誕之地」の写真をパシャパシャ。やたらとスズメが多かったのは上杉家だから?(違)
帰りの駅でセキレイ2羽に見送られたのでさらにいい気持ち。

そしてなんと! 博物館で同じく一人でいらしていたお嬢さんとお話ししているうちに、駅まで彼女の車で送ってくださるというお申し出。本当に助かりましたー!
しかも……ビッグサイトでまた会えるね!という間柄だということも判明(笑)。これをご縁と言わずしてなんぞや。

ありがとう米沢。また来るよ米沢。さくらんぼ美味しすぎだよ米沢。
高畠にも成嶋八幡宮にも行ってみたい、と欲望ばかりがふくらんでいく夏でございます。

ショックとは刺激、転じれば力

2010-07-01 23:32:23 | 片倉小十郎を知りたい
本日の「カテゴリー:片倉小十郎を知りたい」は、「片倉権十郎を知りたい」でお送りします。

さて、三十郎と権十郎の早世はショックでしたが、この歿年齢だとすればいろいろな事が腑に落ちます。いえ、史実的に腑に落ちるのではなく、私個人の心情的に腑に落ちるというだけですが。そんな妄想もまたそのうち語らせてください。

少しでも三十郎と権十郎に関する逸話がないかなーと(できることならおねえちゃんと末っ子妹ちゃんも)、パラパラと本をめくっていると。
直接権十郎がどうした、という話ではありませんが権十郎の名前が載ってる話がありました。

例によってmyバイブルより、宗方俊安の項:
「右同人(=宗方俊安)先祖弥助嫡子蔵松、権十郎様御病気に付御身代わり山伏と相成り、民部と名を改め大峯へ八度登山。権十郎様御病気御全快の砌、御知行下さるべき旨思し召しのところ、願いの上町屋敷御免下しなされ、無明院と名を改む。子供作兵衛、逸山様(=三代景長)御代、士に召し出される」

例によって、漢文の読みを切る位置に全く自信がありませんがなんとなく全体の意味はこんなとこだろうと妄想の力も借りて読み下し。
病気の権十郎のために身を投げ出して祈り続けた人がいて、それに感謝して報いようとした小十郎親子がいたと思うと、権十郎行綱という人は愛されていたんだろうなー、という妄想が成り立つワケです。
ああ幸せ。

三十郎やそのママに関するネタはまだ見つけていませんが、後年の重綱正室(針生氏)と継室(真田信繁女阿梅)が超仲良くて姉妹のようだった、という話から力技でえいやっと持ってくると、針生氏は景綱正室(矢内氏)と側室(上原氏)が仲良くしているところを見ていたんじゃないか?という妄想というか超絶希望というかなモノが生じるワケです。

だってそっちの方がうんと幸せ。
そんな妄想を裏打ちしてくれるエピソード、見つからないかな~。

小十郎の妻子でダブルショック②

2010-06-27 00:09:00 | 片倉小十郎を知りたい
さて、ダブルショックの2つめです。長くなりそうです。やれやれ。

例によって国会図書館で素晴らしい研究書と出会いました。
『史料 仙台伊達氏家臣団事典』 著者:本田勇
発行:丸善仙台出版サービスセンター


自費出版です。在庫無しです(涙)。丸善の方に問い合わせをお願いしたらその日のうちに調べて折り返ししてくださいました。自費出版本は流通ルートが違うので簡単には調べられないでしょうに、出版元から著者ご本人手持ちの在庫まで問い合わせてくださった模様。本当に感謝です。

いえ、在庫なしなのがショックではなくて。(復刊ドットコムのリクエストリストにありましたよ!みんな欲しいよね!)

やっぱりまず開くのは「片倉」さんのページ。そこにあった系図の注に。
 景綱異母姉 小木三左衛門夫人
うわあ、新情報! 武藤文書「御系図」より抜粋の系譜小嶋治部少輔朝次夫人って書いてあるお姉さんのこと? さらにまた別?!
こちらの本の資料は名取佐藤家文書所収「藤原姓片倉氏系図」だと書いてありました。
あわててmyバイブル『白石城主片倉氏と家臣の系譜』をひっぱりだして、一家・小島治部少輔源朝次の系図を確認。朝次の子・朝助のところにお母さんの記述が……「義母片倉式部少輔景重君二女 片倉備中守景綱君姉也」の文字が。
「義母」? ええっと…つまり、再婚で旦那の連れ子って可能性? そうすると、前の旦那が小木三左衛門さん???

人間関係フクザツやわー。

こちらは調べる対象の人がまたひとり増えただけで、さほどのショックではございません。途方には暮れましたがね。ハッハッハ。

本当にショックだったのは、小十郎の二男・三男についての注記です。

 三十郎友綱 慶長十四年九月、19歳で没す。
 権十郎行綱 元和七年六月、25歳で没す。


うぎゃああああああ、早すぎるよ二人とも~~!!
ネット上のソースだと、重綱よりも長生きしてるような感じだったのに~~。
ただ、もし2人の早死にが本当だとすると、彼らに関する情報にあまりお目にかからない理由もわかるような気がする。つまり…一家を成す前に亡くなってしまっていたとしたら……うおぅ。

泣きながら逆算してみると、友綱 1591-1609で小十郎35歳の時に生まれ、53歳の時に先立っている。行綱 1597-1621で小十郎41歳の時の子供でパパよりは後に他界。
(ネット検索で得た生没年からだと、重綱とほぼ年子という勢いで2人とも生まれて、兄弟順番に亡くなっているので2人とも70代でいい感じの人生。でも、それだけ長生きしてたらもっと情報残ってそうな気もするんだけどなぁ。重綱に男子がいない分、2人のうちのどちらかが片倉を継ぐとか、三之助(景長)の後見につくとか…)

ちなみに、たしか蔵六院は小十郎より8~9歳くらい年下のはず。行綱の妹(於左婦)はいつ頃の子供なのかしら。

ひとつ何かを知ると、また知りたいことが増えていく。今はあまりにも断片的な情報しかないけれど、いつの日か少しはまとめられるようになるんでしょうか。てゆーか、私はいったい何をやっているんでしょうか。

小十郎の妻子でダブルショック①

2010-06-26 23:40:00 | 片倉小十郎を知りたい
デアゴスティーニからまた魅力的なシリーズが発売されていますね。
 『週刊 戦国武将データファイル』
早速立ち読みしましたが、写真や画像がたくさんで、武将の肖像画でも見たことのないヤツが載ってたりして、キャラ萌え貴腐人としてはなかなか惹かれます。
負けるのか、またシリーズおっかけするのか?うぬぅ。

で、第4号に片倉景綱のキャラ紹介(キャラ言うな)第一回目が載っていたので鼻息を荒くしながら本屋へ行ってまいりました。

「正室・不明、側室・不明」

なにそれーっ!!!!!!

そ、そ、そ、側室・不明はまあしょうがないとしようじゃないか。上原五兵衛女(三十郎友綱のママ)のことは、確かにあんまり記述に出くわさないし…(でも常に狙っているワタクシ)

でも、なんで、どうして 正室・不明 なのーっ?! うわーん、デアゴスティーニのバカーっ!!ジタバタジタバタ(子供のダダこね泣き)

蔵六院さまのことは、大抵の小十郎資料を見ても「矢内和泉藤原重定女」って書いてあると思うんですけど…むしろ「不明」と書くことの方が難しいと思うんですけど…… はっ! もしかしてデアゴスティーニは、何かそれを覆す新事実を掴んだとでも?!(まさかね)

確かに片倉氏の系譜はいろいろあってよくわかりません…意休斎おじさまのウチなんて、どうしてみんな諱が2説あるの?とか、他の記録も合わせてみると景綱の叔父さんとお兄さんの名前があっちゃこっちゃしてるのは何故?とか。「景広」という名前が叔父さんだったりお兄さんだったりしますよね。私は、叔父さんが「景広」で、お兄さんが「重継」が正しいんじゃないかなーと思っております。系譜ファンだから系譜優先(笑)

言ってみればそれも、生きているうちにお互いを諱で呼ばない、って事の裏付けになるんじゃないでしょうか。普段から呼んでたら親戚の名前とか書き間違えないでしょう。ホント、諱って不思議。

それはともかく。 蔵六院さまファンの私としては、デアゴスティーニのこの仕打ちはボディブロー連チャン気味にダメージでありました。…ホントにどういうことなんだろう。
おかげでまた白石行きたくなったよー、傑山寺の蔵六院さまの波動に会いたいよー。片倉家御廟所にも喜多おねえちゃんのお墓にもまだ行ってないし。M師匠、K師匠、連れてってくだされー。私一人だと行き着ける気がしないー。

ダブルショックというからには、もうひとつショッキングなことがあったんですが、続けて書くとあまりにも長くなるので分けます。