御剱祭 南方山(通称 南方位山)
!!参加者大募集中!!
~お申込み先~
〒943-0832
新潟県上越市本町1丁目6-22
春日神社
TEL 025-523-5657
FAX 025-526-7438
↓ 市民ディレクターによる同行記録です ↓ご覧ください
http://www.youtube.com/watch?v=lEI97rtz9Hc
お気軽にお問合せ下さいませ
御剱祭 南方山(通称 南方位山)
!!参加者大募集中!!
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新潟県上越市本町1丁目6-22
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~御剱祭 南方山(通称 南方位山)とは ④ ~
~この④が現在実施している南方位山の起源です~
その後、越中の国を平定した謙信公は、元亀元年
(1570)、このありがたい「倶利伽羅不動尊御旗」を
捧持し、所有領地の安泰・安全を妙高山頂の阿弥陀
三尊に祈願することを思い立ちました。
謙信公ご自身の代参は天室和尚に命ぜられ、この
「倶利伽羅不動尊御旗」のお供・お守りを我々春日町
(当時春日山城下)に仰せ付けられました。
ほかに領内の村々より1村1名が代表として小旗を
持ってお供しましたが、その数、1359本という、実に
壮大なものでありました。 ~~~
その後、謙信公亡き後もその意を引き継ぎ、代参登山
を南方位山と呼び、現在に至ります。
またその間、移城(春日山城→福島城→高田城)の
度ごとに我々春日町も、城下町としてお城と共に町ごと
移動してきました(現在の高田、本町1・南本町3)。
その際も大切に大切に謙信公よりお守りを仰せ付かった
「倶利伽羅不動尊御旗」を守り継いできました。
まさに、春日町に今なお生きる「謙信の心」!
~御剱祭 南方山(通称 南方位山)!~
いざ、謙信公の意と共に!!
多くの皆様のご参加をお待ちいたしております。
~御剱祭 南方山(通称 南方位山)とは ③ ~
その後の有名な川中島合戦の際にも、本陣を構えた
関山でこの「倶利伽羅不動尊御旗」を捧持しており、
拝礼して戦に臨み、見事勝利したといいます。
春日山に帰城した謙信公は、林泉寺6世天室和尚に
このありがたい「倶利伽羅不動尊御旗」のご開眼を仰せ
付けられました。
その後も出陣の度に捧げ持ち、功績を幾度と重ねました。
また、永禄年間の春日山城南の火災では、本丸に火が
入ろうとした時、倶利伽羅不動尊が現れ、風向きが変わり
どしゃ降りの雨が降り、ひと時に火が消え収まったり、
その後の天正3年の大干ばつの際も、飛山の滝壺に
「倶利伽羅不動尊御旗」を捧げ持ち祈願すると、龍王が
水をまきあげ、その量越後7郡は言うに及ばず近隣の国に
まで及び、五穀豊穣となったそうです。
~御剱祭 南方山 (通称 南方位山)とは ② ~
①での「龍の御旗」の龍とは、倶利伽羅不動尊
(倶利伽羅竜王)のことであります。
毘沙門天が右手に剣を持っていますが、その剣に
巻きついている龍が倶利伽羅不動尊です。
では、なぜそのような「倶利伽羅不動尊御旗」が
春日神社氏子中に現存するのでしょう??
まず、「倶利伽羅不動尊御旗」の由来をご紹介↓↓
~ 謙信公は永禄年間の越中(富山県)へ出陣の際、
名立・筒石近辺で山も崩れ、大海原もひっくり返る
ようなすさまじい大嵐に遭いました。幾度の出陣でも
この様な難にあったことはなく、困った謙信公は
毘沙門天に一心に祈りました。
すると、筒石山の西南より倶利伽羅不動尊が現れ、
たちまちに暴風が鎮まり晴天が覗き、一行を助けて
下さったのです。謙信公や軍勢一同も思いがけない
出来事に喜ばれ倶利伽羅不動尊を拝みました。
謙信公は能生の権現堂に参拝し、早速、絵師の
狩野直信を呼び、このありがたい倶利伽羅不動の
ご尊像を描かせたのでした。 ~~~
~御剱祭 南方山( 通称 南方位山)とは ① ~
ここで募集いたしました「南方位山」についてご紹介
いたします。
まず、この行事はかの有名な上杉謙信公に由来する
大変、歴史的特殊な行事であり、その起源は今から
444年前の元亀元年(1570)にさかのぼります!!
謙信公が毘沙門天を信仰していたのはあまりにも有名
ですが、また、「龍」の御揖物を戦に掲げていたのも有名な
話です。
その「龍」の由来の御旗が、ここ春日神社の氏子中に
伝わり現存しております!!
この「龍の御旗」を捧げ持ち、妙高山頂へ(謙信公の)
代参登山をする!! これが南方位山です!!