七月に入り、ようやく梅雨の兆しといったところ。
六月が文字通り水無月となってしまい、水不足も懸念されたけど、やっとこさの雨。
七月は文字通り文月としていきたいので、ブログもがんばって書こうと思う。
さて、雨となると、外出するのが億劫になるが、それでも雨が降ると出かけたくなる日もある。
雨がふってこそ、紫陽花と睡蓮は映えるのだ。
睡蓮といえば、平安神宮。ここには池があり、そこに睡蓮が賑わっている。
雨粒が池に打たれるのがいい。池とか川とかは、雨に打たれて新しい顔、新しい動きを見せる。雨粒が新しい川の粒子となるのが楽しい。
睡蓮といえば、花よりも葉、である。花びらが濡れているのも赴きがあるが、葉のまっすぐな脈、細長く、今にも切ってしまいそうな鋭い葉、その上を垂れて落ちてゆく滴は私を魅了させる。この芸当は晴れた日では見られない。
そんなわけで、遅くなったが、傘を指し、今年も出かけてみよう。
紫陽花については、また折に触れて書きたいと思う。