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((( Barbacrea )))

ロンドン生活を経て、南イタリアのちっちゃな田舎町に移住。

お客さん

2010-11-15 | イタリア

先週、私たちがこの家に住み始めてから、初めてお泊りのお客さんが来ました。こんな遠い辺鄙な町には、あまり誰も来てくれないのですが、彼らは以前ロンドンに住んでいた夫婦で、現在はソレントというアマルフィ海岸にある町に住んでいます。ここから2時間ちょっとでしょうか?2泊の予定で遊びに来てくれました。うちの息子は、先日まで熱があって元気がなかったのに、お客さんが来たら、急に元気になってはしゃいでました。

2日目の朝は、天気も良かったので、近くにあるマテーラという街に案内しました。ここはサッシという洞窟のような住居がある旧市街地が有名です。この住居は凝灰岩というもろい質の岩に穴をあけて作られたもので、昔長い間は貧しい人達(小作農民)の住居でした。(歴史を遡ると、ここに人が住み始めたのは8世紀以降で、彼らはイスラム勢力を逃れたキリスト教の修道僧たちだった、とも言われています。)第二次世界大戦後、一時は廃墟となりますが、1970年代に建築学上貴重だという声が高まり、1993年には世界遺産にも登録され、徐々に改修工事され保存されるようになり、人々もこの地区に戻り始め、現在では、その洞窟住居を改装したホテルやレストランも目立ちます。

最初の1時間くらいは、お日様も出ていて散歩していても気持ちよかったのですが、徐々に雲行きが怪しくなり、雨が降ってきてしまいました。傘も車に置いてきてしまったので、歩くには雨がちょっと不快に感じるように。仕方ないので、新市街まで歩いて戻り(地図なしで戻るのも一苦労、、、ここは道も狭くて迷路のような地域です。)、パン屋でフォカッチャ(ピッツァパンのようなもの)を買って食べながら雨が止むのを待ちましたが・・・・結局天気はよくならず、そのまま近くのカフェで一休み。そうしている間に午後1時に。イタリアは午後1時から5時まで、ほとんどのお店が閉まってしまうので、街の中心地には人々がいなくなり空っぽになってしまいます。それに、この夫婦の奥さんは、ただ今妊娠中で1月に出産を予定している身なので、歩いていても途中で疲れやすく辛そうなときもあったので(でも本人は雨さえ降らなければ歩きたがっていた)、ちょっと心配になり、その後は私たちの家に戻りまた一休みして、暫くしてから今度は近場に外出しました。

 その日の夜は外食せず、家で夕食をとることにしました。でも、夕食は私たちが料理する必要もなく、お客さんである彼の方が腕をふるってくれました。何とも有難いことです。メニューは、キノコ(カルドンチェッリという、ローカルきのこ)のクリーム和えパスタと、子牛のレバーと玉葱のハーブ炒め煮、そして2種類のソーセージをグリルしたもの、それとフィノッキオとチコリのサラダです。彼はとても料理上手な人らしく、どれもとても美味しかったです。

 

この3枚は、マテーラで撮りました。こうやって写真だけ見ても、とてもユニークな街ですね。なんか奇妙な感じさえします。

一番右の写真は、バロック建築のプルガトリオ教会ですが、近づいてみると一瞬ギョッとしますよ。この木製の扉には、頭蓋骨の模様があり、教会の外側のあらゆる所に頭蓋骨や骸骨のデザインが施してあります。この教会は通称「死者の教会」と言われているようで、死がモチーフになっているそうです。死者の魂に捧げられた教会とでも言うのでしょうか?建てられたのは、1726年から1747年となっています。中に入ってみたかったのですが、あいにく扉は閉ざされていました。次回、開いてたら是非入ってみたいです。扉を近くで見ると、こんな感じです。(下の写真)


移民

2010-10-10 | イタリア
イタリアもヨーロッパ共同体の加盟国が増えるにつれて、東欧からの移民がとても増えています。国でいえば、ルーマニア人が筆頭でしょうか?ただでさえ、イタリアの経済はよくないのに、移民の人達は夢をもって祖国からイタリアに入国したはいいが、仕事もなく、住む家もなく、途方にくれて犯罪に手を出したりするケースが増えているらしく、ニュースでもよく取り上げられています。メディアの取り上げ方によっては、無知な人々は、ルーマニア人=犯罪者のように捉えてしまい、その結果、人種差別につながってしまうような気がして危険だなぁとも思います。

何故そんなにルーマニア人が多いのか?私は不思議に思っていましたが(何故ヨーロッパの国でも、もっと経済的に豊かなイギリス、フランスやドイツ等に行かないのだろうか?と・・・)その理由のひとつとして、昔古代ローマがルーマニア(その時代はダキア地方と呼ばれていた)を植民地支配していた時代があり、ダキア人とローマ人の混血がルーマニア人の祖先と言われています。ルーマニア語は、ラテン語の東部地域の方言でバルカン・ロマンス語系統(と言われても、私にはよくわかりませんが・・・)だそうです。なので、イタリア語に近い言語とも言われており、ルーマニア人は、イタリア語を多少理解できるのかも知れません。そういう歴史があったとは全く知りませんでした。

ところで、時代は遡りますが、イタリア人といえば、北米や南米にかなりの数の移民がいたはずです。
現在その移民の子孫は4世、5世になっていると思います。事実、ここの町出身者で海外に移住した人達の多くはカナダのトロントに住んでいると聞きました。トロントには、この町出身者やその子孫たちの大きなコミュニティがあり、その人口は現在のこの町の人口以上だそうです。最初聞いたときは驚きました。

イタリア系の移民といえば、やはりアメリカのニューヨークを思い浮かべます。イタリア人のアメリカへの移住は1880年代から始まり、そのピークは1900年頃から第一次世界大戦の1914年頃までといわれており、1978年には約530万のイタリア系移民が合衆国に居住していました。彼らの多くは南イタリアやシチリア島出身の農民だったそうです。彼らの1/3はアメリカで稼いだ後祖国イタリアに帰省するつもりでしたが、第一次・二次大戦の影響などでその多くが結局米国に留まることになったそうです。2000年の時点で、イタリア系は、(ヨーロッパからの移民としては)ドイツ系、イギリス系、アイルランド系に次いで多く、アメリカの人口の5.6%となっています。

以前はイタリア系アメリカ人の代名詞としてアル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロやマドンナがいましたけど、それはもう昔、最近ではレディ・ガガですかね、やっぱり。イタリア系と言われているアメリカのミュージシャンや俳優はたくさんいますが、みなさん結構個性派です。両親のどちらかがイタリア人でもイタリア系と言われてしまうんですよね。最近知ったのは、あの懐かしのシンディ・ローパーも、スーザン・サランドンも母親がシチリア系イタリア人です。

先月のヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞した米映画監督ソフィア・コッポラ(東京でロケした「ロスト・イン・トランスレーション」が有名)もイタリア系アメリカ人。彼女は、有名映画監督フランシス・フォード・コッポラ(「ゴッドファーザー」の監督です)の娘さんですが、もともとコッポラ家の祖先は、ここの近くの町出身者です。家族やルーツを重んじるイタリア人らしく、ソフィア・コッポラも2008年の春に著名なインテリアデザイナーを連れて(フランス人ミュージシャンのご主人も一緒に)自宅のあるパリから、この小さな町を訪れています。お父さんは何度か訪れていたのですが、ソフィアは初めてです。コッポラ家は、この町に大邸宅を所有しているらしく、その内装をソフィアに全て託したとの話です。(内部のインテリア見てみたい!)。

ヴェネツィア映画祭の受賞スピーチでも、父親に感謝の言葉を述べていましたし、「イタリアの映画祭で賞をもらうのはイタリア系である私たちにとって、とても特別なこと」とも。今年の審査委員長をつとめたクウェンティン・タランティーノもイタリア系ですが、彼は今回の映画祭で自分と仲の良い友人の作品ばかりを選んだ(要するに私情を優先したと)という批判も一部からありましたが・・・・・ それはどうなんでしょうね?ちなみに、タランティーノはソフィアの元恋人です。





ニューファンドランド

2010-09-10 | イタリア

 

つい最近、「イタリア各地のビーチでは、今年の夏も人命救助犬が大活躍した」という記事を読みました。イタリアには、海難救助犬スクールで訓練を受けた約300頭の犬が、これまでに100人以上、今年だけで10人以上の命を救っています。主に、人間にとって危険な場所や、波の高いときなどに、ヘリコプターやボートに乗って出動します。

イタリアには、海難救助犬スクールが10ヶ所ほどあり、そこで3年間の訓練を受けます。ただし犬たちは、スクールの犬小屋で寝泊りしているのではなく、調教師と一緒に家族のような暮らしをしています。犬は強さとスタミナの面から、30キロ以上の大型犬がほとんどです。このスクールは、毎年夏のビーチや湖を、救助員と救助犬が一緒になって組織的に監視している世界でも唯一の存在です。

 飼い主と救助犬のペアで活動することも出来ますが、ペアで活動する場合には海と陸で合計1年間の訓練を受け、毎年夏前に行われる試験に合格して初めて登録されます。それも1度の合格で毎年更新されるわけではなく、毎シーズン前に試験に合格する必要があります。試験の一部として、飼い主は自分の犬と同じ速さで泳げなければいけない、とのこと。

 救助犬として有能な犬種なのが、ラブラドールやゴールデンレトリーバー、そしてニューファンドランドだということです。ラブやゴールデンは何となく想像していたのですが、このニューファンドランドという犬を私は全く知らず、ピンと来ませんでした。

 実は、このニューファンドランド犬は、海での人命救助犬として昔から世界的に有名で、最も適している犬種だそうです。それには色々な理由があります。性格がとても温厚で従順、そして子供にも優しい上、彼らの毛は耐水性があり、足には水かきに有利な膜があります。そして、ストロークが大きいので泳ぎがとても速く、水(荒波でも)を怖がりません。溺れている人を救い出すのは、彼らの天性であると言われています。(それにまつわる実話はいくつもあります。)訓練も救助も、労働の感覚ではなく遊びとして捉えている、と専門家は言います。

ニューファンドランド犬は、カナダのニューファンドランド(Newfoundland)という地が原産(1700年代~)ですが、昔に遡ると、カナダの漁師がヨーロッパ大陸から連れてきたグレートピレニーズ、フレンチハウンドが原種ではないかと言われています。以前から、この犬は漁師のパートナーとして海に出ていたみたいですね。 1800年代には、NFL犬はイギリスでは水難の人命救助にとても役立っていたようです。

イギリスのサイトで面白い広告(7月初旬のもの)を見つけました。それは、イギリス北西部のチェシャーにあるヨットクラブが、耳の聞こえない人達のために寄付を集めようと企画したもので、「14ストーン(80キロ以上!)のニューファンドランド犬が湖から人を救助するショーを観戦しよう!」というイベント。このイベントのために、湖の中で犬に救助される人達をボランティアで募集します、といったもの。これは見てみたかったです。

ちなみに、その犬たちの写真がこれ↓、すごい大きいです。安心感ありますね!

 


イタリア式誕生日会

2010-04-02 | イタリア

もう4月ですね~。ここ数日は暖かい日々が続いています、日向に立っていると暑いくらい。でも夜はまだまだ冷えますが。

 ところで、昨夜は義理姉の長女(11歳)のお誕生日パーティに行ってきました。彼女は、今年初めてピッツェリアで誕生日を祝いました。(去年までは、自宅パーティだった。)招待されたのは、同じクラスの女の子全員。来たのは14人で、来なかった子は一人だけでした。こういう子供たちだけの誕生日パーティに呼ばれたのは初めてだったので、11歳の女の子とはどんな感じなのか?と隣のテーブルから、しっかり観察してました(笑)。11歳の時の自分はとても子供だったので、現代の11歳ってこんなんなのかな~、と考えてました。(去年、ミラノから親戚の女の子12歳が来てたんですが、この子には驚いた・・・・男の子と会う度に一目惚れしちゃって、電話番号まで聞きだして、その日の夜中に自分の携帯から電話かけてたりしてたらしい。それもかなりの人数、、、でも親は何も知らない)

話がそれてしまいましたが、昨日の女の子たち、じっとしてられないんです。トイレがひとつしかないというのに、3,4人でトイレに行き、他の3、4人も続いて行き・・・トイレで10人近く集まって何をしているのか?というと、ただ大声で話したり、踊ってたり、叫んでたりして騒いでいる、、、、ピッツェリアの店主に何度も注意されてました。他のお客がトイレに入れないんです。

一人番長みたいな女の子がいて、彼女は縦横一番大きくて、雰囲気が既に"おばちゃん"状態で貫禄ばっちり!(笑)。食べてる時は、コカコーラのグラスをブランデーグラスのように回しながらピッツァをがぶり、なんだか "おやじ"状態・・・・やっぱりいるのね、こういうタイプは何処にでも。私の小学校時代のクラスメートに、こういうタイプがいたなぁと思い、ちょっと笑っちゃいました。

みんなパーティには、プレゼントを持ってきます。金額は特に決まっていませんが、子供なので高くても10ユーロくらいまでだと思います。それぞれ家庭の経済状況にもよって、プレゼントに費やせる金額も違ってきます。どんなプレゼントがあったかと言うと、女の子用香水やボディソープ等が一番多くて、あとはマニキュア、洋服、アクセサリー、リップグロス、貯金箱まで色々。なんせ14個のプレゼントですから。私は、キティちゃんのペンドライブをプレゼントしました。これは日本のネットで以前購入したもので、彼女はかなり気に入ってた模様で、ちょっとホッとしました。

 イタリアでは、たいてい誕生日の本人が飲食代は支払うので、この日の誕生日会の飲食代は当然両親が支払いました。ひとり当たりピッツア1枚(イタリアでは1人1枚のピッツァを食べます)とフライドポテト+飲み物。それを全員分(私たち家族も含めて)に換算すると合計150ユーロぐらいでしょうか?私は、子供のとき誕生日会に1度しか行った覚えがないんですけど・・・。日本では、あまり誕生日会ってしませんよね?イタリアの子供たちは誕生日会をするのが当たり前なので、私にとっては結構面倒くさいのです。子供が10歳くらいになるまでは、親同伴で出席しなければいけません。私は社交的じゃないので、大人数が集まる所に顔を出すのが苦手なんです。特に子供たちのママばっかりだったりすると、余計に気が重い。なので、行く前から自分を無理に元気づけて、テンションをあげなきゃいけない感じです。こういう付き合いが苦手だと、イタリアはキツイです。なんせパーティが多い国ですからね。


ゼッポレ

2010-03-24 | イタリア

先週の3月19日、イタリアではサント・ジュゼッペの日でした。サントとは聖人のことで、ローマ・カトリック教会では殉教者や敬虔な信仰生活を行った人を死後、聖人として崇敬する習慣があるそうです。殉教者以外では、「奇跡」を起した実績(それも2回!)が必要となっています。「奇跡」って何?って私は思ってしまったのですが、例えば「この人物に祈ったところ病気が治った」とか、そういう実績みたいです。聖人になるには、ヴァチカンによる業績精査を経て(一般的には死後100年以上かかるそう・・・)ローマ法王の認定を受けるとのこと。イタリアでは聖人暦というカレンダーがあるほど、毎日のように聖人の名が書いてあります。

説明が長くなってしまいましたが、サント・ジュゼッペとは、キリストのお父さんの聖人祭日なのです。でもって、イタリアはこの日が「父の日」だったりもします。うちの旦那の名前はジュゼッペ(イタリアでは、ありふれた古風な名前、何と言ってもキリストのお父さんの名前ですし、、、)ま、それはいいとして、この日通りすがりの友人に、ジュゼッペに「おめでとう」って言っておいてね!と言われて、私はチンプンカンプン。父の日だからって、自分の家族以外のお父さんに「おめでとう」は変だしなぁ・・・って考えてました。夕方になってから旦那にこの話をして、初めてサント・ジュゼッペの日だと知った次第です。

そして、このサント・ジュゼッペの日に食べるのが「ゼッポレ」というお菓子です。このお菓子は、シュー生地(のようなもの)を揚げたものにカスタードクリームがのっているシンプルなものですが、この日にしか食べません。(前日から売っているのを見ましたが)今回は、揚げゼッポレとオーブンで焼いたゼッポレ2種類を旦那自身が買ってきたので食べてみましたが、揚げたほうが美味しかったです。私は、カスタードクリーム自体があまり好きじゃないんです。でも、日本のケーキ屋さんの生クリームが混ざったカスタードクリームは大好きなんですけどね。

正直に言いますと、イタリアのお菓子はあまり美味しくないです。(というと語弊があるので、日本人の口には合わない!と言いましょうか?)イタリア各地でお菓子を食べたことがありますが、今まで一度も「これは、すごく美味しい!」と感動したことが、残念ながらありません。お菓子は、フランス菓子の方が絶対美味しい!と信じてます。日本の洋菓子は、それ以上に美味しいかも知れませんね、現代では。イタリアのお菓子って”見かけだまし”だったり、”素朴な味が自慢”みたいな感じですかねぇ。こうやって、イタリアのお菓子の味に慣れて行くのでしょうか、私も。でも、私は毎年1度、日本の美味しい洋菓子を食べ漁ってますので、味覚は今のところ変わってないようです。

でも最後に一言、「ジェラートに限っていえば、イタリアが一番!」だと思います。