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三田渡の“辱碑”

2007年02月12日 | 中国vs韓国
 ソウル市の南のはずれ、松●区三田洞に通称“三田渡碑”といわれる2メートル近い大きな石碑が建っている。正式の名称は「大清皇帝功徳碑」という。昔、漢江の岸辺で“三田渡”という渡し場だったところとか。石碑は李朝時代中期の1636年、当時の清(しん)が朝鮮(韓国)に攻め入った際の清の戦勝をたたえたものだ。

 当時、清がなぜ朝鮮に侵攻したのかというと、中国大陸では漢族の明(みん)が滅び新しく満州族の清王朝が誕生していた。ところがこの清に対し朝鮮側は蛮族だからイヤだといって“臣下”となることを拒否し、怒った清は大軍で攻め込んだのだ。朝鮮の王様は仕方なく“三田渡”でひざまずいて降伏し、臣下を誓い清の皇帝をたたえる記念碑まで建てさせられた。だから朝鮮では“三田渡辱碑”ともいわれてきた。

 碑文は漢字と満州文字、モンゴル文字の3種類で刻まれた珍しいもので国の史跡になっているが最近、何者かが赤ペイントで“撤去”と塗りたくる事件があった。民族的屈辱だから撤去しろというのだ。当時の朝鮮は、清が蛮族のくせに“皇帝”を名乗っているのはケシカランといって反発した。今も韓国のマスコミは、日本が“天皇”を名乗っているのは気にくわないと、“日王”に書き換え留飲を下げている。(黒田勝弘)


http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070210/kra070210001.htm