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海警職員が中国漁民に殺されたのに政府は弱腰、国民も沈黙。もう我が国は中国の朝貢国ではないのだぞ

2008年10月03日 | 中国vs韓国
■中国は宗主国かパートナーか

中国で一番有能な皇帝という評価を受けている清の康熙帝は、「人は誰でも学べば聖人になれる」という朱子の教えを信じて熱心に努力して聖君になった。しかしこれは、中国皇帝だった康熙帝が朱子の教えを誤って理解したものだった。朱子が言った「人」とは中国人を言うものであり、蛮夷である東夷族の康熙帝は該当しないのだった。中国人特有の選民意識だ。中華主義という中国民族主義だ。

我が国に対する認識もそんなに高くはない。しばしば、我が民族を東夷族と呼ぶことに対して「弓の上手な民族だと高く評価していた」と思われているが、中国人たちの本音はそうではない。蛮夷を意味する南蛮、北匈、東夷、西戎の一つというだけだ。世界の外交史に類例が稀な使臣殺害事件まである。明の初代皇帝だった朱元璋は、朝鮮の使臣3人を殺した。いわゆる表箋問題だ。もちろん背景に鄭道伝の遼東征伐論があるのは確かだが、この事件は我が国が歴史的にどんな待遇を受けていたかを端的に示すものだ。

1990年代以後数年前までの中国における韓流ブームで、私たちが一時得意げになったことがあった。昔の皇帝さえ犯した誤りを、現在の私たちが再び犯したのだ。「自分たちが世界の中心だ」という中華主義の自尊心に触れたのだ。これに対する反応こそ、おびただしい反韓・厭韓ムードだ。どれほどかと言えば当時人気1位だったドラマ『大長今』(チャングム)が、今や「一番嫌いなドラマ」1位に変わった(中国青年報)ほどだ。「嫌いな隣国」では、戦争をした日本が30.2%なのに対して我が国が40.1%で1位だ。<中略>

朴キョンジョ警尉殺害事件でもそうだ。この事件の犯人は中国漁民だ。しかし中国政府に責任が無いわけではない。それなのにその事後処置において中国の謝罪は、寧賦魁駐韓中国大使の「深い遺憾の意」で終わりだ。公務執行中の公職者に対する殺人事件をこんな簡単な謝罪で済ませようとは、やはり我が国を軽く見ているのではないかと思わざるを得ない。

2002年にヒョソンさん・ミソンさん事件があった。これは交通事故による過失致死事件だ。当時、米国のブッシュ大統領は2回も謝罪した。中国のやり方とは大違いだ。蝋燭デモが有ったか無かったかの違いかもしれない。それなのに我が国政府も中国政府も「遺憾」「遺憾」と言って済ませているとは、本当に遺憾だ。

そういえば李明博大統領訪中時の中国側の外交的欠礼に一言も言えなかった我が国政府を思えば、今度も期待するのが間違いのようだ。もっと不可解なのは、いわゆる蝋燭デモ隊たちの反応だ。過失致死事件ではあんなに大騒ぎしたのに、公務執行中の警察に対する殺人事件にはどうして一言も言わないのか、まことに変だ。あれほど高揚した民族主義が、どうして中国の前では静かになるのか。中国の前での民族主義とアメリカの前での民族主義は違うのか。

そして政府も問題が多い。ともすると「外交上問題が発生しないように…」と言うが、韓中漁業協定に基づく正当な公務執行なのに外交的問題がどうして生じようか。中国が嫌がれば我が国の海洋警察職員が死んでも黙っている、という態度が外交の助けになるのか。まともな鎮圧装備一つ用意せずに、どうやって中国漁船の不法操業を阻止せよというのか。我が国の海警が何人が死ねば、我が国の海洋主権が守られるのか。

左派グループはともかく、右派グループは何をしているのか。デモや抗議は左派だけの専有物ではない。論理上は左派が出なければならないが、左派が黙っているなら右派が出ることもできるのだ。政府ができなければ国民が出ることができるのだ。我が国の海警が逮捕した船長と、中国漁船に抑留された我が国の海警を交換したとは、何の喜劇のつもりか。

中国は、もはや我が国の宗主国ではない。我が国も中国の朝貢国ではない。まさに両国首脳が合意したとおり「戦略的協力パートナー」関係だ。それなのにどうしてペコペコしようとばかりするのだろうか。いまだに事大主義根性を捨てられないからか。自分自身を立られないなら、どうして他人が立ててくれようか。

▽ソース:大邱日報(韓国語)(2008-10-02 20:25)
http://idaegu.com/index_sub.html?load=su&bcode=ANAC&no=1676