中山道木曾路は、深い山が迫る山峡の道です。
奈良井は、難所といわれた鳥居峠の北に位置し、交通の要として江戸期を
通じて繁栄した宿場です。
桧物細工、塗物、塗櫛などの木工業が盛んで豊かであったといいます。
近代以降大火がなく、「奈良井千軒」といわれた江戸末期(天保期)の形式を
残した町屋が多く見られます。格子、袖壁、鎧庇、蔀(しとみ)、くぐり戸・・・
内部を公開している家も数軒あり、特に国重文の上問屋手塚家は中庭を
中心とした瀟洒な造りで、潤いある生活を覗わせるものでした。
途切れず雨の降る日でした。案内所で傘を借りてゆっくりと保存地区の家々
を見て歩きました。
観光に依存する不安も匂わせるものの、美しい家と街に住む幸せも感じ
させる・・・・・・そんな街でした。













奈良井は、難所といわれた鳥居峠の北に位置し、交通の要として江戸期を
通じて繁栄した宿場です。
桧物細工、塗物、塗櫛などの木工業が盛んで豊かであったといいます。
近代以降大火がなく、「奈良井千軒」といわれた江戸末期(天保期)の形式を
残した町屋が多く見られます。格子、袖壁、鎧庇、蔀(しとみ)、くぐり戸・・・
内部を公開している家も数軒あり、特に国重文の上問屋手塚家は中庭を
中心とした瀟洒な造りで、潤いある生活を覗わせるものでした。
途切れず雨の降る日でした。案内所で傘を借りてゆっくりと保存地区の家々
を見て歩きました。
観光に依存する不安も匂わせるものの、美しい家と街に住む幸せも感じ
させる・・・・・・そんな街でした。












