英彦山神宮への昔からの参道筋に数山家住宅はありました。
福岡県田川郡添田町津野。
なだらかな山を背に南面してたつ古民家。疎らな家々の奥にその姿を初見するとき、
その美しさには声をあげるほどです。
近所の方の話によると、25年を経た茅葺き屋根の葺替えが終わったばかりだと。
生活のない家では屋根の草むしりもなく、何といっても、中で火を焚き茅を燻らす
ということが無いことが、屋根の寿命を縮めるようです。
説明書きによると、桁行10間半、21.3m、梁間7.9m、寄棟造、直家。
解体工事の際発見された墨書きより天保13年(1842)の建築と想定されています。
当時の民家としては大型に属します。おそらく庄屋さんの家。
東寄り5間半が床上部、西寄り5間が土間。広く取られた土間も特徴。土間には、
くら、みそべや、まや。床上部は、ひろま、なかのま、ざしき、ちゃのま、なんど、
おくなんど、の6間。囲炉裏の置かれたひろまの床は竹の根太の上に藁床。
他の部屋は畳敷き。天井は竹編みむしろ敷き土置きの大和天井。(梁や下地床
を見せる天井を「大和天井」と呼ぶようです。)部屋ごとに手法を変えた天井と
なっています。
昼間まだ暑さが残る日でしたが、家に入るとひんやりとした感じなのです。
樹木に囲まれた山裾の環境と、深く分厚い茅葺屋根が齎すものでしょうが・・
利便性に慣れ、温暖化の進行した現代。こういう家に生活するのは無理でしょうが。
でも、この美しく素晴らしい家は、きっと貴重な遺産です。
長い年月をかけて育んできた日本人の心を思い返すために・・そう思いました。















福岡県田川郡添田町津野。
なだらかな山を背に南面してたつ古民家。疎らな家々の奥にその姿を初見するとき、
その美しさには声をあげるほどです。
近所の方の話によると、25年を経た茅葺き屋根の葺替えが終わったばかりだと。
生活のない家では屋根の草むしりもなく、何といっても、中で火を焚き茅を燻らす
ということが無いことが、屋根の寿命を縮めるようです。
説明書きによると、桁行10間半、21.3m、梁間7.9m、寄棟造、直家。
解体工事の際発見された墨書きより天保13年(1842)の建築と想定されています。
当時の民家としては大型に属します。おそらく庄屋さんの家。
東寄り5間半が床上部、西寄り5間が土間。広く取られた土間も特徴。土間には、
くら、みそべや、まや。床上部は、ひろま、なかのま、ざしき、ちゃのま、なんど、
おくなんど、の6間。囲炉裏の置かれたひろまの床は竹の根太の上に藁床。
他の部屋は畳敷き。天井は竹編みむしろ敷き土置きの大和天井。(梁や下地床
を見せる天井を「大和天井」と呼ぶようです。)部屋ごとに手法を変えた天井と
なっています。
昼間まだ暑さが残る日でしたが、家に入るとひんやりとした感じなのです。
樹木に囲まれた山裾の環境と、深く分厚い茅葺屋根が齎すものでしょうが・・
利便性に慣れ、温暖化の進行した現代。こういう家に生活するのは無理でしょうが。
でも、この美しく素晴らしい家は、きっと貴重な遺産です。
長い年月をかけて育んできた日本人の心を思い返すために・・そう思いました。














