珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

『夕暮れ観覧車 美里の物語』

2005年05月10日 | 夕暮れ観覧車
『夕暮れ観覧車 美里の物語』

 毎週日曜日に観覧車の絵を描きに来るかっこいい画家の青年。彼の事は遊園地スタッフの女の子達の間でも有名だった。
 あたしの担当するアトラクションは観覧車なので、当然あたしは噂になる前から彼を知っていた。だけど最初、あたしは彼の事なんて見てなかった。あたしは別に面食いじゃないしね。
 彼のことが気になりだしたのはほんの些細なことで。彼の描く夕暮れ時の観覧車をバックに橙色の光の中で佇む長い髪を掻きあげている女の人の絵が泣き出したくなるぐらいに優しくって綺麗だったからと、首から下がるチェーンに通された小さな銀色の指輪を見つめる彼の儚げな横顔を見たから。


 叶うことのないあたしの片想い・・・


「って、なに敗北宣言してるんですかぁ、美里さん!!」
「あ~、ごめん。お願い、見逃して、アスカちん。ほんとに無理です。告白なんてできません。かんべんしてください」
 しゃがみこんで両手を挙げるあたしの顔を同じようにしゃがんだアスカちんが首を傾げて覗き込んでくる。さらりと揺れた前髪の向こうにあるどんぐり眼に真摯な光を浮かべて。
「美里さん。告白しなかったら絶対にダメですけど、告白したらひょっとしてってあるじゃないですか。絶対とひょっとしてって、全然違いますよ。それにふった相手が気になってこんどは向こうから告白してくるってパターンだってあるんですし。だからがんばりましょうよ。ね」
「うぅ、アスカちん・・・お姉ちゃんみたい」
「私の方が若いです」
「「・・・」」
「ほら、行きますよ」
 意外に力持ちなアスカちん。引っ張られて行くあたし・・・。
 いつも彼は観覧車の下のベンチに座って、観覧車のある風景を描いている。だけどその彼の指定席に彼の姿は無かった。ほっとした。
「って、どうして今日はいないのよ? 人がせっかく休みの日に来たってのにぃ」
 アスカちんの方ががっかりとした声。彼女の横顔は子どものようにしゅんとしていた。あたしはそんな彼女に自然と微笑んでしまう。
「あははは。残念。絵が完成しちゃったんだね」
「だって、先週見た時、まだ完成してなかったんですよ。夕暮れ観覧車の下で立っている女の人にはまったく色が塗られてなかったから・・・」
「だからさ、それで完成なんだよ、アスカちん」
 アスカちんは眉根を寄せた。
「まあ、子どもにはわからないかな、大人の心情って奴は」
 あたしのその大人ぶった発言にアスカちんはぷぅーっと頬を膨らませる。かわいい。
 思わず萌えたあたしにアスカちんはふんと鼻を鳴らすと、あたしの右腕に両腕を絡めた。
「またそうやってすぐに人の事を子ども扱いして。意地悪な美里さん。私、今の発言すごい傷つきました。だから今日は罰として一日私とデートしてください」
 あたしはついまじまじと彼女を見てしまう。ほんとによい娘だなー。
「ほんと、アスカちんはよい娘だねー」
「なんですか、急に? それって愛の告白ですか?」
「うん、そう。お姉さん、アスカちんに萌え萌え。だからあんな男やめて、あたしのお嫁さんになりな♪」
「っえ、ほんとですか。私、尽くしますよ♪ て、なりませんよ」
「あははは。ふられちゃったか。って、まあ、冗談はそこまでにしてさ、マジな話で愛しいダーリンのところへ行きな。アスカちん。ほんとは今日、彼氏と約束してたんでしょう?」
 アスカちんはちょっと困ったような顔。ほんと、素直でよい娘だ。
「大丈夫。また明日ラブラブバカップル話聞かせてよ。あたしはちょっとここで座って休憩してから帰るからさ。実はなんだかんだ言って緊張して昨晩、眠れなかったから疲れちゃったのよね。やーねー。もうあたしも年かしら?」
 肩を叩きながらそう言ってにっと笑ったあたしに彼女はちょっとの間逡巡したが。
「じゃあ、その・・・今夜電話します。それで鮮度の良いラブラブバカップル話朝まで聞かせてあげますから、覚悟しておいてください」
 あたしは苦笑いしながら彼女を見送って、ベンチに座った。
 観覧車のデジタル時計は10時23分。
「開園から23分か。いつもなら来てるのにな。あ~あと」
 そしてあたしはあと5分。もう5分とその場に居続けた。もしも彼が万が一にもここに来たって、どうせ何も言えやしないのに。
 あたしの座るベンチの前を通り過ぎて観覧車へと行く人たちは皆楽しそうな顔をしていた。
 幸せな家族の顔。
 幸せな恋人同士の顔。
 幸せな友人同士の顔。
 幸せな・・・
 ここに座って、夕暮れ観覧車の絵を描き続けたあの人はどんな想いで、この光景を見続けていたんだろう? ううん、違う。あの人が見ていたのはその時その時のこの観覧車のある風景じゃない。夕暮れ観覧車をバックにあの髪の長い綺麗な女性が夕暮れの光の中で微笑んでいたその一瞬だけをずっと見続けていたんだ。
 5分だけ。あと5分だけ。そう思い続けているうちに世界は茜色の空から降りた優しい橙色の光のカーテンに包まれ始めていた。
 あたしはベンチに座って、高校時代の自分を思い出していた。あの3年間ずっと鞄の中にしまいこまれていた渡せなかった手紙・・・。
 高校生になっての初めての電車通学。あたしよりも前の駅から乗っていて、同じ駅で降りていた彼。気になりだしたのは夕暮れ時のラッシュ時に自分の座っていた席をお婆さんに譲っていた彼の優しい表情を見てから。
 その日の夜に手紙を書いたっけ。その晩は緊張して眠れなかったな。そして朝、電車に乗って、電車通学の小学生の男の子を自分が壁になって守っていた彼を見続けて、それで明日こそって。明日になったら何か理由つけて、また明日こその繰り返しで卒業。それからもう二度と会えなくなってしまった片想いの彼。
「ほんとに変わらないなー、あたしって」
 自嘲の笑みを浮かべながらあたしは肩をすくめると、ベンチから立ち上がった。
 そして回れ右をする。
 ・・・。
 そこにはあの人がいた。画材道具とかは何も持たずにただそこで佇んでいた。眺める先に誰か大切な人がいるみたいに夕暮れ観覧車を眺めていた。泣き出す寸前の迷子の子どものような顔をして・・・。
「ん?」こちらの視線に気づいた彼がこちらを向いて、そしてその顔に優しい表情を浮かべた。目にかかりそうなさらさらの黒髪を無造作に掻きあげながらあたしに頭を下げてくれる。
「こんにちは。今日はもうあがりなんですか?」
「あ、え、あ、はい。あ、いえ、今日はお休みで・・・えっと、あの・・・」
 思いっきり挙動不審なあたし。声がどもってる。体がかちんこちんで、顔がものすごく熱い。もう今すぐにここから走り去ってしまいたいが、そんな事したらそれこそ変な女だ。
 そんなあたしに彼は眼を瞬かせたが、すぐに優しく微笑む。包み込んでくれるようなその笑顔に胸がきゅっと苦しくなった。
「あの、もし、よかったら僕と一緒に観覧車に乗ってもらえませんか?」
「え?」
「あ、いや、いきなりすみません。ここへ来る最後にもう一度だけ観覧車に乗りたくって。だけどその、男一人じゃ、乗り辛くって」
 照れくさそうに笑いながら彼は頭を掻いた。その様子がいつものあの儚げなこの人の雰囲気とは全然違っていて、あたしは思わず笑ってしまった。
 流れる優しい空気に緊張がゆっくりとやわらいでいく。
「あ、はい、いいですよ」
 そしてあたしたちは夕暮れ時の観覧車のゴンドラに乗った。
 彼は両腿の上で両手を組んで、窓から夕暮れの世界を眺めていた。彼の服から出たチェーンに通された銀色の指輪が夕方の光を反射させて、黄金色に輝く。
「すごく綺麗」
「え?」
「あ、いえ、銀の指輪が夕方の光を反射させていて…」
「え、ああ、ええ」
 彼はとても寂しそうに微笑みながら銀の指輪を手の平の上に乗せて、それに眼を落とした。
「これ、僕が19歳の誕生日を迎える彼女にお願いされてプレゼントした指輪なんです。銀の指輪のジンクスって知ってますか?」
 あたしは首を横に振った。
「いいえ」
「銀の指輪のジンクス。19歳の誕生日に彼氏から銀の指輪をプレゼントされた女の子は幸せになれるって。それで彼女の誕生日にこの観覧車の頂上で、この指輪をプレゼントしたんです。ほら、この観覧車にもジンクスってあるでしょう。夕暮れ時の観覧車の頂上で愛を誓い合ったカップルは幸せになれるって。それでジンクス欲張って。・・・だけど結局、この指輪が最初で最後の誕生日プレゼントになってしまいました」
「・・・」
 ゴンドラの中に沈黙が降りた。
 そして指輪を眺めたまま彼は口を開いた。
「彼女、最後まで僕に笑顔しか見せてくれなかったんです」
 泣き出す寸前の子どものような声。
「彼女、癌だったんです。ほんとは痛くって、苦しくって、不安で怖くってしょうがなかったのに、最後の最後まで彼女は僕に笑顔しか見せてくれなかった。そして僕は何もできなくってそんな彼女をただ見てるしかなかった。誰もいない病室で泣きながら苦しんでいた彼女を僕は知っていたのに。僕は彼女を本当に愛していた。夕暮れ時の観覧車の頂上で誓った言葉に、想いに嘘は無かった。だけど彼女が病気になって、それで初めて僕は自分のその想いが信じられなくなった。ほんとは心のどこか片隅で彼女が僕に笑顔しか見せてくれないことに安心していたから・・・」
 彼はまるで懺悔してるように訥々とか細い声でそう言った。彼の細い体は震えていた。爪の間に絵の具が入り込んだ指先は辛そうにズボンを握り締めている。
「彼女、亡くなるほんの少し前に僕に言ったんです。夕暮れの中に佇む観覧車をまた一緒に見たいねって」
 ああ、だから彼はここへ絵を描きに来ていたんだ。ここへ来る事を夢見ていた彼女のために。それは彼の彼女への愛情の証であり、そして同時に懺悔だったんだ。
 あたしは気づいたら口を開いていた。溢れる想いが心から零れ出す。
「知っていたんだと思います、彼女、自分の病気。だからあなたに笑顔しか見せなかったんです。あなたの事、本当に愛していたから。女の子だったら誰でも世界で一番大好きな人には自分の笑顔だけを覚えておいてもらいたいから。それだけ彼女はあなたを愛していたんです」
 彼は顔を上げて、あたしを見ていた。銀の指輪を握り締めて。
「あなただって彼女を愛していた。その想いに偽りはないわ。だってあなたの絵は、とても綺麗だもの。あたしには絵は描けないけど、それでもその絵を見て感動することはできる。うん、あなたの絵はとても綺麗だった。泣き出したくなるぐらいに優しくって綺麗だったわ。あなたの彼女への優しい愛情が詰まってるから」
 そしてあたしはいつの間にか泣いていた。泣きながら続ける。
「だからお願い。優しい色で塗られた二人の夕暮れ観覧車を悲しみの色で塗り潰さないで。あなたの想いを信じて。あなたがその想いを、二人の愛の記憶を悲しみの色に塗りつぶしてしまったら彼女だってかわいそうだわ」
 なんてエゴに塗れた発言。だけど本当に心からそう想う。そう願う。彼がもう二度と優しい色で塗られた二人の想い出を悲しみの色で塗りつぶさないようにって。二人の愛情は何よりも尊いから。
 あたしは心に夕暮れ観覧車を思い浮かべて、ただただそう願った。世界が一日で一番優しく綺麗に思える夕暮れ時の温かく優しい橙色の光に包まれた観覧車がなぜかその想いを叶えてくれる気がしたから。
 そしてその後、あたし達は言葉を交わさずに、ただ黙って夕暮れ時の観覧車に乗っていた。

 
 夕暮れ観覧車。
 夕方の光に包まれて、観覧車は静かに動く。


「アスカちん。今夜、合コンだから。仕事が終わったら、ダッシュよん♪」
「って、なに今夜の人の予定勝手に決めてるんですか? しかもそんなかわいらしい笑顔で!!」
「あら、だってアスカちん、先週の夜、電話で泣きながら私にできることがあったら何でも言ってくださいって言ってくれたじゃないのよ? それともあれは嘘だったの?」
「だって私には彼氏が・・・」
「けっ。これだよ。あ~ぁ、友人よりもやっぱり彼氏か。こんなもんよね、女同士の友情って。彼氏のためなら平気で嘘ついて裏切るんだもんなー。あ~ぁ」
「って、美里さん。なんで・・・あたしが・・・悪者って・・・・・・美里さん!!」
 アスカちんが無理やりあたしの顔を掴んでぐぃっと明後日の方向を向かせる。
「っちょっと、アスカちん、首が・・・って・・・」
 そこに彼がいた。あのベンチに座って、真っ白なキャンパスに向かってまた新しく絵を描き始めた彼が。
 そしてあたしの目と彼の目があう。
 彼の唇が動いて、そしてあたしは微笑んだ。


 ― end ―


 懐かしいお話です。^^
 お世話になっているサイト様に投稿したお話で、そして初めてネットという場所で他の方に読んでいただいたお話。
 本当に良い経験になったと想います。^^


 風邪でダウン中なので、思いっきり辛いカレーを作ったのですが、かえって汗かいて寒いし、水を多く飲んで気持ち悪い。(― ―; ←早く寝ろ。
 でもカレーってご飯で食べるのも美味しいけど、カレーとパンで食べるのも美味しいですよね。^^

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