おもしろ住まい学

住まいについて面白そうな話を考える

住まいの原型現る

2013-11-29 17:14:22 | 日本の住まい

上の画像は弥生時代を代表する登呂遺跡の復元竪穴式住居です。

石器時代後期に始まったとされる竪穴式住居は、以外に長く続き、少しずつ改良が加えられていきました。

これは奈良県の竹取公園にある復元された古墳時代の竪穴式住居ですが、外観からは弥生時代からの進化はほとんど判りません。

次に奈良時代の竪穴式住居を復元したとされる、千葉県の袖ヶ浦公園に復元された竪穴式住居です。

建物として考えると、正面と側面がはっきりしてきたような感じですが、まだそれほどの進化は見られません。

実はこの間には6世紀から7世紀にあたる「飛鳥時代」があるのですが、上の二つを比較する限り、飛躍的な改良が加えられた形成は見られません。

次に庶民の住まいが一部高床式になっていく平安時代に入るわけですが、東北地方は比較的遅くまで従来型の竪穴式住居が残っていたとされています。

これは岩手県にある「みちのく民族村」で復元された平安時代の竪穴式住居ですが、外観として明らかに「壁」というものが現れてきています。

また、壁の広い部分で土を塗ったり、木の板を使用したり材料にも改良が加えられてきています。

そして室町時代に入ります。

お~っと、いきなり現在の「家」の形に近くなってきましたが、まぁ復元住居は時代考証によって建てていますので、各時代とも、まったくこのまま建っていたという訳ではありません。

上の室町時代の竪穴式住居の内部です。

これは「竪穴式住居」とされていますが、いわゆる「掘っ立て小屋」であって、厳密には竪穴式なのかどうか、ちょっと判別が難しいところです。

構造的にも現在の「軸組工法」と似たような工法ですが、ヨーロッパの「ポストアンドビーム」工法に近いような気もします。

出入り口、排煙口以外で、初めて「窓」が現れてますね。

             mm

             まさき設計

(画像はネットより)


横穴、竪穴?

2013-11-28 14:44:49 | 日本の住まい

旧石器時代も、大半は岩陰などの横穴式住居だったものが、後期に入るとこの画像のような竪穴式住居へと進化を遂げてきます。そしてこの後の縄文時代の主流な住まいとなっていきます。

岩陰などから比較すると、断熱効果も高く、快適さの度合いでは相当に進んだ住居となっています。

これは生活スタイルとも密接に関係しており、狩猟で移動しながら住処を替えていた生活から、縄文後期に入ると我が国でも稲作が始まり、土地に定住するようになって一層住居も完成度が高くなっていきます。

これは千葉県にある「加曽利貝塚」に復元された竪穴式住居ですが、それまでの地面に竪穴を掘り、周囲を高く盛り上げた上にタル木を円錐状、あるいは向かい合わせに組んだ骨組みの上を草で葺く「伏屋式」から、一部外壁らしきものが立ち上がる「壁立式」と呼ばれるものに進化していきます。

更に農耕が盛んになる弥生時代に入ると、住居は一層快適さを求め、それまで作るのが難しかった木の「板」状の材料が出来るようになり、竪穴の内壁や、一部外壁などに使用されるようになります。

これは紀伊風土記の丘にある復元された竪穴式住居ですが、外観だけなら一昔前の日本の田舎でよく見かけられた、住まいの形の原型と呼べるほど、完成度が高くなっています。

しかし、まだこの頃はこういった「家」は、拠点の地位の高い、首長などの家に限られていました。

さらに農耕が進むにつれ、穀物を湿気や小動物、害虫などから守るため、地面から床を持ち上げた「高床式」穀物庫が登場してきます。

これは九州を代表する弥生時代の集落、「吉野ヶ里遺跡」の復元された高床式家屋群です。

床を地面から持ち上げることによって、快適さに加え、衛生的な生活がもたらされてきました。

 

ところでこうした竪穴式住居は、現代の法律ではどう解釈されるのでしょうか?

初期の形には、建築物の定義とされる壁や柱はありませんが、屋根があります。

法律では室内高さ1.4m以上は床面積に入るので、壁が無くとも屋根の一部を外壁と見なし、建築物とされる可能性が高いと思われます。

また、室内高の1/3以上が地盤面より下にあると「地階」となるので、竪穴式住居は地下住居となる可能性もあります。

その他、採光・換気、及び屋根、外壁の不燃、防火構造の規定、また構造強度規定などにより、現在の建築基準法ではおおよそ建築不可能となることが予想されます。

なので、このような草葺きの「竪穴式住居を作ってくれ」、と言われても、僕には建築確認を取れそうにありません。


             mm

          まさき設計
(画像はネットより)

 

 


住まいの起原

2013-11-27 15:47:35 | 日本の住まい

 最も初期の人類は、どんな所に住んでいたのでしょうか?

多分、最初の最初は野生の動物と同じで、大きな木のほこらや藪、しげみの中あたりで過ごしたのでしょう。そこからもっと強度のある岩陰などに移っていったものと思われます。

上の画像は長崎県佐世保市にある国内でも最も古い横穴式住居跡のひとつ、「福井洞穴」です。
この遺跡は旧石器時代から縄文時代にかけての遺物がこの入り口の地盤下6mにわたって堆積しており、数万年の間使われ続けたことがわかっています。上部の岩の崩落や、土などの堆積により狭くなっています。

こうした初期の住まいの様子は、世界的にも類似していることも多く、例えば


これはイタリアのマテーラの横穴式住居ですが、自然の洞窟を人工的にくり抜いて広げている様子が判ります。
また、チベットの西方ではツァパラン遺跡と言って


一山全体が住居であり、城となっています。これはかなり新しく9~10世紀頃の遺跡だそうです。
イタリアのマテーラの横穴式住居は、


のように現代まで受け継がれ、外側の一部に新たに家屋を増築し、住み続けて現在の町並みとなっています。こうなると何処までが建物でどこからが洞窟か判らなくなってきます。

我が国でも埼玉県に「吉見百穴」という、かなり人工的な横穴遺跡がありますが、


ここはこの画像のように、ひとつひとつは非常に狭く、現在では住居では無く墳墓であったとされています。

例えばこうした横穴式住居、現在の法律ではどうなるのでしょうか。

建築物の定義は、屋根及び壁または柱がある構造物です。
そうすると単なる横穴は少なくとも「建築物」ではありませんね。
しかし、そこに「居室」あるいは「住居」をつくると、役所が何か言ってくる可能性があります。ひとつには地階扱いとして法律を適用してくることが考えられます。
つまり、建築基準法は建築物にたいする法律ですが、同時に国民の安全と健康を最低限保護することをも目的としているからです。

現在では勝手にあちこち横穴を掘って、そこに住む訳にはいかないかもしれません。

             mm

                まさき設計

(画像はネットより)