上の画像は弥生時代を代表する登呂遺跡の復元竪穴式住居です。
石器時代後期に始まったとされる竪穴式住居は、以外に長く続き、少しずつ改良が加えられていきました。
これは奈良県の竹取公園にある復元された古墳時代の竪穴式住居ですが、外観からは弥生時代からの進化はほとんど判りません。
次に奈良時代の竪穴式住居を復元したとされる、千葉県の袖ヶ浦公園に復元された竪穴式住居です。
建物として考えると、正面と側面がはっきりしてきたような感じですが、まだそれほどの進化は見られません。
実はこの間には6世紀から7世紀にあたる「飛鳥時代」があるのですが、上の二つを比較する限り、飛躍的な改良が加えられた形成は見られません。
次に庶民の住まいが一部高床式になっていく平安時代に入るわけですが、東北地方は比較的遅くまで従来型の竪穴式住居が残っていたとされています。
これは岩手県にある「みちのく民族村」で復元された平安時代の竪穴式住居ですが、外観として明らかに「壁」というものが現れてきています。
また、壁の広い部分で土を塗ったり、木の板を使用したり材料にも改良が加えられてきています。
そして室町時代に入ります。
お~っと、いきなり現在の「家」の形に近くなってきましたが、まぁ復元住居は時代考証によって建てていますので、各時代とも、まったくこのまま建っていたという訳ではありません。
上の室町時代の竪穴式住居の内部です。
これは「竪穴式住居」とされていますが、いわゆる「掘っ立て小屋」であって、厳密には竪穴式なのかどうか、ちょっと判別が難しいところです。
構造的にも現在の「軸組工法」と似たような工法ですが、ヨーロッパの「ポストアンドビーム」工法に近いような気もします。
出入り口、排煙口以外で、初めて「窓」が現れてますね。
mm
まさき設計
(画像はネットより)