毎日の生活研究所日記

生活提案・料理・環境など幅広い毎日の暮らしについて情報発信していきいます。

建築士会 理事リレー

2007-05-28 18:09:03 | Weblog

2007年 建築士会役員リレーコラムを担当しました。
 
松 無 古 今 色
私の座右の銘のひとつです。20代前半、大学生のときにバックパッカーとして、韓国旅行に出かけたときに、この言葉に出会いました。韓国のオンドルを体験しようというのが卒業旅行の主な目的でした。ソウルから釜山までの旅程でしたが、南部にある大邱(テグ)市のユースホテルに宿泊したときに、宿の主人に掛け軸をいろいろ薦められました。水墨画、韓国風の色のついたものなど、いろいろあった中で、漢字の掛け軸になぜか惹かれました。主人はヨーロッパ系の人で片言の日本語も話されましたが、誰の言葉で、どんな意味なのかについては、わからないとのことでした。どんな意味かなとぼんやりとではありますが、考えていました。松の葉の色は、昔も今も変わらないこということから、時代が変わり、いろんなことが変わりますが、変わらないものは必ずある。物事の本質について考えていかなければならないのかなと解釈していました。
今回リレーコラムを書くにあたり改めて意味について調べてみると、禅語であることがわかりました。
松無古今色、竹有上下節  「松に古今の色なく、竹に上下の節あり」という対句だそうです。松は常緑樹で常に青々としてその色を変えない。竹もまた青々としているが、これには上下の節があるという。これは松と竹、無と有、古今と上下を対比させた修辞を得た佳句であるそうです。『色が変わらないと言うことは一味平等を意味する。竹の上下の節とは親しき仲間であっても上下の差があり、そこには自ずから礼節がある。お互いに平等でありながら、上下の区別歴然、区別歴然でありながら一味平等である』と言う見解だそうです。大変味わいのある言葉で再度深い感銘を受けました。
顧みて、まちを歩いてみます。常日頃、車からみている風景とは何かが違います。視線の高さや見る角度や‘風’の具合によって、いろんな表情をみせます。急激な変化を求める都会文明。対峙する地方の文化は、都会文明の誘惑に勝てず日々崩されているように感じます。右肩上がりの経済成長があたりまえの時代に浸っていた私達は、経済(景気)の回復にしか豊さの判断基準を求められなくなっているのではないでしょうか。これまでの〈既成概念〉〈思いこみ〉にとらわれない新たな価値観、新たな枠組みによる真の豊さを実現する社会を構築していかなければならないのでしょう。
変わるもの、変わらないもの、変わるべきもの、など、客観的に時代を観て、これからのあるべき姿、これからの時代の変化に惑わされずに経済人として、また、建築士として地域のリーダーとしていろんなことにかかわっていきたいと思います。
松竹梅”と聞くと何よりもめでたいと思いますが、それぞれに意味があるようです。”松”は先ほどの「松無古今色(まつにここんのいろなし)」という言葉であり、松というのは季節を問わずに常に緑である。これは私たちの日常に於いてもいろいろな出来事があるけれども”平常心”を保つことが大事である、ということを表しているそうです。”竹”は対句の「竹有上下節(たけにじょうげのふしあり)」であり、竹はあの上下の節があってこそ、その特性である柔軟で強靭なバネを持ち得る。人生の節目、一年の節目、一日の節目・・・・、それぞれの節目というものを大事にし、しっかりと自分を見つめることで、柔軟な対応をしながらも確固たる信念を保ち、いろいろな困難や苦難さえも跳ね返すことが出来る。そして”梅”。「梅経寒苦発清香(うめはかんくをへてせいこうをはっす)」という句があるようです。梅は寒くて厳しい冬を経て初めて、あの、ほのかな香りを発する清らかな花を咲かせることが出来る。私たちも辛いこと悲しいことの多いこの世界に生きるにおいて、そうした困難苦難は誰しもが経験することであるが、それを経験することによって、人間の核となる部分=人格が磨かれ、それを乗り越えたときにこそ、その人らしい花・その人らしい香りを発することが出来る。それぞれの意味合いを、その願いを込めていろいろな節目節目に「松竹梅」が飾られるというわけです。
物事にはいろんな文脈・コンテキストがあります。街づくりも、建築も然り、意味があり、文脈があります。そもそもの意味を考えながらこれからもいろんなことにかかわっていきたいと思っています。
日々、感謝! 日々、精進!